最近こういうイベントが増えておる。実はこの日(&今日、明日)同時刻に平安神宮でも紅しだれコンサートなる同じような企画(こっちは年中行事として)が行われていた。ただし明治に創建された平安神宮は重文でも世界遺産でもなんでもない。が、こちらはそうである。その重文にして世界遺産の夜は雨やった。
どうもこの頃の京の天候は荒天続きでよくない。去年の地震の祟りがまだまだ残っているかのような天候のなか、しかし会は強行されるようであった。正直オレはこれが嫌で、都での屋外イベントには極力近寄らないようにしてきたが、今回は出入りの業者様に頂いた1枚8500円もするチケットを、しかも高齢の母がどうしても冥土の土産に見に行くと言って聞かないもので、仕方がなかった。
家を出る頃はすこし天候も穏やかに納まっていた。だが到着すれば写真のようなありさま。なにかの秘密儀式よろしく皆配られた合羽を一様に着込む。
ところで出し物は、このところちょいちょい遭遇する和洋東西フュージョンもの。そういえば中央公会堂で聴いた津軽三味線版アヴェ・マリアなどは今も記憶に生々しいし京都コンサートホールで狂言とオペラのあいのこマクベスというのも見た(聴いた。) 思い出すということはそれだけ印象が残ったということではあるが、必ずしも良い印象ばかりというわけでもない。むしろすんなりと受け入れられなかった事のほうがよく覚えているのもまたヒトの常。
さてこの屋外での出し物はまず苦言から始めねばなるまい。ちょうど舞台(細殿)むかって左袖あたりの前から2列目のオレ達の席は、左スピーカの真ん前でもあった。後半、お能にしては激しい動きが見られる土蜘蛛などでは案の定袖や襟が摺れるたびに耳障りなノイズを拾うばかりか、せっかく右奥まった橋殿に立体的に配置された囃子方との音の位置関係等もすべてメチャクチャ。途中でノイズのために一旦切られた瞬間にワキの生声が聴こえたが、十分な音量であり、この催しにそもそもPAが必要なのか本当にちゃんと検討したのであろうか。
そして雨天というよりは荒天のなか、まるでクークラクスなんちゃらの集会のように皆とんがり帽子のレインコート。そこへソプラノ尾崎比佐子のソプラノ(PA付き)に乗せて登場したシテ梅若もまた白いマントを被り、なんとその胸には十字架が!ついにこの神仏習合(いや、土着のアミニズムも仏教に紛れて輸入された道教も儒教もなにもかも習合)の聖地はキリスト教までも八百万の神のひとつとして包含しだしたとはAKIRAもびっくり!どうせなら仏教に因んで卍(まんじ)模様の紋も入れておくべきやったな。なんせKKKもどきの集会なもんでwww
それにしてもこの歌と踊りのミスマッチというか違和感というか・・・、こうやる必要があるのか、一寸オレには理解できなかった。フツーの薪能じゃいかんのか。ムリならせめてキーボードではなく和楽器にアレンジするとか。
結局のところ、いまだ納得いくようなこの手のコラボは知らないが、さすがにホンモノの神社で演るのは悪くはなかった。この荒天もむしろ予測不能の舞台設定としては面白いとも思った。ただそれら装置が全く生かせ切れてない、というより企画の無能ぶりばかりが毎回増幅してゆくような気すらしてきた。芸人は居るが芸術家が居ないということなのか。
後半の土蜘蛛も、ますます荒れ狂い土砂降りのなか、淡々と演じられたのは良かったが、やっぱりPA、そして平板な照明のせいでテレビを見ているのと同じような、なんか間に作為の媒体が存在する違和感が勝り、楽しめたのかといえば正直、否であった。今はまだフツーにフツーの古典を能楽堂で楽しむのが一番。紅しだれコンサートにも行きたいとは思わない。そんな思いを胸にまだ蕾の固い桜並木の加茂街道を下り、街へと戻るのであった。
4/5(木)
第42回加茂別雷神社式年遷宮奉賛
世界遺産で舞い唄う
「祈り」
@加茂別雷神社(上賀茂神社)細殿・橋殿
出演:梅若玄祥(シテ)/尾崎比佐子(ソプラノ)/鎌田史子(kb)/竹一学(能管)/茂山逸平(狂言)他
【演目】
修祓の儀
能舞「祈り」(グノー作曲:「アヴェ・マリア」
ヘンデル:「ラルゴ」
プッチーニ:「私のお父さん」(ジャンニ・スキッキより)
ドニゼッティ:「あたりは沈黙に閉ざされ」(ランメルモールのルチアより)
(休憩)
能「土蜘蛛」