ちかぢか、この祗園會館が古の京都花月の代わりになるらしい。学生時代、その閉館を惜しんだ新京極のそれが失われて以来30年近く経つらしい。なんというびっくりドンキー。一方のこの祗園會館といえばちょうどその花月が去っていった頃がひとつの絶頂期やったんちゃうやろか。なんせ館内には当時飛ぶ鳥も落とす勢いの京都マハラジャ(あのジュリアナの元祖、しかも当時、四条花見小路の祗園マハラジャ、三条木屋町のラジャコートとあわせこのエリアだけで3軒のマハラジャ・・・)が秋の祗園をどりのきれいどころと花を競い合っていたなんて、なんか想像を絶する時代やったなぁ。
しかし基本的にはココは昭和の昔も今も変わらぬ名画座。あの頃はたしか洋画3本立て800円くらいやったのが今は邦画が中心の2本立て1600円(ちょうど倍か;但し毎週木曜は1000円)に値上がってはおるが、吉本新喜劇に貸し出す今後も含め、どういうやり方になるんか知らんが名画座としても続けていくらしい。そもそも映画なんてちょっと時間が空いた時や通りすがりに目に付いた看板につられて入る所やったはずで、今みたいに予約して指定席でちゅうのがむしろオカシイねん。途中から見てまた同じ場面に戻ったら出てったりとか、そういう事も昔は当たり前やった。そのあたりまえの映画館、ところが気がついたら京ではここだけになってしまった。
雷桜 ☆
なんや大東亜戦争時代の戦闘機の名前か何かかいなちゅうようなこんな単語を、小説のタイトルに選ぶのがいまごろのオバハン(およびその予備軍)小説家の流行なのか。物語自体はクリシェまたクリシェの連続する宝塚少女歌劇調。むしろその徹底したつまらなさが映画向きやとは思うが、ただのエロ映画監督廣木隆一には荷が重すぎたか。そもそも草原や山といった広角は映画向きとは言えないうえに、その事実自体を受け入れようとしないニューシネマ派の鈍感さが隅々まで溢れる愚鈍さ。思わずこれは無いやろ~と唸りそうになるシーンが冒頭から続く。もっと逆光なりソフトフォーカスなり隠喩的クローズアップなりを多用して主役をファンタジーに祭り上げないと、ただでさえはっきりしない顔の蒼井優がますますぶっさいくな、どこにでもいるただの田舎娘にしか写らない。せっかくの白馬もまったくただの駄馬にしか見えない。そりゃピンク映画ならそれのほうが良いのかも知れんがこれは赤と黒ばりのコントラストが命の恋愛ものなんやから。わざわざクレーン撮影した庄屋の屋敷も溝口健二ならもっとその複雑な日本家屋を奥行かしく撮ってたのに、あるいは(しょぼい)大名行列に白馬に乗った田舎娘が割って入るところでも、レールまで敷いたのならもっとトリュフォーのように長回せば緊張感が漲るのに・・・ま、一事が万事そんな調子なのであった。
岡田将生はすらっとしてて良い若殿ぶりやったけど、ちょっと笑い方が下品。そういうところを見逃してる廣木監督の無能さがよくわかる。蒼井優は、どうしても女優というならやっぱりAV女優以外の何者でもない。どこが良いのかさっぱりわからない。榎本明は愈々くさい芝居をやらしたら右に出るモノが居ない域に達してきた。というかこの二本立ては何がテーマなんかいまいち判らん組み合わせと思ったが、榎本特集と思えば合点がいった。
2010年TBS 監督:廣木隆一 撮影:鍋島淳裕 出演:岡田将生/蒼井優/榎本明/宮崎美子/坂東三津五郎 他
桜田門外ノ変 ☆☆☆
佐藤純彌といえば映画衰退期(つまりオレの映画原体験時代)ど真ん中のヒトで、後にハリウッドの大作「スピード」(この看板が阪神大震災で崩れかけた阪急三宮駅にいつまでも掛かってたのが今も忘れられない)に化けた「新幹線大爆破」(1975)そして角川大作路線を決定づけた「人間の証明」(77)「野生の証明」(78)といった当時の代表的ヒット映画を連発したヒトやった。
ところで一方では大作といいながらミニチュアまるだしの新幹線(新幹線大爆破)や、ロケ地が変わると同じものでないといけないはずの自動車などの小道具がその色以外は似ても似つかないものに化け(野生の証明)てても平気やったりと、どこか大作とはほど遠い間抜けさも、よく言えば持ち味のヒトでもある。21世紀の今でもその路線は健在(笑)で今回もせっかく茨城県におっ建てた巨大セットの桜田門やCGのそれを現代東京のそれとオーバーラップさせることで妙にチープな作り物に見せてしまうというお茶目なことをなさっている。
それはさておき、もっと重大なこのヒトの持ち味がやはりこの映画の肝にある。それは、なにか壮大な思想を彼が語るとき、必ずその真逆の映像が生み出されるという事。彼のインタビューによればこの水戸浪士の物語を引き受けるに当たって、いかなる状況であったとしても暴力テロといった行為を肯定的に捉えることはできない・・・みたいなことを仰っているんやけど、この桜田門外を見る限り、逃げる大沢たかおや榎本明を見る限り、その逃げる、逃げながら行き先を捜そうとするその運動性以外まったく政治的動機が見えてこない。実は新幹線大爆破や野生の証明なんかでも同じような感覚を覚えた記憶がある。作品自体の完成度はともかくとして、この、ただ運動性だけに拘ったようにしか見えない結果が仮に彼の意図するところでなかったとしても、結果的にオレはこのヒトの映画に映画の基本を感じる。
こういった感想は、もしかすると彼がオレの映画ノスタルジーの原体験を構成している一人であるからに過ぎず、ただこの監督がどうしても憎めない、というか割と好きなのでそう思うだけなのかも知れないが。そしてココでも榎本の存在感。つうかむしろ存在しすぎ。ま、今は東京電力より東京乾電池に期待しとけってことか。
2010年東映 監督:佐藤純彌 撮影:川上皓市 出演:大沢たかお/長谷川京子/中村ゆり/榎本明/本田博太郎/渡辺裕之 他
4/7(木)@祗園會館