自粛生活が3週間が経ち、勤め先も危うい状況になりました。自身の今後も考えなければならない時期ですがのん気に記事編集
このコロナ騒動を機に社会が大きく変わること必至、今後が見通せずその不安は自分だけじゃありません。とにかくポジティブさは維持し つつしばらく動向を見たいと思います。
青春18きっぷで岐阜訪問、約250世帯が同じ住所の岐阜市鷺山1769-2の続き。この後、気になる飛地、大垣市の墨俣(すのまた)へ行ってみることにしました。
その大垣市は…
なんと…3つに分かれています
大垣市の位置と周囲の自治体
地図では分裂しているように見えますが、2006年に上石津町・墨俣町ともに大垣市に編入合併。離れたものがくっついた形となります。
周囲も大垣市に編入すれば収まりそうなもの。実際、周囲の自治体(西濃地区)で合併の話はあったようですが、それには政治・生活圏・財政力・地名の喪失・住民の意見など複雑な問題が絡みます。結局合致には至らず頓挫。
現在市町村単位の大規模な分断の例として、桐生市・釧路市・五所川原市など。それでもせいぜい2つ。大垣市の3つは全国的にも珍しいカタチなのです。これを平成の大合併の負の遺産と捉える人もいます。
ということを踏まえながら…その分断された飛び地を単に訪ねる旅。墨俣地区には鉄道の駅はなく、岐阜駅・穂積駅・大垣駅からバスに乗ります。
今回は岐阜からJRで、穂積駅からバスに乗車。穂積駅から南下、安八方面へ墨俣を縦断するルート。ちなみに岐阜からのバスは市街地中央までで、大垣駅からは東へ県道31号で揖斐川を渡り、墨俣を横断のち木曽川を渡って岐阜聖徳学園大学まで。
墨俣に入った最初の停留所"プラント6口"で下車。工場地帯かと思ったらディスカウントストアの名前でした。
大垣市墨俣地区の面積は3.39平方キロメートル。飛び地とは関係なく2006年3月1日から大垣市に編入される3月26日までのわずか26日間日本一面積の小さい自治体でした。(以前は高知県赤岡町(1.64㎢)、現在は富山県舟橋村の3.47㎢)
かつて東海道と中山道の脇往還"美濃路"の宿場町。哀愁漂う小雨の夕暮れ時に、各家に下げられた墨俣宿の提灯があたたかい…。そしてここはかつての赤線"夜城園"。
織田信長の美濃攻めに際し、重要拠点であったこの地に豊臣秀吉が一夜にして築城、その功績を称えられ出世したとされる伝説のある墨俣城。に到着したのが、
午後5時で残念ながら閉館となっていました…。伝説か、なぜここに築城されたかといった疑問を残しつつ、訪れた記念に模擬天守をなごりの紅葉とともに…
墨俣城の裏にある白髭神社へ。ここは墨俣地区の北西端、神社の裏は瑞穂市。
桜の堤を南へ。雨も強くなりそうだったので急いで市街のほうへ向かいます。
公衆電話の所在地案内。かつての住所を見つけたり、
宿場町の情緒が残る墨俣宿脇本陣。
県道31号にぶつかる頃にはすっかり日も暮れました。墨俣東交差点の"秀吉出世の地"と書かれた墨俣市街地の入口。ここから大垣へも岐阜へもバスが出ているところ。実はこの時、下調べ不足で岐阜方面のバスを知らず…
墨俣のぶらり旅を無事終え、大垣駅へのバスを待っているとき…
そう、忘れていたことを思い出しました
ここを訪れた目的は歴史もそうですが第一に飛び地訪問。大垣市に来たことを示す証拠写真を一切収めていなかったこと
たぶん…無いだろうなぁ
ダメ元でバス停から西へ500m行けば墨俣町と安八町の市町村界、そこに求めていたものはありました
3つある大垣市の1つである墨俣町へ訪れた証拠写真を無事収めることができ意気揚々と大垣駅経由で岐阜へ向かいました。
(2018年12月23日)