おうちへ帰ろう | うらら☆プリンセス 安西美穂子のオフィシャルブログ

「おうちへ帰ろうクラブ」は、自然にできちゃった・・・と以前書いたが、

自然にできる・・・わけがない。私にとってキムタク(万俵鉄平)の製鉄会社と同じくらい、思い入れがあるものだ。人生そのものだ。


私はキムタク(万俵鉄平)のようにジイサンの子だと疑われて父から愛されなかったわけではないが、、母に抱きしめられた記憶がなく、母の背中を見て育ったようなもの。母はアナウンサーをしていて、自分の姉妹の誰より自分が美しい、偉い、と信じて疑わず、母は私を聖心女子学院に編入させた(頼んでいないし、私によかれと思ったに違いないが、私にとっては自分から落合第4小学校の友達(堀米ゆず子さんを含む)を取り上げられただけだった。人10倍くらい向上心、ゆえに見栄の強かった母が聖心に入学したようなものだと思っている・・。、母はこれまでたった1度も私の心と向き合ってくれなかった・・・と私は思っている。私は一度めの離婚で、自分が決めた離婚だったにもかかわらずひどく傷つき、(それでも仕事はやめなかった)、家から仕事に通うことを許されず、離婚そのものより、私は自分のおうちへ帰れなかったことで、それこそ猟銃自殺したいほど傷ついた・・・ことをおそらく母は知らない。なぜなら母は一度ならず2度も私を捨てた・・。捨てるに等しい行動をとった。鉄平の心の中心が父だったように、何をしていても私の中心には母がいた。キムタク(鉄平)のセリフではないが、私は長い間母に誉められたい一心で仕事に没頭したのかもしれない・・・それこそ「フツウの家族でいたかった」「微笑みかけてほしかった・・・」

 馬(競走馬)と出会ったのは30歳を過ぎてから。

馬と通い合うこと・・それは私にとって胸が打ち震えるほど奇跡的で感動的なことで、母とのことで抉られた心の痛みを忘ることができた。あまりに感動的だったからこそ、そのことだけで20冊も本が書けたのだ。

いつしか馬が私の心の中心になった。馬にも帰るおうちがない・!!・・

大多数の馬は人との出会いと別れを繰り返し・・・天寿全うできる馬は本当にわずかだ。だから「おうちへ帰ろうクラブ」なのだ。だから命がけなのだ。いちばん思い出さなくてはいけないことを、やっと思い出した。(角田獣医のおかげ・・・だとしたら、やっぱり私は馬である)

おうちへ帰ろうクラブは、津波にあったかのごとく手が付けられないほどボロボロの状態だが、私はある人の力を借りて、立て直さなければならない、どうしてもその人でなくてはいけない理由がある。そこへ誘導している人の大きな問題でもある・・・おそらく。

おうちへ帰ろうクラブを馬にとって永遠のものにしなくてはならない。

私はもう二度と、自分の心の中心(馬への愛)を見失うわけにはいかない。