ノンフィクションの体当たり取材は、書けば書くほど回り中が書けないことだらけになる・・・。
なぜなら追い求め描きたいものが「真実」だから・・・。
この世の中半分は嘘で出来ているにもかかわらず・・・。
家田荘子さんは人への体当たり、私は馬への体当たり・・・ではない。
やはり私にとって仕事は、人への体当たりだったのだ。
このblogを息子への遺言がわりに書き始めた。
仕事で潰されかけて死にそうになり、もし飲んだくれた拍子にこの世から私がいなくなったら、私の人生何だったのか、息子にだけは知って欲しかった。
ママは恋も結婚も何度も失敗して続かなかったけれど、仕事だけは本気で体当たり・・・
すごく努力もしたし、一度も手を抜いたりしたことない、穴も開けたことない。
入魂して書いて書いて・・・。
それだけわかって貰いたいと思っていた。
(証拠は売るほどあるし)・・・
やっと自分が言いたかったことにたどり着いた。
「適応障害」は言いたいことが言えなくなる心の病気だ。
必死でバタフライを泳ぎ、ダンスを習い、このblogを書き、時には大酒を飲み豹変したりもし、それを見ても私から逃げなかった息子と、心から信頼できる人に助けてもらって、何とか私の中の「真実」にたどり着いた。
アナウンサーが両親・・・と思えないほど小さい頃から口が遅く、自意識が強くコンプレックスが強すぎた私は、仕事・・・書くこと描くことで頑張っている自分のみを許すこと、愛することができていた。
ゆずちゃんも、ゆうこも、聖子さんもおそらくは雅子さまも、恋もしたし幸せにはなりたいけれど、それは自分の仕事が上手くいくことの上に成り立つ幸せなのだ・・・
そういう意味では、みな姿、感性は女であっても、自分として生きること、在ること自体を、一瞬たりとも男に頼る女にはなりきれない「男」なのだと思う。
日本は未だ男女差別というかセクハラまがいの虐めがなくならない。
子どもどうしの「虐め」がなくならないのは、いい年齢して虐めをやっている大人のせいだ・・・
うーちゃんひとまず私の近くに帰ってきて。
貴女に紹介したい人がいる。
私の右腕のゆうこ。
そう、あなたを5年前体当たりで世話して愛した人もあなたを待ってる。
その人は知子さんといったね。
うーちゃん覚えてるよね?
アンちゃんもジェニーも待ってるからね。
ジェニーのサプライズは超楽しみだよ。