【最新決定版】

 日本のゴーストタウンの
 有名&怖いランキング44選!
 無人の街・集落・廃墟【前編】


 WONDIA / gurung


そこで生活していた人が去り、
無人の街・集落・廃墟となってしまった
ゴーストタウンは日本にもたくさん存在しています。

日本のゴーストタウンを有名&怖い順に
ランキング形式でまとめました。

 
 ゴーストタウンとは



ゴーストタウンとは、
街や集落に人がいなくなり廃墟となった状態です。

建物は残っているものの、人がいなくなっている
街・集落がゴーストタウンです。

ゴーストタウンになる理由には
次のようなものがあります。


・産業の衰退
・環境破壊、汚染
・行政による集団移住
(ダム建設など)
・戦争
・自然災害
・不動産投資
(地上げ)
・その他要因での移住(不便な土地など)
 

日本にも様々な理由で
ゴーストタウンになった場所があります。


 日本のゴーストタウンの
 有名&怖いランキング:44位~41位


日本のゴーストタウンの
有名&怖いランキングをご紹介していきます。

ここでご紹介する日本のゴーストタウンは、
ダムに沈んで見えなくなってしまったものなど
当時の様子がわからないものではなく、
現在でも当時の生活状況がわかるもの・
人々が生活していた様子がしのばれるものを
選んでいます。


・第44位 上野集落



上野集落は

群馬県の下仁田町西野牧にある廃集落です。
現在は廃屋が一軒建っているのみで、
そのほかの家は倒壊してしまっています。

ただ、農作業に使っていたと思われる用具が
残っていたり、石垣が確認できるので、
以前はここに人が集団で住んでいたことが

わかります。

この上野集落までの道はかなりの悪路のようですので、
しっかり準備してから行った方が良いでしょう。
 

・第43位 石裂集落



石裂集落(おざくしゅうらく)は、
栃木県鹿沼市上久我にある過疎集落です。

もともと山岳信仰があったこの地は
近代になって近隣の鉱山開発で人口が増えて、
石裂小学校が作られました。

しかし、徐々に過疎化が進み、
小学校は1964年に廃校になっています。

廃校後はこの小学校は
鹿沼市石裂寄栗地区集会施設として
使われていましたが、1980年代に
使用不可となり、周辺の住民も都市部に
引っ越してしまったために、
ゴーストタウン化しています。

この小学校の建物の隣には教員用の
社宅がありましたが、2014年に

崩壊したそうです。


・第42位 若御子集落



若御子集落は埼玉県秩父市にある廃集落です。

この集落には江戸時代ごろから人が住んでいましたが、
杉の植林事業が進んで湧水が出なくなって
しまったことや近くに浦山ダムが建設された
ことなどが影響して、住民が移住することになり、
昭和50年代に無人化してゴーストタウンとなりました。

11位の岳集落のダムを挟んで向かい側になります。


・第41位 水上温泉



水上温泉はここまで紹介してきた
ゴーストタウンのように、完全に無人化
しているわけではありません。

温泉地として観光客も訪れていますし、
旅館・ホテルも営業しています。

しかし、観光客が激減し、団体客頼みだった
大型ホテルは廃墟となり、ゴーストタウン化が
進んでいます。

廃墟となったホテルや閉店した
スナック・商店などがそのまま残っていて、
温泉街としての景観には難があり、
観光客離れが加速している状態です。


 日本のゴーストタウンの
 有名&怖いランキング:40位~36位


・第40位 真名市営住宅



千葉県茂原市にはゴーストタウンのような
市営住宅がいくつかありますが、
その1つが真名市営住宅です。

真名市営住宅は、1970年代前半に作られた
茂原市の市営住宅で、全299戸の団地と

なっています。

一時期はたくさんの人が住んでいましたが、
建物の老朽化が進んだこともあり、
現在は9割以上が空き家となっている
ゴーストタウンです。

現在は真名市営住宅は住居募集は行われておらず、
廃止が検討されている状態です。


・第39位 茂原市営住宅国府関団地



茂原市営住宅国府関団地は、千葉県茂原市国府関の
県道14号線沿いにある元市営団地です。

1970年に建築された長屋のような
平屋の公営住宅ですが、

現在はほぼ人が住んでおらず、
入居募集も行われていません。

団地内にはシーソーなどの遊具もあり、
団地完成当初は子供連れの家族がたくさん
生活していたことがわかります。

 
・第38位 ヨシガ沢集落



ヨシガ沢集落は長野県松本市にある廃集落です。
全部5軒の家があった場所で、ほとんどの家屋が
ボロボロになりながらも残っているので、
ゴーストタウンの雰囲気を味わうことが

できる場所です。
 

・第37位 高島平団地



東京23区内の巨大団地である高島平団地は、
ゴーストタウン化が進んでいる地域です。

もちろん、現在は完全にゴーストタウンに
なっているわけではありません。

しかし、一昔前の賑わいが嘘のように

閑散として、ゴーストタウンのようだと

言われることもあります。

1972年から入居が始まり、
若年層が多く入居しましたが、

現在はその住民の少子高齢化が著しく、

65歳以上が全体の4割以上を占めています。

また、1970年代から投身自殺の名所として
知られていて、入居開始から1980年代までに
自殺者は133名にも上りました。

この自殺の名所であったことも
「ゴーストタウン化が進んでいる」という
イメージがつく要因の1つでしょう。

 
・第36位 鷲見集落



鷲見集落は1960年には人口が101人がいて、
冬季分校などもある集落でしたが、
現在はダム建設による廃集落となり、
ゴーストタウンとなっています。

この鷲見集落は

映画「八つ墓村」(主演:渥美清)の
ロケ地としても使われていた場所です。


 日本のゴーストタウンの有
 名&怖いランキング:35位~31位


・第35位 角海浜



江戸時代から続く角海浜村がありました。

三方を山地に囲まれ、目の前は海という

地域でしたが、この角海浜村は

マクリダシ(波欠け)という
数十年に一度海岸の土砂を根こそぎ奪っていく
自然現象が起こるという特殊な環境だったため、
江戸時代には2,500戸ありましたが、
徐々に少なくなっていました。

そこに原子力発電所の建設計画が持ち上がり、
1974年に廃村となり、ゴーストタウンと

なりました。

現在は家屋などは残っていないようです。


・第34位 武奈集落



武奈集落は山間の集落で、
住民は農業や炭・薪の採取などで

暮らしていました。

しかし、水利・交通の便が悪く、
戦後は離村する住民が増えていき、
住民の減少により、近くの武奈分校が
1975年に閉校して、廃村となっています。

現在でもまだ建物や放置されたハイエースなどは
残されていて、ゴーストタウンの雰囲気を
味わえる場所です。

 
・第33位 利賀村水無



利賀川の最上流部にあった村で、
昭和の頃には16戸120人余りが

生活していた場所です。

集落には分校がありましたが、人口の減少で
1967年に閉校し、1970年に廃村となりました。

廃村となった後も、雪がない季節は
住民がいたようで、現在でも残っている家屋は
管理されているそうです。


・第32位 寒川



寒川は宮崎県西都市にある集落で、
1965年には50世帯211人が住んでいましたが、
1989年には6世帯13人にまで住民が減っている
限界集落となっていました。

この寒川は1960年代には農業や林業が
壊滅的な状態になり、1978年には小中学校が
閉校していて、交通の便も非常に悪く、
住民の力だけでは生活を維持することが
困難になっていました。

1986年に住民が集団移転の陳情書を出して、
寒川近くの地区に集団移転が決定し、
廃村となったため、ゴーストタウン化しています。

 
・第31位 堀向商店街跡地



もともと東京都昭島市の堀向商店街は、
1964年当時は800戸の家と50の商店などが

ありましたが、横田基地が拡張されていき、

軍用機による騒音問題が持ち上がり、

日常生活を営むことが難しくなってしまいました。

1965年から1970年代前半にかけて
住民の集団移転が行われ、

ゴーストタウン化しています。
現在は商店街跡地は整備され、植林されていて、

環境コミュニケーションセンターが建てられています。

 
 日本のゴーストタウンの
 有名&怖いランキング:30位~26位 


・第30位 東ノ川



東ノ川は奈良県上北山村にあった廃集落です。
もともと山の中にあり、現在でも携帯電話の
電波も届かないような地域でしたが、
1961年に坂本ダムが建設されて、
東ノ川のほとんどがダムの底に沈んでしまいました。

ただ、宮ノ平はダムに沈むことなく残っていましたが、
1969年には宮ノ平の住民も三重県側の尾鷲市に
移転して廃集落となっています。

この宮ノ平はまだ建物が残されていて、
2005年までは東の川簡易郵便局が
営業(現在は廃止)していましたので、
ゴーストタウンの雰囲気が漂っています。

 

第29位 島根県益田市の高島



島根県益田市のから12kmの沖合に浮かぶ島の高島は
1960年代には125名が暮らし、小中学校の分校が
ありましたが、過疎化が進んだことに加えて、
1963年の豪雪による被害・1972年の集中豪雨災害が
あったことで、1975年に全島民が
本土に集団移住しています。

それ以降は、高島は無人島となり、
ゴーストタウンになっています。


・第28位 鶴ヶ丘アパート



鶴ヶ丘アパートは雄別炭鉱から
約6.5kmの場所にある炭鉱住宅です。

1947年に社宅が建てられていて、雄別炭鉱で
働いている人たちが住んでいましたが、
1970年には全炭鉱が閉山となり
会社が解散となったため、それ以降は
ほぼゴーストタウンとなっています。

この斜め向かいには「布伏内地区住宅」という
公営住宅が建てられていて、こちらも現在は
人が住んでおらず、ゴーストタウンとなっています。


・第27位 生駒山上廃別荘群



生駒山上廃別荘群は
大阪府東大阪市の生駒山にある別荘群です。

もともとは企業の保養所として使われていましたが、
現在は放棄された状態で、ゴーストタウンと

なっています。

生駒山上遊園地から徒歩圏内にありますが、
かなり不気味な雰囲気となっています。


・第26位 八丈小島



八丈島の西7.5kmにある島が八丈小島です。

この島では戦後には100人以上の人口がいて、
自給自足の生活を送っていましたが、
電気や水道、医療施設がなく、八丈島や
本土の住民と比べて生活レベルの差がありました。

そのことから、戦後に住民の集団離島が
検討されるようになり、1969年に24世帯91名が
集団離島し、八丈小島は無人島となりました。


 日本のゴーストタウンの
 有名&怖いランキング:25位~21位



・第25位 高浜住宅 



茨城県高萩市の市営住宅の高浜住宅も
ゴーストタウン化している場所です。

1956年に建設され、314戸という比較的大きな
公営住宅でしたが、老朽化が目立つようになっています。

現在は古い団地群の向かいに新しい市営住宅が
建てられていて、古い高浜住宅は誰も住んでおらず、
入り口はベニヤ板などで閉じられて、
入れないようになっています。

 
・第24位 白鳥台団地



白鳥台団地は室蘭市の市営住宅です。

室蘭市は工業都市として高度経済成長期には
人口が増えましたが、現在は人口が減り、
市営住宅も老朽化しています。

白鳥台団地は現在も入居者はいますが、
老朽化・入居者減少のために使われていない棟もあり、
ゴーストタウンの雰囲気が漂っています。 

 
・第23位 臥蛇島



臥蛇島はトカラ列島にある無人島です。
現在は無人島ですが、1970年までは

人が住んでいました。

1945年9月の枕崎台風、

1951年10月のルース台風で大きな被害を

受けた臥蛇島は、1952年にアメリカの
占領下から日本に復帰します。

それと同時に、県知事に対して、
臥蛇島島民移住計画を提案しました。

その後も、たびたび台風で被害を受けて、
1970年に島民全員の集団移住が実現しました。
無人島になった後も1982年までは灯台の職員が
交替制で勤務しています。

現在は完全な無人島になっています。
かつての住民の住居は、台風などでほぼ朽ち果ています。
現在は臥蛇島には無断で上陸することはできません。 


・第22位 四阪島



四阪島は瀬戸内海に浮かぶ島です。

四阪島は銅の製錬事業所があった島です。
そこで働く人たちが住んでいて、
大正時代の終わりには人口は5,000人にもなり、
小学校には児童が1,000人にも達しました。

1960年代でも人口は4,000人もいましたが、
銅山の閉山などで島民は島を離れるようになり、
1988年には無人島となりました。

現在も工場は稼働していますが、以前のような
活気はなく、ゴーストタウンのようになっています。


・第21位 燐鉱石貯蔵庫跡と沖大東島



沖縄県の北大東島は20世紀初めから
燐鉱産業が盛んになり、出稼ぎ者で人口が
一時期は4,000人まで膨らみました。

しかし、鉱山は1950年に閉山となり、
現在は燐鉱石貯蔵庫跡が
ゴーストタウンのようになっています。

北大東村に属する沖大東島もリン鉱石鉱山があり、
戦前はリン鉱業で栄えていましたが、
品質が低下したことで閉山となり、

現在は無人島になり、アメリカ軍の

爆撃訓練場として使用されています。

 

 

 限界集落ってあります。

  子供が少なく、高齢の老人ばかりで、

  労働に繋がる地場産業に乏しいため、

  みんな地元を離れて行きます。

  かつて地域おこし協力隊に応募したとき、

  「あなたの住んでいるところは限界集落に

   指定されているから採用できない」

  ようなことを言われた覚えがあります。

  自分の暮らしている環境では自らの

  能力(パフオーマンス)が発揮できないから

  なのに、どんどん年老いて地元に閉じ込められて

  いるようでこのうえない牢獄生活を味わっている

  ような気分です。