久しぶりに「むかごご飯」を炊きました。
みなさんはむかごをご存じですか?
漢字では零余子と書いてムカゴ。
 

長芋や大和芋、自然薯など山芋の、
ツルや葉の付け根にできる
球状の肉芽(にくが)のことで、

ミニチュアじゃがいもみたいな見た目で
味は自然薯で蒸かすとヌルっとして同時に
ホクホクしておいしいです。

 



私は幼少期によく山に入って
日頃からムカゴ採りをしていました。

私が生まれ育ったのは
兵庫県の六甲山のふもとにある
岡本という町で
すぐ裏に保久良山(ほくらさん)という
歩いて20分くらいで山頂に行ける小さな山があり
3歳くらいから大きくなるまで
その山の中で毎日のように遊んでいました。



顔見知りのキジ、フクロウ、サギ、イノシシがいました。

春にはツクシを採り、
秋にはムカゴを採り、
冬には干し柿になるシブ柿を、
大晦日にはお正月のウラジロを山で採っていました。



神戸を離れ、名古屋に2年いた後に、東京に来て9年。
今では懐かしい郷土の思い出です。

都会の街中の生活に慣れると
以前に当たり前だったことが
そうでなくなることがあります。



ひとつは時間感覚、もうひとつは空間認識です。

私の生まれ育った六甲山系の山の中では、
時間があってないような
ひじょうにあやふやなものでした。

ひとたび山に入ると
そこは現実の世界とは完全に隔離された世界でした。



ときに、腕時計が通用しなくなります。
庭のように知り尽くしている道でさえも、
ゆがめられることは常で、
それが何が関与してどうして起こっているのかなど
理由などなく起こります。

山の軽いハイキングコースでも遭難が起こるのは、
山という場所がそのような性質の場所であるからだと思います。

人間が作り上げた幻想である都会という観念を基にすれば
不思議なところです。
地図や方位磁石が頼りにならなくなったり、
なにかに引っ張られて違う場所に入り込んでしまうこともあります。



科学で解明できないものが山にはあります。


いつもある場所が突然なくなったり、
偶然入れた場所に以降入れなくなったり
口が開いたり塞いだりしているのが常で、
その隙間のことを私は「魔界の入り口」と言っています。
蝶や鳥、たまに人間が異空間からポンと出現したりと
説明不可能なことも目にします。


わざわざ人に言うほどのことでもないので
そのまま受け入れざるを得ないのですが。

 


私が小学3年生くらいの時だったでしょうか(今から40年前です)
親戚の結婚式が六甲山頂にあるホテルであり
私も参列したのです。
式が終わり、バス3台でホテルを出て
山を下りたのですが、
最初に出た1台のバスが行方不明となりました。

どれだけ待っても麓の六甲駅にバスは帰ってきませんでした。
その時に周りの大人たちの反応が右往左往するわけでもなく
「山ではあることよねぇ」という淡々とした温度感だったことが
とても印象的でした。
2~3時間後に遅れて着いたバスは、
迷ったわけでもなく
どこに行っていたわけでもなかったそうです。



ここに住む大人たちは山に対する

共通認識があるのを確認できる出来事でした。

人が束になってもこんな感じで起こるものですから、
一人きりで些細なものも含めると
数えきれないほどの体験です。

 


そんな中で育つと、どうなるか?
すると山や土地に対する畏怖の念が生じます。

同時にこうも気が付きます。
現実に起こることが
絶対なものというわけでも
さほど強固なものというわけでもない。



この世は
目には見えない強大な力により
いかようにも変化する波間のようなもの。

人間が作り上げた(と思っている)小さな観念の世界と、
宇宙・霊域を含めた大自然の織り成すものの間には
あやふやで大きな歪のようなものが存在しています。



だから人間の創った義務にとらわれすぎずに、
自分の思うとおりを通せばよい。
自分の原動力のままに従うことで
あなただけの世界を創造することができる。

世界はそのようにできているのを
山は今もじっとそこに潜みながら
私たちに教えてくれているのかもしれません。


 

 

 

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