私が東京に来たのは6年前でした。

「いざ東へ!」という声に目覚めたその日の朝、

「東へ行くんですか?」そんな多次元とのやり取りのなか

朝食の準備をし、夫を送り出しました。

一人息子が「頭が痛いので学校を休む」と言い出しましたので、私は息子を家に置いたまま地域の資源ゴミ当番と小学校の交通旗当番も済ませてからやっと帰宅。


 

早朝に聞いた「いざ東へ」を思い出して家の中を見渡すと、もうそこは私の家という感じは微塵も残っていなくて、「ああ、今日ここを去るのだな」と直感しました。そして息子を連れて東京行きの新幹線に飛び乗ったのでした。

 

私の生まれ育ちは神戸ですが、父の出身が東京であったことから震災後に私の両親は東京に移り住んでいました。そこに身を置かせてもらうことにしたのです。

 

数日後、家庭裁判所から離婚訴訟を夫から起こされているという通知が来ました。

主婦で無職だった私が子供と一緒に暮らし続けるためには、一刻も早く安定した職に就く必要に迫られました。

 

40歳にして東京での就職活動がスタートしたのです。

 

 

子育てをしながら就職先を見つけるためにマザーズハローワークというものが渋谷にあると知りました。

担当者に状況を告げると、とても親身になって相談に乗ってくれました。帰り際、私の他に来所している人はいなかったのですが、にわかに場の空気が張り詰めました。20人ほどのスーツ姿の男性が部屋に入ってきて、何事かとよく見ると、取り囲みの真ん中は小泉進次郎さんでした。

進次郎さんは私が会釈したのに気が付き、「頑張ってくださいね」と声をかけてくれたのでした。

地方から出たたことのない私が大都会に来て現実の厳しさから途方に暮れていた時でしたから、この偶然と温かい言葉に、きっと大丈夫!と力が湧きました。

 

 

 

担当になってくれた女性は、私が足繁く通うのに合わせるように「ここにエントリーしてみない?」と明るい笑顔で準備してくれていました。病院内での勤務が多かったのですが、私が霊感のあることを告げると「じゃ難しいわね」とすぐに理解してくれて、表の掲示板には貼られていない大学や官庁、公共機関内での求人を教えてくれるようになりました。

 

エントリーして履歴書を送付し、面接の日時が決まって面接を受けに行く。2014年7月はそんな日々が続きました。

面接に呼ばれて行ったのは、半蔵門、大手門、桜田門、清水門、馬場先門… 東京観光で訪れているわけではないのに、江戸城のすべての門を制覇する勢いなのに途中で気付いたのでした。残る門は一つ。そんなタイミングで面接に呼ばれた会社は門からまったく離れた場所にありました。

 

 

地域の子供クラブが主催する夏の宿泊キャンプが山梨であり、息子は面接の前の日から新しくできた友達と山梨に行っていました。なんとなく胸騒ぎがしていたものの、ここで就職が決まらないとお盆明けからも秋に向けて就職活動が続いてしまいます。

すると明け方に電話が鳴り、「息子が友達に後ろから引っ張られて川に浸かり、その後高熱を出しているので迎えに来て欲しい」との連絡なのでした。

面接は11時。山梨まで車で往復4時間。なんとかギリギリ面接に間に合いそう…

山梨のキャンプ場まで迎えに行き、スーツに着替えたのですが、慣れない地下鉄の乗り換えに迷って結局、面接の11時に間に合わなかったのでした。

 

汗ダラダラ、化粧は崩れ、頭から湯気が出ています。そんな姿で時間に遅れての面接。

まわりは全員20代の若くて美しい女性、私一人だけが40歳の最高齢。しかも身なりボロボロ。「あぁぁもうダメだ!」

 

 

ところが、後日面接の担当であった「田安さん」から採用の連絡があったのでした。

「私の下でアシスタントとして働いてもらいます。お盆の間に会社の引っ越しがありますので出社していただくのはお盆明け、紀尾井町の新しい社屋になります。お住まいからは電車で乗り換えなしの一本ですね。これからよろしくおねがいします。」

電話の向こうから聞こえる田安さんの配慮ある優しい声が神の声に聞こえました(笑)。

 

田安?? そういえば、まだ訪れていなかった江戸城の最後の門は田安門!

田安門という場所ではなくて、田安さんという人物が最後に待っていたのです。これをもって皇居の門を巡らされるという不思議な私の旅は終わったのでした。

 

 

社会人として働くのは15年ぶり。田安さんの元で働くという日々が始まりました。

ある日、仕事で都庁の近くに用事があり、田安さんと出かけました。「忙しくてまだ東京観光もしていないのではないですか?」そう言って

お昼休みに都庁の展望台に連れて行ってくれました。

展望台から皇居の方面を見ていると、武道館が目に入りました。私はふと聞いてみたくなって…

「田安さんは田安門と何かご関係があるのですか?」

「私は田安徳川家の末裔です。武道館は自分の場所という感じはありますよ」

いつも会社を終えてから皇居ランニングしているのは、先祖の領地の見回りという感じなのかもしれません。

ご本人は意識していないかもしれませんが、ふとそんな思いがよぎりました。


先日訪れた時の田安門前のお堀。
水面全部が蓮で埋め尽くされていて美しかったです。

東京に来て、家族以外に知り合いが誰もいないところから、

田安さんとのご縁がつながり、私はこの地に歓迎されているかのような安心感を得て、ここから徐々に人との繋がりを拡大していくことになるのでした。

これまでに東京でつながった人の数は、今ではきっと武道館の収容人数くらいにはなっていると思います。

振り返ってみれば、この世の人とのつながりも、あの世の導きがあってこそ。

 

どう考えようが人とは多次元的な存在なのです。