昨日、3月以降がどうなるかわかっていない息子の保育園が決まりました。これで4月からも保育園に通わせられることになりました!
結果的には最良の選択となりまして、これによりずっと抱えていた言葉にならない不安は消え去りました。
保育園がそのまま上の学年に進級できないと知った時には大いに焦りましたが、今思えば、「ここに繋げるためのガイド総出の大芝居だったというわけね!」と深く納得しています。

 

大人でも大いなる変化に対応しなければならない時があります。子供ともなれば成長著しいわけで、昨日と今日では考えることもやることも変わってくるのが当然。どんどん個性を発揮してくるので、成長の段階に合わせてその都度対処や調整が必要な時期だということを身に染みて感じました。

 

2回前のブログで、子供の足の成長を無視して靴を買ってあげられない親について書きましたが、「自分はそんな親ではない」と高をくくりつつ、実は私も同じようなことを無意識でしていたということです。

 

 

分かっていても潜在意識からの影響により動けない、対処できないということが人には起こります。また逆に、わけもなく気が付けば行動をしてしまうということがあります。これは一体私たちの内側でどのようなことが起こっているのでしょう。

 

今年になって、私は自分についての理解を深めることで自分を通して周りをもっと深く理解したいと、資料を取り寄せたり、性格診断ワークショップに参加したりしていました。

『月の教科書』をふとしたきっかけで知りすぐさま取り寄せたところ、その内容は衝撃のもので、気軽にブログに書けるものではなく2カ月もの間言葉にならずにいたのです。

 

占星術の占いの結果といえばそれまでですが、表向きの太陽の結果ではなく、裏読みの月で読むので、思わぬ痛いところを突かれた感じなのです。


太陽が示す自分が何者なのかは(私はさそり座です)25歳くらいからの影響ですので、自分が意識的に獲得してきたものであるのに対して、月の影響(私の場合はみずがめ座)は0歳から6歳ごろの幼少期の母の存在との関係によりクローズアップされるというところが衝撃なのです。

それは母が嘘をついたのではなく、月という天体の特徴から来るものなのです。
月は太陽の光を反射して光る天体です。太陽の影であり、太陽の光とは正反対の性質を持つわけです。「
本当は何も知らないことを受け容れる」ところにありました。
どうやら私は母に注目される為に、変わったことをしなければと思い込んでいたようなのです。


これを知った今、思い返せば、確かに私は、絵を描くときに白い壁をピンクに塗ることによって母の注目を得ようとしていたように思います。黄色いネイルを塗ったり、ド派手な帽子を被って学校に行こうとする私を、母は「芸能人じゃないのだから普通にしていなさい!」と注意されたのがグサリと刺さっていたのです。
そして本当はユニークな人間ではないので、形だけのユニークさを追求することで自分の自信を失くして行く方向が加速していました。

 

書には、人に教えようとし過ぎることを止めなさいと書かれていました・・・教えないでどうブログを書けと言うのか・・・!
同じ食べ物ばかり食べるのをやめなさいとありました・・・カレーばかり食べています。
いたずらに情報網や閃いたアイディアを駆使しようとすることを止めなさいともあります。
・・・それこそが、私に望まれている事だと感じていた点なのに。これまで得意で、自分らしいと感じていた特性が、ことごとくNGとは…どういうことなのか受け入れられず、2カ月もの間、悶々としていたのです。

 


性格分析でわかったことは、「なぬーーーっ、やはり、そうなのかー?」私は無意識でいいと思ってしてきたことが、実は月の動きにより今の性格を創り上げてきてしまっているということした。

けれども「今後の成長へ向けての課題」と題して、私の痛いところを突いてきました。それは月の影響の弊害と一致しているではありませんか!

ワークショップでは、指向を理解する為にあるエクセサイズをしました。まず普段通りに名前を書き、次に今書いた反対側の手で名前を書くということをしました。

利き手で名前を書くのは自然で、何も考えずにスラスラと書けたのに対し、反対の手で書いた時には、意識して集中しないと書けず、苦労して書いた字もぎこちなくて不自然です。既に慣れ親しんで取り組みやすい思考で物事を判断する癖がついてここまで大人になりましたが、これからは、どちらかに固執するのではなく、そうではない心の使い方があることを理解して、どちらも使えるように訓練してみることをしてみようと思ったのでした。

 

これには大きな学びがあり、脳をしっかり休めるために多いに睡眠をとって臨んだ先日の対面セッションでは、私のこの決意を「それでいいんだよ」と後押ししてくれるようなセッションになりました。

 

外的志向の私が、内的志向する人を真の意味で理解するのは難しいことなのですが「本当は何も知らないことを受け容れる」気持ちで初心に帰って臨んだのでした。内的志向をする人の反応がすぐに帰ってこないことを知ったので、伝わっているか不安になったりすることなく、「考えを内省している時間なのだな」とゆったりと構えることができ、今までとは別段に親和性のあるセッションができたように思えました。ゆったりとした心地の良い時間を共有できたのです。

 

表向きには何も変化はないのでしょうが、私の中では大いに変化を感じています!