昨夏以前からブログをお読みくださっている方

から「あんなアクシデントがあってもどうして

冷静にしていられるのですか?私なんかは絶対

あんな風に淡々としていられないと思います!」

というような言葉をいただくことがあります。

 

思い当たるのは、私は20歳の時に阪神大震災に

遭い、それを乗り越えたことで鍛えられたのでは

ないでしょうか。あの時の心の傷のようなものが

癒えたと感じたのはつい数年前。それまでは随分

と長い期間を苦しんで過ごしてきたのです。その

克服に至る道を簡単にお話してみようと思います。

 

はじめは「なんとか忘れよう」と努力しました。

ところが忘れようとすればするほど、そこに意識

がフォーカスされてしまい、余計に苦しくなって

いきました。被災に関して言われたちょっとした

一言を、差別されたように感じて悲しくなったり

私にも与えられたその試練を不運に感じました。

取り返したくても叶わない亡くなった人たちや

失った物々のことを思うと、どこにも向けようの

ない怒りで常にいっぱいでした。感情は時に暴走

して蘇り、勝手にまた新たな悲話を創作します。

 

それが事実か後から出た作り話なのかの境界線も

定かでなくなってきて、ただただ自分を哀れむ

イメージで幾重にも囲い込み、身動きが取れなく

なっていました。「被災していない人達は気楽に

生きられていいよね。私が深く関与してしまった

のはどうしてだろう…」と、むしろどんどん卑屈

になっていったのです。東京に来てから、神戸市

東灘区が出身と判ると「震災で大変でしたね」と

皆さん事あるごとに声をかけてくれます。自分の

見た事や感じた事をポツリポツリと語り始めたら

徐々に感情を整理できるようになってきました。


今だから解ることですが、私は被災という事実を

常に感情を優先して捉えていたのでした。初めて

感情と事実を切り離して冷静に言葉にすることで

常に同じフィルターを通してしか見ていなかった
自分に気付いたのです。それも暗くて辛くて悲し

くなる特上ネガティブ専用フィルターでした(笑)

 

起こる物事に良し悪しはありません。意味づけを

どうするのかは各自の自由選択なのです。だから

事実を隠したり誇張したところで何にもならない

でしょう…という一種の開き直りと言ってもよい

のかもしれません。それが冷静に淡々と語って

いる私・・・と皆さんには映ったのでしょう。

 

おかげ様で息子は順調です。夫もゆっくりなら

歩いたり段々と身体を使えるようになりました。

喋り方も以前よりゆったりと穏やかになり、私は

今の話し方のほうが好きです。細かくはいろいろ

制約が増えましたが、その分ユーモアを発揮して

乗り切れそうです。何もかもが、大きな気づきを

与えてくれるため皆さんの前にも現れるのです!