占い師の日記
日々是口実
当初タイトルは「占い日記」の予定だった。
占い日記は「売らない」日記なのか「売れない」日記なのか。
どちらでもよい。
週刊であげることにする。
日々是好日が正しいのだが、
変換したら口実が出たので、
「これもまた良し」として
口実をとった。
口には実があるとの意味だ。
(3月23日からの日記を4月1日にアップした)
3月×日
高校生がやってきた。
小柄な彼女を前にして
「何を観ればいいんですか」とわたし。
なんと間抜けな質問であったことでしょう。
手の形は「真っ直ぐ」だった。
どう真っ直ぐなのかと問われても答えられない。
真っ直ぐな手に棒きれのような細い指。
気になったのは爪。
形の良い爪なのに、手入れがされていないのは、
理由があるのかどうか…。
「だからあなたは、どちらかと云うと如才ない性格で…」
と口にすると彼女が首を傾けた。
「如才ない…?」
あれれ、通じない。
「生き馬の目を抜くというか」
と言い換えて、これもだめだろうと思ったら
案の定「わからない」と素直な返事。
言葉が通じない…。
世代の隔たりを痛切に感じさせられた。
3月×日
尊富士。
タケルフジと読む。
大和尊のタケルだ。
時のひとである。
110年ぶりの大記録を達成しようという人間だ。
大相撲の幕内力士。
しかも初入幕。
初土俵から10場所目。
番付表では下っ端の平幕力士が優勝争いのトップ。
千秋楽を待たずに優勝を決める…という14日目だ。
しかしそんなに世の中は甘くない。、
大関にまで上り詰めながら幕下まで陥落した返り入幕の朝の山に
押し出されて黒星。
この取り組みで尊富士は右足を痛めた。
「明日出られるのか」
「休場するのか…」。
ところがわたしは尊富士ではなく、
この日に十両の力士と取り組みをした幕下の力士が気になった。
生田目という四股名(しこな)。
生田目…これは読めない。
読めなかったがふつうに「なまため」と入力したら「生田目」と出る。
気になったのは同じ日に行われた高校駅伝で、
この名前を見た。
彼の名は
「生田目温」という。
テレビ画面には漢字でフルネームが出ていて
アナウンサーが名を告げたが、聞き分けられない。
気になったので画数を調べたら、
姓の画数=天格つまり生田目だが、
3つの漢字が全て5画なので都合15画。
これは、良い画数だ。
周囲からの賞賛を集める徳望をあらわしている。
しかし、後から気がついた。
駅伝を走った学法石川の高校生は生田目ではなくて、
「生天目温」だった。
生田目も生天目も、ともに「なばため」と読むらしいが、
この姓が多いのは栃木県の益子焼で有名な益子だとか。
3月×日
「ええっ、センセイ、気がつかないのですか!?」
手土産にいただいた虎屋の羊羹に気を取られていたわけではない。
弁解するのではないが、わたしは老眼が進んでいる。
だから裸眼では近い距離ではいい加減な識別だ。
Aさんはあごを突き出した。
あらっ。
あごの中ほどに黒い点。
鮮明な黒の丸印。
ホクロだ。
せっかく書いて来たのに、と怒るのだが、
問題はわたしの興味ではなく視力だ。
来月からAさんは「ホクロ占い」のレッスンを始める。
そのための準備として、付けボクロ用のマーカーを見つけ、
手に入れた。
その新兵器で書き込んだ。
この会話にKさんが参加した。
「ええっ、ホクロ。わたし、あるかしら?」
そのときわたしはメガネをかけていた。
Kさんの顔を、Aさんと二人で見つめる。
ああ、あるある。
ここにも。
ほら食禄にも…。
薄い茶色のホクロ?がざっと見まわしても
4つ5つ。
ここでホクロ鑑定の基本。
目立たないホクロはホクロではない。
薄くても多くても。
Kさんにとってはホクロよりも占い師の名前のほうが重要だった。
2つの名前を紙に書いた。
「どっちにしたらよいですか」
ということで姓名判断の宿題を押し付けられた。
3月×日
浅野八郎『開運姓名判断』を読んでいたら
長嶋茂雄のことが引き合いに出されていた。
生涯、なんどとなく長島→長嶋→長島を繰り返したという事実を書いて、
長島と長嶋の画数から運気を判断しているのだが、
天格で判断するのはいま風ではない。
姓は変えられない、との観点から天格は占わないというのが
占い業界では暗黙の了解となっている。
と書いていて思い出した。
Kさんの占い師名。
その姓名判断の宿題があった。
手が空いたので、ちゃっちゃっとやってみた。
仮にAとBだとしようか。
Aは3文字、Bは2文字。
問題はAにもBにもあるのだが、
ある漢字が面倒だ。
わたしは「このはな」と読んだが、どうも違う。
しかし画数は14画。
それにAもBも総格が30と39。
どちらも良い画数だから、
あとは本人の好みの問題だ。
3月×日
雨も上がったし、ランチはどこにしようかと考えながら
『ヤバい経営学』を流し読みしていたら、
目次にこんなタイトルを見つけた。
アナリスト、星占い師、レミング。
実はみんな同類
見出しに魅かれて頁を繰ったら
なんてことはない。
ちなみにレミングは動物らしい。
楽観的に谷に飛び込むが、
飛び込んだ谷が思っていたような平和な場所ではなかったので、
自分を守るために谷から飛び出していく。
「しかし、その谷にいた企業はただ踏みつけられ、アザだらけに
なってしまうのだ」
見出しを頼りに読んだところでこんな一文があるだけである。
「株価の先行きを知ろうとするのは、星占いのようなものだ」
これはプリンストン大学の某教授の言葉の引用で、
アナリストの云うことは信用できない。
それは星占い師の言葉と同じくらいで、しかもアナリストのやり方は
レミングのやり方に似ている。
ということを云いたいだけらしい。
つまりあれだ。
『ヤバい経営学』の著者はアナリストをけなすための見本として
星占い師を引き合いに出し、やることは谷に飛びこむ動物のようだ、
と云うのである。
占い師は、こんな本は読んではいけない。
占い師に対する畏敬の念を抱かない輩には
所詮はこんな考えしか出来ないのだから。