高蔵寺 天野こうゆう住職のご登場です。
話しが盛り上がりすぎて画像ナシです(^ω^)すみません!テキストのみで。
「早とちり?」
今日は岡山駅から歩いてきました。春かな~思ったら許せる風、寒かったら寒いって言い過ぎやし、雪が大変な時は仕方ないけど、前向きに季節を楽しもう!と。なんだか先月ね、ブライアン・セッツァー引っ張りすぎてゆっくりめで登場したら「遅刻して時間伸ばしたの?」って。私は30分前にね、来てました。たぶんお坊さんが出るのにあのロック長ぇなと思ったのでしょう(笑。
昔ねコラムで「坊主丸儲けじゃない」ってタイトルでかいたら批判のお電話殺到。「坊主丸儲けとは何事じゃ!」と「じゃない」って書いてるのに見出しで勘違いしちゃう人、多いのよ。検索ワードで勘違いしてる人とか、最後まで読まんヒト多いわぁ。消化不良ですよ。
-では今朝の山陽新聞の朝刊から「LINEが3月月末まで自殺相談のアカウント創設」という話題です。
難しいねぇ。この時期、不安定になるからね、春っちゅうのはね。会話のアドバイスも難しいよ?結局、咀嚼。食べ物ポンと置かれても食べたいと、胃の中に入れたいと思わんといけんのですよ。私、こう見えても仏教テレホン相談室やってた時もあるんですよ。お坊さんばっかり、「〇曜日の〇時から座っておいてねー」って、電話かかって来るんですよ。自殺願望の方からも電話来ました。でね発見したんですけど、そういうご相談のときは「今すぐですか?そりゃ困りましたね!ほんま困った大変だ!」ってパワーを込めて「すぐですよね?すぐですよね?」って言うと相手が「いや、いや・・・・・あのもうちょっと考えます」ってなる。意外とこれが私の中のノウハウの中に生きてます。
一息入れるというのが大事。救うとか、慰めるとか言うことはなかなかできませんから。でも電話した、LINE打ってきた時点で何かしてるわけなんです。「大丈夫?うん!」っていくと「もうちょっと考えます(プープープー」ってなるわけです。自殺と言うから難しいわけでして、例えば「テンパった」なんて言う人よくいるじゃない? 「僕テンパってるんです」って言えるほどテンパってないやん(苦笑。パニくってる人が「パニくってます」って言えるかって(苦笑。これも密教の教えで出てきて、早とちりも味方にしなさい。えぇ方に早とちりしたらいいわけですよ。私は早とちりをよくするの、よい方に、というトレーニングを春にすればいいと思いますよ。だからLINEの相談でも「テレビおもしろいよ~、ラジオ聞いてごらんよ!いい曲かかってるよ~、これ好きやわ~」とか。決断って背中を押してほしいっていうじゃない、ってことは、背中を留めることもできるはずなのでね!
-後半は、こうゆうさんが「神様」に会いに行ったという話です!
高校・大学で理論とか空海哲学とか学ぶんだけど如何せん、そのころ欲してないんですよ~いかにサボろうか?体験する方が興味があって、そういうところを補ってくれるのが大学の先生でわりと可愛がってもらうことが多くて、大正大学名誉教授の福田亮成さん。「ことばのお守り」の前書きを書いてくださったので、いらっしゃる浅草のお寺にお礼に行ったんです。そしたらニコニコしながら「ちょっと上がりなさい」って応接間かと思ったら書斎、研究室に通してくださったんですよ。う~ん、もうすごかったぁ~!先生の顔見ながら時々目をそらしてどんな本があるかとか、どんな万年筆使ってるんやろか?とか(笑)スタンドも3つくらいあって「影ができないようにしてるんだよね~」とか、神様がいらっしゃるところに入らせてもらって、写真撮ってfacebookに上げたら仲間から「何してんねん」って。ちょっと震えましたよね(苦笑)
空海様31歳の時の〇〇が~「あ、あれはね」とか「私の研究ではここの確度が甘いんだよね」とか、人間極度の緊張して興奮すると眠気が来るね(笑)寝かかったもん。先生の部屋に私の桐でできた香盒があってね、私が行くから急に置いてるんではなく(笑)・・・・急に日めくりかけてくれる飲食店とかあるんですよ、あの、「天野こうゆう」で予約すると急にグッズが増えとって、とっさに行ったらなんもなかったり・・・嬉しかったね・・・。何を聞きたいか、分かっていらして、質問する前に「実はあの話はだな・・」と来るわけよ。この呼吸が心地よい、至福の時です。ただ、せっかちなんですよ(苦笑。「茶、飲め」「まんじゅう食え」「このあとビール行くぞ」
神様・福田亮成先生が前書きを書いた「ことばのお守り」で3月にご紹介したい法話をこうゆうさんと一緒に簡単に紹介しました。15歳の春、こうゆうさんが高野山高校の寮に入った時のエピソードです。初めての母親との二人旅は「祈る姿」というタイトルでその時の思い出が語られています。高野山の奥之院でお経を唱えた後もお母さんはずっと頭を下げたまま。「もういいのに・・・」と思っていた こうゆう少年が目の当たりにしたのは・・・「この子は訳あって高野山へ参りまして・・・3年は頑張ると思います・・・・決して罰は与えんでください。罰は全部私が受けますので、この子にはあたえんでください。3年間お願いします」と御大師様に祈る姿でした。
こういう場面があったんですよ、私自身、おぉ~っと感動しつつ、祈る・拝むというのは生きとる者に対してするんじゃなぁって気づいたんです。いま、死んでからこの人のこと思ってたのよアピールが激しい気がするんですよ、そうじゃなくて信仰と言うのは生まれながらにあって、基本はそこにおるがごとく、願う、祈る、語り掛けることやから・・・というのを知って、それから高野山での修業が始まるんです。そのときのおふくろの姿勢がずーーーーっとあって今に至るところはあります。だって、身代わりになりますなんて聞いたことねーでしょ?時代劇で「おとっつぁ~ん!」ってお百度踏んだり、息子のために水垢離したりあるじゃない、今はたのんどきゃ治る、合格する、みたいなのありますよね。そこを母が教えてくれた気がします。
父の怒る姿は不動明王の如く、母の祈る姿は観音菩薩のごとくって歌があるんですけど、それは感じましたね・・・・あ、まだ元気ですよ(苦笑。講演の時にね時々「お母さまの墓前に・・・」とかあって、母が怒るんですよ(苦笑。
母はね、最近知ったんですよ、この法話。母が来てる会場では喋ったことないですし。「まぁ、ねぇ。」ってお互い照れくさい。ただ宗派、宗教を超えて喜んでもらえる話になってよかったなぁって・・・・でもすごいね、やっぱ母くらいになると(苦笑。この後の、あの話はどう?この話はどう?って・・・あんた何になりてぇん?みたいな(苦笑。
ただねぇ、4月くらいからお子さんを手放す相談は私より母の方が相談に乗ってるんじゃないかな~?これから今みなさんね、わくわくしながら冷蔵庫買ったり準備してると思うんですけど、このあと来るんですよ。大事なのは「親離れ」より「子離れ」よ。残念ながら父親のことはあまり出てこないですね(苦笑。やっぱね、母親なんですよ、特に息子は。突っ張り通しても母親なんよねぇ。
こうゆうさんのお母様は美観地区の倉敷クラシカというお店にいらっしゃいます。
「なかなかクセのある人ですけど・・・よろしくお願いします(笑」