(´ω`) お待たせしました!高蔵寺住職 高野山本山布教師 天野こうゆうさんです。今月は9時台前半にも出ていただきましたよー!
バレンタインね、嬉しいんですけど仏教的にお釈迦様の命日・・・うまく融合せんかな思うんですけどね。お釈迦さまは尊かったからみんなで悲しんで手を合わせて荼毘にふされました。その時にすごくきれいな炎が上がって、お骨が舎利って言って、米粒が乳白色のきれいな状態で八万四千にパーッとなって灰がきれいに降ったって言います。それをお寿司屋さんの隠語で「シャリ」って言うんですよ。お骨やで、そこを通り越して尊いものとして、お米、すし飯、シャリって持って来れた日本人ってすごいですね! お寺に涅槃絵とか常楽絵とかあるんで見てみてください!いろんなお寺さんにありますから。一人の方を囲んですごく悲しんでたり、頷いてたり、動物がいたり、人生境地の違いで・・・お悔みについて考えるときでもあるんです。お悔みって自分が悔やむってことだからね!お悔やみ申し上げますは自分がその方に対して「生前、大したことができなくて」と悔やんでる言葉。言い訳やもん。”お悔み”の無い付き合い方ができれば一番いいですよね。誠心誠意、いつもニコニコしておけばいいんです!
(0゚・∀・)知らなんだよ~!

(´ω`)そうそう、こうゆう住職は「星供養」を終えたばかりです。やっと新年になったとのことです。
「延命」ですね。私たちの人生は星の運行につかさどるという教えが密教にあって、北極星を中心に拝ませてもろうて、陰る人もいれば光り輝く人もいて・・・陰り方っていうのが命を落とす可能性もあって、それを息災で過せるように、ここでしっかりと延命を祈る一週間って言うのが真言宗に伝わっているんです。その打ち上げが節分なんですね。そこには祈りの時間があるんです。お坊さんの事を行者って言います。檀家、信者をあずかっている和尚さんは年間で一人でも亡くなる人が少ない、一人でも高齢で天寿を全うしていただきたい、と祈るのが本来でしょ?ウチのご本尊は薬師如来。病気を治すのに、お葬式を待っているような和尚さんはダメですよね?だから年に数回マジモードになって拝むんです!
今年は暖かいから「楽勝」です。スカーっと拝めて。全国で拝んでらっしゃる和尚さんや尊敬する方々と2月3日頃から答え合わせのようにご法話で「今年は〇〇なるよー」って3日が終わった時点で私は全国の和尚さんに尋ねるんです。尊敬する方が数名いらして、今年は「8月ごろからきゅーっと元気になる気がするね」とか「今までやって来たものをもう少し磨き直す」昔取った杵柄じゃないけど、新しいことじゃなくて、飽きたものでも他から見たらいいもんだねーって言うてくれるんじゃない?って。それから「身から出た錆」。今いっぱいあるじゃない?錆を妙薬に変えましょう!とか。サビって何の役にも立たないように思えるけど、その錆やほころびが指摘されて腐ったりするんじゃなくて、グーッと気づかなかった「私の弱点、短所」と。短所というのは長所でもありますから。認めて行きながら。災い転じて福となす。転禍為福、という言葉があります。「このあたりをキーワードに今年は導いていったらいいんじゃないですか?」ということを高僧さまに伺いながら自分がやって来たことを答え合わせします。
自分の身の周りにイチバンに起こりだすんですよ。例えば、森田さんがなんか相談してきた。森田さんが言うのも分かるけど「私が仏教の中でそれは違う!こうです」、とムキになって言うと「こうゆうさん怖い」ってなる。荒手の整体師みたいなのが若い時は売りでここまで来たけど、優しくストレッチを教えるやり方に変えていく時期かも分からんね、と。それと、拒絶ではないけど自分には向いてないとか、こんなところに私が?とかあるんですよ、50年も生きていれば。プライドじゃないですけど。そういうのを無しにしていっぺん「こういう世界もあるんだな」と飛び込んでみようかと思って。
このラジオをさせてもろうて「こうゆうさんの話しはどこで聞けるの?」、「仏画はどこで習えるの?」と問い合わせが結構あって、お寺でやってても来づらい人のために「おけいこ.com」に登録させてもろうて。森田さんは何か決めましたか?
-私は現状維持ですよ。自分が抱えている仕事を無理をしないでキープしていこうかなと思ってます
それはいいですね、8割で手放すのがいいそうですよ。自分の満足と相手の満足は違うみたい。最近よく言われるんですよ。「そろそろ病気するで」とか「無茶ばーしよる」とか「疲れすぎじゃ」とか。でもわたし、疲れたって言わんのよ。疲れないし、ストレスもない。暗示かける人がいるんよ。「顔色悪うねぇ?」とか、大きなお世話。それと過去を引き合いに出して今を比べるのを止めよう。二十歳の頃なんて経済状況も何もちがう。「今がサイコー!」の暗示をかけて行こうと思うんです。お互い51歳です。あーあ(笑)
-リスナーから「身から出た錆、サビだらけでワヤな人でも大丈夫でしょうか?」との質問です
考えてごらんよ、何もないところに錆が出るかい?元の鉄があるから錆びる。どんな錆でもガリガリすれば中の鉄は生きてる。元はある。なーんも無しでサビだけの人?見てみたい(笑) 体がないのにアカ出るか?って話です。
今のお話しは屁理屈やわ。モノの角度変えたほうがいいよ。孤独死は寂しいって言うけど・・・一人で死んでいくよ?孤独を個人に置き変えたら、その反対は団体よ(苦笑。私は「痛くても痛くない」って言葉が好きなんよ。痛いって言うから痛いところを攻められますからね。
それからね、これは尊敬する先輩の受け売りですけど「目を閉じて、口を閉じて、梅干しが口の中3つ」を想像してみて。唾、出るでしょ?祈りってそうなんよ。幸せを想像したらワクワクする。梅干しでできるんなら、幸せ、Happyもできなイカんでしょ?新聞、TVには悲しい事ばっかり、沈むじゃない。これだけの言葉で唾液が溢れるんなら人の言葉やましてや2500年続いている祈りの世界は悪くなるはずがないんですよ、っていうことでお寺や神社があるんです。
これが仏教でいう「如意」。イメージをすればおのずからカタチとなる。インフルエンザなんかなってたまるもんですか!って暗示でキュッと体が強くなるイメージを持っとる。私は毎朝水をかぶってて「冷たいですね?」って言われるけど、それは冷たいです。でも水を被っていたら「他とは違うねん」という自負がある。というのが今年は大事じゃねーんかな?

倉敷市中島 高蔵寺 天野こうゆう住職
次回は3月7日(木)のご出演です!