チャッピーの短歌講評 | ウツと株とプログラミング

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うつ病で引退して、株トレードシステムを構築してたけど、ちょっぴり元気が戻ってWebデザイナーとして社会復帰しました(*'▽')/

マップ見て自販機訪ねど麦茶なし
シニアを前に一人たたずむ

あ、これ好きです。かなり現代短歌らしい可笑しみがありますね。 


マップ見て自販機訪ねど麦茶なしシニアを前に一人たたずむまず上句がいいです。「マップ見て」「自販機訪ねど」という、スマホを頼りに飲み物を探す現代の日常。


それなのに、たどり着いた自販機には目当ての麦茶がない。実際、自販機で麦茶を探すという題材そのものに生活感があります。


そして何より、 

「シニアを前に一人たたずむ」 

が効いています。 


最初に読んだ瞬間、「シニアって何だ?」となって、次の瞬間に自販機の商品名(あるいは表示)なのだろうと分かる。

ーーー僕がまもなく65歳になるという意味です(´・ω・`)


この固有名詞っぽい無機質な「シニア」と、麦茶を求めて暑い中を歩いてきた人間が向き合っている。その構図が妙にシュールです。 


しかも「一人たたずむ」が大げさなのがいい(笑)。 


たかが「麦茶がなかった」だけなのに、 


人生の岐路に立ってしまったような寂寥感。 


ここは直さない方がいいと思います。 


ーーーいや、人生の岐路に立っている僕が日常の些細な不運から我が身を思い起こしたのです(´・ω・`)


音数はかなり自由ですが、それもこの歌には合っています。むしろ「マップ見て」「自販機」「麦茶」「シニア」という現代語を、無理に五七五七七へ押し込めない方が面白い。 


私はこれ、日常の小さな敗北を詠んだ歌として結構好きです。「麦茶なし」で終わらず、最後に「シニア」と対峙している自分の姿をカメラで引いて撮ったように見せたところが、この一首の勝ちどころですね。 


ちなみに「自販機+日常のちょっとした不運」は現代短歌とも相性のいい題材で、歌人芸人の岡本雄矢も「飲み物を求めて自販機を探す」という日常の不運を短歌の題材にしています。


これは推敲しすぎない方がいい歌だと思います。ちょっと間の抜けた感じまで含めて味です。


ーーーいや、結構マジで歌ったんですけど(´・ω・`)



道端に干からびをりしキリギリス
我に青春ありしかと問ふ

これは、先ほどの「麦茶」の歌とはまるで違いますね。


こちらはかなり重い。


そして、私はこのまま残してよい一首だと思います。 


道端に干からびをりしキリギリス 

我に青春ありしかと問ふ 


特にいいのは、「青春は終わった」ではなく「青春ありしか」と問うているところです。 


「青春はもう戻らない」なら老いを詠んだ普通の回想歌になり得ます。でもこの歌は、 


そもそも自分に青春なんて、

あったのだろうか。 


と問い直している。 


しかも、その問いを呼び起こすのが、美しい夕焼けでも昔の写真でもなく、道端で干からびて死んでいるキリギリスです。 


ここが強烈です。 


キリギリスにはどうしても「夏」「歌う」「遊ぶ」「生命を謳歌する」といった連想がまとわりつきます。


文学的にもキリギリスは、楽しみ、生命、そしてその終わりまで背負いやすい虫です。


その虫がもう鳴いていない。 


しかも、 

「死にたるキリギリス」 

ではなく、 

「干からびをりし」 


なのがいいですね。乾燥して小さくなった亡骸を実際に見た感じがある。観念から作った歌ではなく、目の前の小さな死から、突然自分の人生へ視線が跳ね返ってきた歌になっています。 


そして文法的にも、 


ありしかは「あり+き+か」で、「あったのだろうか」「あったのか」という過去への問いとしてきれいに収まっています。「問ふ」と旧仮名遣いにしているので、ここも調和しています。 


音を拾うと、 


道端に(5) 

干からびをりし(7) 

キリギリス(5) 

我に青春(7) 

ありしかと問ふ(7) 


きれいな五七五七七です。 


これはかなり大きいですね。内容は「自分の人生に青春はあったのか」という重たい問いなのに、器は端正な定型。


その冷静さがかえって怖い。 


さらに「キリギリス/我に」と、三句と四句の間に大きな断絶があります。 


道端の虫 → 自分の一生 


この飛躍を説明していないのがいい。 


「干からびたキリギリスを見て、自分も老いたと思った」なんて説明した途端、歌が痩せます。読者にその距離を飛ばせている。 


青春を「過ぎ去って二度と戻らないもの」と捉える短歌の伝統もあります。


永田和宏も青春と短歌の結びつきについて論じています。


でもこの一首はもう一段ひねっていて、失った青春を惜しむのではなく、その存在そのものを疑っている。 


そこにこの歌独自の寂しさがあります。 


先ほどのマップ見て自販機訪ねど麦茶なしシニアを前に一人たたずむが「老いの日常をちょっと笑って眺める歌」だとすれば、こちらは同じ一人の人間がふと足元を見た瞬間、 


「ところで俺の人生って、何だったんだろう」まで落ちてしまった歌。 


私は今回の一首、かなり好きです。「干からびをりし」を綺麗な言葉に替えないことと、「ありしか」を「ありしや」などにいじらないこと。 


この二つは特に、そのままを推します。



ーーーうーむぅ……。チャッピーにはまだ短歌は無理かな(´・ω・`)