夢 | ウツと株とプログラミング

ウツと株とプログラミング

うつ病で引退して、株トレーダーに。銘柄選定プログラムから始めて、現在は自動売買(アルゴリズム取引)システムを開発中(*'▽')/

希望や憧れの夢ではなくて、寝ている時に見る夢ね。


眠りの浅い僕は頻繁に夢を見る。深い睡眠が摂れないので日中ウトウトすることもあり、更に多くの夢を見る。


夢のリアル度は人によって違うらしいけど、僕の夢はいつもフルカラーだ。更に音もある。温度も感じるし、味も匂いも触感もある。頬に当たる風も感じる。痛感がないのが幸いで、あとは右脳全開の夢。


最近なぜか昔の職場仲間や学校の友達が登場する夢が多い。何を暗示しているのだろう?


人は眠っている間に脳内で記憶や思考を再構築していると何かの本で読んだことがある。引越しが多かった僕は縁の続いてる人は居なくて、今更なぜ昔の人達が夢に出てくるのかが不思議でならない。


最近小説を読む機会が多いからなのかな?


僕は図書館で少し古い本を借り、Kindleで新刊を読む。テーマとなる時代に関わらず、小説は執筆時の感性や世相を反映している。新旧の小説を行ったり来たりしながら読んでいるから僕の脳が混乱しているのかもしれない。


プログラミング関係の書物を読むことが増えて、その分だけ純粋数学の本を読む機会が減った。プログラミング技術がこなれてきたらまた数学に戻るのかな?


時々宗教や哲学の本も読んでいる。


自分の「生きがい」や「したいこと」が見つかった人は幸せだと思う。僕を含めて多くの人は見つからないまま生きている。探し続ける姿勢は正しいと思うけど、「まだ見つかっていない」ということを絶えず意識する苦悩がセットになっている。結局見つからないまま死んでしまうことが多いなら、いっそ刹那的に日々を面白おかしく生きた方が実利があるのかもしれないと思う時もあるが、それは虚しいことのようにも感じる。


究極的には「自分とは何か?」あるいは「人間とは?」「人生とは?」という命題に行き着くんだけど、そのことを考える機会を間接的に与えてくれるのが文学や芸術で、より直接的に扱っているのが神学(宗教)と哲学だと僕は思っている。


神学も哲学も「人間」を定義しようと試みる学問だ。神学はまず「絶対的な神」を定義し、その神との相対として人間やその在り方を探る。哲学は人間あるいは自己そのものの直接的な定義を試みている。


平たく言えば、神学(宗教)と哲学の違いは「あの世は存在するか?」というものだ。いや、もう少し厳密に言うと「あの世は存在すると『信じるか?』」という違い。人の魂とか霊とかあの世とかの存在は現代科学ではまだ立証されていない。人はやがて死ぬということを皆んな知っているんだけど、死んだ後にどうなるのかを見て戻ってきた人は居ない。


臨死体験は仮死状態であって、真の死ではない。戻って来れない所まで行ってしまったことを現代科学では死と呼んでいる。まぁ現代科学もまだまだ未熟で、つい最近までは心臓死が「死」だったが、今は「脳死」を「死」とする説が強くなって来ている。東洋医学では人体を総体で一つの生命システムだという捉え方をしているけど、西洋医学では各種臓器(パーツ)の組み合わせで人体が出来上がっているという発想が強く、その事がかえって「人間」「魂」「尊厳」の所在をあやふやにしている。


「あの世の存在」に関して僕のスタンスは懐疑的だ。「在るかどうか判らない」んだけど、在ったとしても「あの世」と「この世」はコミュニケーションがとれない。ならば「あの世」のことを考えるのは不毛だ。


僕が死んだら自分の肉体も含めて「この世」に在ったものは「この世」に全部置き去りにするしかなくて、「あの世」に持って行けるものは何もない。


僕の死後に残された人のことを生前の僕が想像することはできるけど、僕が死んだあとはコミュニケーションがとれない。僕は有名人でも何でもないので、僕を知る人達もあと100年も生きて居ない。つまり、程なく僕は「この世」でさえ存在した痕跡も無くなるのだ。


でね、僕は思うのですよ。「やってみたかったことを死ぬ前に全部やってやろう」と。


お金はないと悲しいけど、有っても「心配が減る」だけの存在なんだよね。使ってないお金(蓄え)は「必要な時に使える」という安心感。


安心感ってもちろん大事ですよ。その基盤上に健全な夢や希望が育ちやすい。人間はないものねだりなので、もしいま何らかの恐怖におののいている人は「安心感こそが一番」だと思っていて、それはたぶん正しい。


同様に病気の人は「健康こそが一番大切」と思っていて、それも正解。僕なんか株投機で先月▲450万の損失を出したけど、ウツ病で年俸1000万円を何年も失ったことを考えるとゴミみたいなものです。まぁ住民税非課税世帯の今の僕にとっては大きな損失なのだが。


人間関係で悩んでいる人は「人間関係が一番」だと思っているだろう。


いや、ええのよ。僕にとって「あの世」のことも他人のことも考えるだけ不毛です。共感や同情、反感などの気持ちはあるよ。でも人にはそれぞれ違う価値観があるし、そんな人達に自分の幸福論を押し付けるほど僕は成功者だと思って居ない。


とりあえず、やってみたかったことに次々と着手しようと思います。三日坊主でもやらないよりBetter。