田舎が崩壊している | 世の中ウオッチング

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世の中のチョット気になる出来事を観察してシニアから一言。面白い、楽しい事ばかりでなく、「問題だね、おかしくない?」も拾い上げて行きます。
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 突然、郷里から電話がかかってきた。郷里の「川・溝さらえ作業(地域住民の共同作業による)の分担金を払って欲しい」との世話役からの要請です。毎年のことだから驚かない。

 しかし、郷里に本籍地は置いてあるものの、現住所は異なり、家は解体して更地となり誰も住んでいない。僅かな田畑は相続をしたものの手入れもしないまま放棄している。手を尽くして探しても耕作してくれる人は見つからず、放棄せざるを得ないのです。現在は、休耕田などときれい事では済まされないほど雑草が生い茂り荒れ果てている。

 郷里に生活実体が全くない小生に、作業欠席の代わりに分担金を払えというのはいささか無理がある。無理があるのは承知で毎年払い続けています。

 郷里の人口は激減、作業の担い手が足りない事が分かっています。子どもの頃育った懐かしい故郷が寂れ、荒廃に任せるのはなんとも寂しく無念と思うからです。

 小生が中学生の頃は、5クラス250人は在籍していた。団塊世代の弟に聞くと7クラス350人程度の児童数だったという。それが現在は60人少々で2クラスしかないという。高校・大学に進学し大都市や地方中核都市に就職して帰ってこないからです。地場産業がない。農業や漁業では生活できない。確かな働く場がないから帰りたくても帰れないのです。

 お墓参りに帰省する際は、バス路線が廃止されタクシーかレンタカーを利用するしかない。絵に描いたような限界集落になってしまった。自分の生まれ育った田舎は、“歴史的な八幡宮がある”、“海がきれい”、“自然が豊か” といっても何の経済価値もない。朽ち果て消え去ろうとしている。

1990年代半ば、”故郷回帰を訴求した”郷里の県庁出稿の新聞広告『東京卒業』は共感の手紙が約3千通寄せられ、熱いメッセージが書籍となって出版されるほどの反響を呼んだ。だが、何の実も結ばなかったということなのか。未来は何処へ!政治に何か期待できるだろうか?