五輪談合は必要悪~無理な発注が談合を招いていないか? | 世の中ウオッチング

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   3月1日付け朝日新聞朝刊のトップ記事は「五輪談合 広告業界ぐるみ」。記事には、「東京地検特捜部が、広告最大手・電通グループなど6社と各社の担当幹部ら6人、大会組織委員会の大会運営局の元次長・森泰夫容疑者の計7人を独占禁止法違反(不当な取引制限)罪で起訴したと

ある。

 同日の社説で談合の弊害を「主催者と企業が一体化し、取るべき手続きを踏まずコストを引き上げた」と書いている。自由競争という市場原理が妨げられたという指摘である。

 不思議なことに受注側ばかりでなく発注社側も談合に加担している。これは談合と言うべきではなく、「発注側からの依頼を受けて、受注側が集まって協議をした」というのが適切ではないか。協議の議長が電通であったと言うこと。

 発注側も談合に加わっているというのは、依頼内容が容易に遂行できない、複雑で調整を要することが理解されていたからではないか。また、これほどの大事業を大会運営局の次長クラスに決定権を委ねていたとはとても思えない。起訴はこれ以上上位の関係者に波及しないよう大会組織委員会と地検との間に暗黙の合意があるのではないかとさえ疑ってしまう。

 次に、テスト大会、本大会の運営業務はオリンピックを事故無く成功に導くには、避けて通れない業務ではある。しかし、不当な取引をしてまで獲得したい、おいしい(高収益が見込まれる)仕事だったのだろうか。受注企業に名を連ねることのブランド効果は見込めよう。しかしその効果を数量的に把握するのは容易ではない。

 同日の朝日の社説は「競技団体は、組織・イベント運営にたけた人材がそういるわけではなく、組織も脆弱だ」と述べている。その上、体育会体質の大会組織委員会からの依頼は時に合理性に欠ける場合もあろう。発注側が万全でなければ、受注企業側の負担は大きくなる。

 次の不思議は、コスト計算をする場合、担当者の能力と所要時間をベースにしたフィー制度のような明確な基準に基づいていたのかということ。担当者の能力によりできあがる作品(仕事の内容)は、絵画の例をあげるまでもなく価値の差が大きい。フィー制度の難しさも相まって日本のビジネス風土に定着しているようには思えない。談合によるコスト引き上げの根拠が曖昧なままではコストアップという名分は通らなくなる。

 談合の一因に「業界コンプライアンス意識に欠ける」という指摘があり、その事例として業界の商慣習である「まわし」「買い切り」が挙げられている。「まわし」はこの業界に限らず、元請け、下請けの構造としてごく普通に存在するから殊更問題視することではあるまい。「買い切り」についても誤解がある。通常、媒体費は広告会社が立て替えて媒体社に先払いする。広告出稿後に広告会社の責任で広告主から媒体料金と手数料分を回収する。料金回収リスクは広告会社が負うのである。「買い切り」は媒体のある広告スペースや時間枠を広告会社1社が独占的に扱うことをいう。これにより媒体社は媒体売り上げを確保できる一方、広告会社は自社の責任で広告主を見つけ、販売しなければならない。広告主が見つからない、或いは支払い能力が無ければそのツケは広告会社に回ってくる。広告会社ばかりに独占の旨味がある訳ではない。従って一方的に、悪しき商習慣とは言えまい。

 

 要は、今回の五輪談合起訴は、「発注側の大会組織委員会の脆弱性を問わず、すべて受注側の広告会社6社の責任と見なしている」ことが不思議でならない。このような事態が続けば日本における世界的なスポーツ大会の開催に赤信号が灯るに違いない。