明治時代の日露関係と今 | 世の中ウオッチング

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 『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』(久野明子著、1988 中央公論社)の文中、ロシアについての記述があちこちに登場します。捨松の夫、大山巌が義和団事件の頃陸軍参謀総長、日露戦争時は満州軍総司令官だから当たり前ともいえます。

 以下引用です。

 「『義和団の乱』以後、ロシアは満州の治安を維持するという理由で軍隊を撤退せず、そのまま居座り満州を占領する形になっていた。これを快く思わない日、英、米から圧力を受け、ロシアは明治三十五年の四月、『満州還付に関する協約』を結び十月までに三回に分けてロシア軍を満州から撤退させることになった。しかし、ロシアは第一期の撤兵は協約通り行ったが、第二期撤兵を突然中止した上、増兵を行い朝鮮との国境近くまで威圧してきた。さらに、清国政府にたいし門戸開放、領土保全の二大原則をまったく無視したような要求まで付きつけてきたのである。」 (中略)

 「明治三十六年の夏から、時の外相小村寿太郎はロシアの駐日公使ローゼン相手に何回となく交渉を重ねたが、日本が最初の提案から多大の譲歩をしたにも拘らず、ロシア側からは満足な回答を得られなかった。年が明けた一月十三日、小村は前日行われた御前会議で決定された最終案をローゼンに手渡したが、ロシアはその回答を遅らせたまま一月末になると鴨緑江方面に軍隊を進め、更に二月になるとウラジオストックに住む日本人に対して退去を命じて来た」(前掲書238p)

 

 なんだか現在の「ウクライナ侵攻」や「プーチン大統領が『サハリン2』運営会社の資産を露側の新会社に移管する大統領令に署名」等に重なります。

 武力を背景にした傍若無人な態度や行動、領土的な野心、国際ルール無視、更には有無を言わさぬ権益の没収等。時代は経てもロシアという国の本質は何ら変わっていないと思ってしまいます。

 ウクライナ侵攻は今や消耗戦の様相、その日々の刻々に貴重な人命が失われ施設が破壊されつつあります。

 7月3日付の「朝日新聞グローブ」第258号の見出しには、「金は剣より強いのか~経済制裁が変える世の中」という見出しが目につきます。

 この見出しの通りならとっくにウクライナ侵攻は終戦、悪くとも停戦になっているはずと思うのですが、この見出しほどに「経済政策は効果を発揮していない」と思わざるを得ません。

 翻って10日は参議院議員選挙の投票日です。憲法問題も経済政策も論戦が盛り上がつているようには思えません。

 ウクライナ侵攻は遠い異国の事でしょうか?グローバル化の今日、我関せずでは済まされないでしょう。

 それにつけても女子留学生第1号の大山捨松の気概と行動力には「恐れ入谷の鬼子母神」です。