4月6日(水)の朝日新聞夕刊一面トップの見出しは、
ゼレンスキー大統領は、安保理で訴えた
「安保理が保障せねばならぬ安全保障どこに」
「国連解体する覚悟はあるか」世界に行動迫る
ゼレンスキー大統領の叫びと歯がゆく、悔しく、そして憤っていた我々の心の内を朝日新聞は端的に、見事に活字にしてくれました。
先日の仲間の集まりで、「夕刊はつまらないから取るのを止めた」、「イヤ、高々500円/月の違いだから継続している」と散々な評価だった夕刊。
この日の見出しだけは「未だ、価値はある」と見直しました。
ロシアのウクライナ侵攻により戦場となったウクライナの諸都市の惨状は目を覆いたくなるほどです。
平和で美しかった街が一般市民が、戦争に巻き込まれるとはこういうことか…と。
記事中、大統領が「各国が自国の安全を確保するために、国際法や国際機関ではなく、武器の力に頼るという結末が待っている」語ったとあります。
正義や倫理、或は明文化された条約が、武力の前には全く無力。人間が最も大事にしてきたはずのものが意味をなさないとは、絶望感に襲われます。
国連は第2次大戦後の戦勝国の互助組織なのか?常任理事国が戦争を引き起こせば、国連は止めることができない、安保理も全く機能しないのなら、国連の存在価値はない。
国の経済的利益を守ることが最優先となっている現状では、正義も人道主義も口先だけのきれいごとに思われてくる。
国家間の争いは経済力・技術力を基盤にした武力に優れた国だけが勝利し、支配するというのは、大統領の言葉を待つまでもなくまぎれもない真実。大国のルール破りは、手の施しようがない。
あれこれ議論している内に、街は破壊され、人は死んでいく。
さて、平和憲法に守られた国の行く末はどうなるのでしょう。
そして、この新聞の記事見出しが、どれほどの説得力を持ち、平和を守るエネルギーを生み出してくれるのでしょうか。空しい期待に終わらぬよう願うばかりです。