わたしの実家は、太平洋戦争が始まっ

た時、神戸市の都会から田舎の方に

引っ越しました。

 

人に貸していた3反程の田圃を田舎に

引っ越した時、返して貰ったのでしょう。

 

母はお嬢さんの状態で育った人で

農作業など出来る訳でなし

父は公務員で2時間くらいかけて通勤

していたので、日曜日は寝ていました。

 

そうそう~おねがい

わたしはそんな父を見て育ったので

男の人は日曜日は寝てるものと思っていました。

 

それが、結婚してダンナが日曜日に

寝てないのにビックリしたのだった。

 

 

 

当時の農家はモチロン機械化されてる

訳でなく田植えも脱穀も手仕事でした。

 

神戸でお店をしていた祖父も

引き上げて来て同居しました。

 

その頃の思い出って、何一つ

嬉しい事はなく、思い出したくないガーン

 

 

結婚する時その家から出立ったのです

から農繁期には田圃も手伝わされたのです。

 

だから・・わたしの中では

農業・・がトラウマになって

土を弄ることを身体が拒否しました。

 

いつかも書きましたが、絶体田舎を避

けて都会で生活していたのに・・

田舎に縁があるのでしょう。

 

現在も、農地に囲まれた土地で生活しています。

 

 

只、子どもの頃に沁みついたトラウマは

今も、わたしを取り付いたままで

止むを得ず、草取りをしたりしますが

空き地に野菜を植えて収穫を喜ぶって、ないのです。

 

 

でも~今日、娘が植えてくれた2本の

トマトから、ピカピカしたトマトを

収穫した時、何かの感動を覚えました。

 

わたしも何かを植えて収穫を喜ぶ、

心の余裕がないといけないのだわ~って。