清商を作った名将を偲んで… | 旦那さんに気持ちを理解してもらえる伝え方コンサルタント。お菓子教室 寺島 正美のブログ

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旦那さんが、「もっと理解してくれたらいいのになぁ」というあなたのための、気持ちの伝え方コンサルタント:寺島正美です。
そんなあなたに、西八王子で、奥様とお菓子教室通じて、円満な夫婦関係のコツをお伝えしていきます!(仮)


〈憧れのユニホーム…〉


大瀧雅良さんが亡くなられた。


1975年、昭和50年生まれの私にとっては、


マラドーナなど世界のサッカーではなく


国内でアイドル的な存在だったのは、


清水商業高校(以後、清商)から、


日産、そしてマリノスと活躍した


山田隆裕選手だった。


まるで、名波選手との攻撃は、


マンガのキャプテン翼みたいだった。


翼君岬君のゴールデンコンビ。


そんな清商の監督が大瀧雅良さんだった。


私が高校3年の三学期が始まる頃。


絵に描いたように、


コタツに入ってみかんを食べながら、


清商で同じ年の川口能活選手の出場する


高校選手権を観ていた私が、


3ヶ月後に、


アルバイトながら、


サッカー雑誌の記者になれた。


もちろん、


Jリーグや日本代表を担当するなんて出来なかったが、


社会人〜少年世代まで、


アマチュアの試合を取材する許可いただき、


会場に足を運んだ。


そんな中、


1995年9月の全日本ユース選手権(現在の高円宮杯)に。


その夏の、U17日本代表で、


小野伸二・小林久晃などのタレント軍団は、


順当に勝ち上がり、


西が丘サッカー場での準決勝に。


ただ、そんな中で違和感があった。


「少しだけ、ゆっくり攻めてる?」


私が知る清商は、


どちらかといえば堅守速攻のカウンターサッカー。


イメージの話ばかりで申し訳ないが、


その堅守速攻に比べると、ゆっくりな気がした。


相手は、わずか1ヶ月前、


インターハイで敗れた市立船橋(冬の選手権優勝)。


どちらかというと、


市立船橋が、このような戦術だった。


そして、


山田・名波選手の頃の、高校サッカー史上歴代ナンバー1チームよりも、

ゆっくり攻めている気がした。


観客からしたら、嬉しい。


だが、


とてもとても違和感だった。


堅守速攻を目指すなら、


時間がかかり過ぎている。


こんなサッカーをしていたら、


特に夏場、


通常40分ハーフが、5分短く、


35分ハーフになったりしたら、


一つのミスが命取りになる…


その時、仮説を立てた。


全日本ユース選手権は、


大人と同じ、45分ハーフ。


まさか、


大会の試合時間に合わせて、


パスの数から攻め方まで変えているのか?


短い試合時間なら、


より、少ないパスでシュートを目指す。


45分なら、


小野伸二・小林久晃選手などの


技術を活かしたパスワークでサッカーを作る。


そんなコト、一高校のチームに出来るのか?


仮説を立てて


試合後、囲み取材をされる大瀧監督の元へ。


しかし、質問が出来ない。


プレス証をさげたサッカー雑誌の記者ではあるが、


当時、私は19歳。


監督を囲んでいる中には、


私でも知っている有名な記者さんがいて、


そんな中で、


子供のような私が質問していいのか?


「そんな、素人みたいな質問、


見ていれば分かりませんか」と言われ、


監督の一言一言に集中される記者さんたちの時間を奪わないか。


結局、その場では、何も言えなかった。


しばらく、選手たちのインタビューに集中し、


一段落した後。


西が丘サッカー場は、他の競技場のように、


関係者入口を入ると、


左右にそれぞれのチームの控え室がある。


ちょうど、


その突き当りで、一人、大瀧監督が、


ネット越しに第2試合をご覧になっていた。


ここは、恥を忍んで聞くしかない。


プレス証を示しながら、


「すみません、先ほどお聞き出来なかったんですが、


普段と比べると試合時間が長いのは、


何か戦い方に違いは出ますか?」


今、思い出しても、

緊張していて、何を聞いているのか、


自分の言葉を自分の耳で聞いて、


「変な質問しているなあ」なんて思っていたところ、


大瀧監督は、


「90分は面白い。試合を作るコトが出来ますから」と、


とても優しい口調で話していただけました。


私が、


記者席で思っていたようなコトを伝えると、


「静岡の代表として挑む以上、


下手な試合は出来ませんから」と。


恐らく、


普段指導している清商サッカー部の選手よりも


頼りなく見えただろう19歳の私。


子供にしか見えないけれど、


プレス証を下げてるから、


「適当に、答えておけばいい」ような、


そんな私に、


大瀧監督は、


一つ一つ丁寧に言葉を選んでお話して下さいました。


怒る時は、とても厳しく、


スタンドにいても、


その声が聞こえてくる、あの監督が。


このメリハリが、


日本サッカー史上、


高校最強チームを作った要因なのか。


「すごい人だ」と思った。


翌日の決勝も、


マリノスユースに危なげなく勝利。


そして、


それでも謙虚に、


「マリノスさんは、


昨日、私たちの後に試合をされ、披露が残っていた。


うちにハンデがあった分の差ですね」


教師という立場もあってか、


元々の人間性か『公平性』を大切にする分も、


しっかりとお話され、


サッカーへの思いをとても強く感じた。


ちなみに、


大瀧監督が定年を迎える前年の2012年。



最後の高校選手権静岡予選決勝のスタンドには、


日本代表のサポーターたちが清水に集まり、


「敬意」を示し、


清商応援席から声援を送っていた。


その人間性の賜物だと感じた。


改めて、


御冥福をお祈りいたします。