
<一枚の板>
こんばんは、寺島正美です。
今日は、三鷹市にある「モリスケ」というカフェに行きました。
そこで、
しみじみと、
「あ、大量生産、大量消費の時代は終ったんだなあ」
と実感したんです。
お店は、消防署の隣にありました。
一階はケーキ屋さんと厨房。
二階がカフェでした。
お店に入ってすぐに、
このプレートが売っていました。
「オシャレなカフェだから、こういうの商品になるんだあ」
なんて思い、それにしても、
「右半分には何を乗せるんだろう」
て思っていました。
販売しているプレートには、
コーヒーカップもクッキーも乗っていませんでしたからね。
そんなことを何となく思いながら2階で「コーヒー」を注文しました。
それで出てきたのが、
このコーヒーとクッキーです。
もう、
「やられた!!」
て思いました。
そのスペースに、クッキー一枚!!
絶妙なバランスと、
考案者のアイディアが凄いと思いました。
■ついつい詰め込んでしまう。
私は、
食べ放題のお店に行くと、
お皿いっぱいにお料理を乗せてしまいます。
そんな人の感性では、
この発想はあり得ません。
無駄だと思ってしまうから。
スーパーの、野菜つめ放題みたいな感じですね。
袋が破れるギリギリまで、「詰め込め!」て感じ。
私は、
しばらく、
「どうしてこのプレートと配置で提供しよう」と思いついたのか
しばらく考えました。
見れば見るほど分からなくなります。
そして思ったのは、
「もう一人ひとり求めるものが変わったんだ」
ということでした。
■求めるのも変わったのなら、与える側の思いも変わる。
こんなプレートでコーヒーを出されたのも初めてでした。
というより、
こんなお店に辿り着いたのも初めてです。
自分では、
もう
均一のなモノを「大量に早く」提供する時代ではない
と言っていますが、
現実のそれを体験していなかった。
このお店の人たちは、
この配分を考えている時、
「とっても楽しかっただろうなあ」
て感じました。
だって、
コーヒーカップやソーサーなんて、
世に余るほど売っているんですから。
そうではない選択を自分たちがしている時の喜びとは
「格別だろうなあ」て。
だからこそ、私も、ここまで驚くんだなあ。
なんとなく、
既にあるモノて、
常識的にやっていれば「事足れり」ていう気がしてしまいます。
でも、
機械的に出来ることにこそ、
真剣に考えを出し合うことで一線を画すことになる。
無駄だと言われたら、思ったら、感じたら、
無駄以外の何物でもないですけどね。
それを考える、この一手間こそが、
「とっても大切なことなんだろうなあ」
と、
と、
コーヒーを飲みながら思いました。
人は、一人ひとり違います。
どんなにまとめようとしても、
人の感情をコントロールすることは出来ません。
でも、
楽しみを提供することは可能です。
受け入れられるか受け入れられないかは別として。
「それを考え続ける人でありたいなあ」と、
三鷹駅のホームで考えました。
今日もご覧頂き、感謝です。
ありがとうございます(*^▽^*)

「モリスケ」
東京都三鷹市下連雀4-15-26