唐突ですが、
「記憶がない」てありますか。
こんばんは、寺島です。
さて、
私は、どんなに酔っぱらっても、
記憶がなくなることはないのですが、
一度だけ、
記憶がないことがあります。
それは中学一年の頃、
ほんの少しだけ、問題児扱いされたことがありました。
自分で書くくらいですから、大したことはありませんよね。
学校の名誉がありますので具体的な事象は書きませんが、
とある問題が起きました。
呼び出された生徒たちが、
「学校外に口外しないから、事実を教えてほしい」
と言われて、反省文を書かされました。
そして、私の文を読んだ先生が、こう言ったのです。
「これは、事実が書いてあるだけで、反省の言葉が一言もない」
これが、とても引っかかりました。
「え、口外しないんでしょ。つまり、
先生たちは管理不十分の自分たちの行動は処罰されないんでしょ。
なのに、生徒は怒られるのか」
こんな、
人としてふざけた話はないと思い、
「書き直し」と言われ、まったく同じ文を書きました。
二・三人先生が入れ替わりで、寺島少年を説得に来るのですが、
一人一人、言う言葉が違うし
結局は、先生たちは制裁は受けないけど「お前たちを指導されなくてはいけない」という口調で、
「反省」を促すのですが、
こっちもそんなことに付き合ってはいられません。
そして、最後に担任の先生が登場しました。
なぜ、担任の先生が最後になったのかは謎ですが、
それからの記憶がないんです。
先生が図書室にいる自分の前に座ったのは覚えているのですが、
その先が、「すとん」と抜けてるんです。
気が付いたら、泣いていたんですよね。
なぜ、泣いていたんだろ。
結局、謝った記憶もないし、「反省してるのか」と説教されたとも思えなかった。
三年前に
帰省した時に、その先生に会いに行きました。
そして、
「先生は何て言ったか覚えてますか」
とお聞きすると
「忘れた」
だって。
でも、
その頃はたくさん問題が起きていたから
「大人からすれば、数ある問題の一つ程度のことだったのだろう」と。
まあ、そうでしょうね。
でも、寺島少年にとっては一大事でしたけど。
「でもな、」
先生は、
「たぶん、怒ったり、謝れて言ってはいないと思う」
と言われました。
「『お前自身が、将来、振り返ってみてどう感じると思う』と
質問はしただろうね」
そう言われて、忘れ去った記憶が微かに思い出されました。
「誰かに謝るんじゃなくて、自分に問いかけてみろ。
この行動を良かったと思えるか」て。
真剣に自分に伝えている当時の先生の顔が浮かびました。
やっぱり老けるよな。
20年前だし。まあ、自分も「おっさん」になりましたけどね。
でも、とてもすっきりしました。
嬉しかった。
そうだよな。
「悪い」でも「良い」でも、判断するのは自分自身。
他の先生は
この「物事への自覚を促す行為」を蔑(ないがし)ろにして
自分(大人・教師)たちにとって都合の悪い行動をしたから
「お前が悪い。謝れ」になってしまっていた。
でも、担任の先生は、
「お前が自分で考えることだろう」と言ってくれた。
大人が指導しなくてはいけないと考えるのか
自主性を大切にするのか。
一人の人間として、
あなたなら、どちらを選ぶでしょうか。
だからと言って、その後、
改心したとかそんなことは少なかったのかも知れませんが、
それはとても大切な言葉になりました。
「先生も、変わったタイプの教師なんですね」て言ったら、
「娘にも同じように言われる」と、笑ってました。
「会いに行って良かったなあ」と思いました。
本日もお越しいただきありがとうございます。
そうか、この頃、既に
未来を想像させる体験に感銘を受けていたんだ。
それをわざわざ時間を作り、確認に行ったんだなあ。
なのに、私も、多くの先生と同じように、
「悪いことをしたんだから反省しろ」的なことを
後輩や年下の人たちに言ってしまっていたなあ。
反省。
