唐人屋敷跡巡り
5月5日に唐人屋敷跡を久しぶりに訪れてみました。
長崎市の中華街からすぐ近くにある、観光地の一つです。
看板の拡大
隷書体で書かれています。
近くの薬局の看板には篆書体が使われていました。
屋敷跡その1 土神堂
堂内に机?みたいなのがあり、そこにも篆書が。
招財進寶(宝)
金運を招き寄せる吉祥紋だそうです。
建物の瓦の瓦当
この福は楷書ですね。
屋敷跡その2 天后堂(てんこうどう)
楽善好施
善を楽しみ施しを好む。
善行を楽しんで行い、人を援助することを好むという意味だそうです。
福縁善慶
福は善行や慶びによってもたらされるという意味だそうです。
篆書巡りになってしまったようです^^;
これらをヒントに篆刻作品を作れば、県展で中華人民共和国駐長崎総領事賞を受賞できるかも(笑)
この辺りは狭い幅と石段が組み合わさった道、いわゆる昔ながらの長崎を代表するような生活道路になっています。
正面は1番目の土神堂です。
その奥左上の建物は、おそらく活水女子大学じゃないかなと思いますが
ひょっとしたら海星高校かもしれません^^;
まあ、どちらかでしょう(無責任)
5月5日の記事はあと1回続きます。
では。
自衛隊の車両が展示してありました
5月5日のこどもの日に県書展を見に行ったんですが、美術館前の広場に
自衛隊の車両が展示していました。
自衛隊の広報活動と、隊員募集を兼て行われていたようです。去年も開催されていたので、毎年の行事なのかもしれません。
小さい子供用に制服の貸し出しがあり、それを着ての写真撮影会も開催されていました。
装甲車両
陸自なのに衣装が海自(笑)
ま、かわいいから何でもいいんですが^^
タイヤがデカい。22インチだったかな?
当たり前なんだけど外板が厚いです。
それにしても、視界悪そう^^;
一番驚いたのはリアサス
おそらくウイッシュボーンサスなのではないかな
やはり悪路走行のため独立懸架サスなんですね。これも考えたら当たり前だけど(笑)
ちなみに車両重量は4.5トンで燃費はリッター4程度と言ってました。
排気量は不明ですが、4も走るのか!
というのが素直な感想です^^;
パジェロもありました。
装甲車を見た後だとパジェロがジムニーくらいに感じますw
10(ヒトマル)式戦車でも展示してくれればいいのにと思いましたが、実現したとしてもせいぜい佐世保の相浦駐屯地か大村市の大村駐屯地になるだろうな~
行くけど(笑)
では。
深堀地区の散策
長崎市深堀町は佐賀の鍋島藩が納めていた時期があり、武家屋敷跡なども残っています。
言葉も長崎ではなく佐賀弁の影響が残っていましたが、現在は無くなってしまったかもしれません。
第一の目的は、『深堀十人義士の墓』が深堀町のお寺にあり、それの見学です。
これまで行った事が無く初めての事なのですが、近所過ぎて行かないってあるあるですよね(笑)
ちなみに深堀十人義士は赤穂浪士四十七士のモデルになったともいわれています。
詳しくはこちらをどうぞ(ウィキペディア)
造船所のクレーン
長崎のお墓
〇〇家の墓や南無阿弥陀仏などの文字をお墓に刻みますが、そこに金箔を貼るのが長崎のお墓の特徴。
あと、墓の敷地が他の地域と比べて広いようです。
一般人のお墓
ちょっと裕福な家のお墓
武家屋敷跡
十人義士のお墓があるお寺
十人義士のお墓 15基ありました。
鍋島藩代々の墓もありました。
やはり広さが桁違い。
中国人の墓もありました。
甲羅型が中華圏の特徴のようです。
道教ではお墓をとても大事にするようで、家以上にきちんと管理していたと、何かの記事で読んだことがあります。
道教が廃れた現在の中国ではどうなっているのかは知りません。
深堀の港
正面に軍艦島(端島)が見えていますが、ここからだと軍艦には見えないかな。
日本初の鉄筋コンクリートアパート部を拡大
遊漁船を更に拡大(デジタルズーム)
アパート(手前)と管理職の高級アパート(上の建物)及び端島神社跡(上部右端)
今回あらためて近所の深堀地区の歴史が分かり、感慨深いものがありました。
では。