脱自己否定お茶会をやったのが
去年の5月で、


2回目を開催しようとしたけど
人が集まらず。


以降は自分から何か催しをしようと
思うこともなく、


くすぶり続けていた真顔もやもやもやもやもやもや


それこそ、


「このままじゃダメだ!」


「このままの自分じゃダメだ!」


と強く思いながら。


だのに、


全然行動できなかったし、


そもそもやる気もアイデアもなかった。


ただただ、


このまま・このままの自分じゃダメだ!


と自己否定するだけだった。


このままの自分でもいい!と
思うために、


このままの自分でもいいのだからと
寝たきりで過ごしてみたりもした。


でも、


このまま・このままの自分じゃダメだ!


としか思えなかった。


動きたいのに動けない、


動かなきゃいけないのに動けない、


そんな自分や、


望む現実との落差が
どうしても許せなくて、


何度も何度も死にたくなった。


死んで何もかも終わらせたかった。


特に、


希望のない未来を終わらせたかった。


絶望しかない未来から逃げたかった。


金が無い。


収入が無い。


孤独。


どうしたらいいかわからない。


どうしたいのかわからない。


これ以上生きて何になるのか。


生きてても苦しいだけなら、


どう考えても死んだほうがいい。


死んでも誰も悲しまない。


でも自殺はまた失敗するだろう。


事件、事故、災害、テロ等に
巻き込まれて死にたいと強く願った。


何度も何度も何度も何度も願った。


殺人罪で死刑にしてもらおうか・・・


なんてことも何度も考えた。


だが結局は、


考えるだけで何もできなかった。


そりゃそうだ、


ポジティブ方向にすら少ししか
振れない俺が、


ネガティブ方向に振り切れるわけがない。


マイルドな絶望に浸って、


劣等感と虚無感と孤独感にジワジワ
蝕まれて死んでいくんだろうなと
感じていた。


*★*:;;;;;:*★*:;;;;;:*★*:;;;;;:*★*:;;;;;:*★*:;;;;;:*★*


転機になったのは、


人はなぜ自分を責めるのか?


を電車の中で考え、


仕組みを見つけたあの瞬間。


見つけた後も死んで何もかも終わらせたいと
考えなかったわけではないけど、


あの瞬間は間違いなく転機だった。


自分の行動すべての理由が
わかってしまい、


その理由への応対にすべてが
ゆっくりとシフトしていった。


状況は当時よりやや悪化している
にもかかわらず、


今は死んで終わらせたいとは
思わない。


そんな暇はない。


今の俺には、


やるという選択肢しかない。


だから、


できるか・できないなんて考えてないし、


やりたいか・やりたくないかも考えてない。


やるだけ。


目の前にどう考えても楽しいことが
あったら、


やるしかないっしょ(ノ-_-)ノ


そして、あろうことか、


嫌で嫌で仕方がなかった自分、


葬り去ってなかったことにしたかった
自分のすべてが、


他に類を見ない財産であり、


同じパターンに苦しむ人にとって
蜘蛛の糸になると確信してしまったから。


もうやらずにはいられない。


とはいえ、


無所属・無資格の怪しい中年に
人が助けを求めないのは日本一
よーくわかっている。


でも、


だから何?


そんなのは今の俺を止める理由には
ならない。


誰も来なくても、


やる。


やりたいから。


この上ない練習になるしねキラキラ


で、


その後もまたやるだけ。


飽きるまで何度も。


何度も何度も何度も何度も。


誰も来なかった・・・_| ̄|○


やっぱり俺は価値ないんだ・・・_| ̄|○


誰からも愛されてないんだ・・・_| ̄|○


なんてネガティブ解釈して
堕ちてる暇はない。


無理なくゆっくり、


一つ一つやっていくだけだ(ノ-_-)ノ


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


まとめてみた。