鉄腕錦を破った増沢潔の偉業/増沢の勝利を断言した黒崎健時の眼力/他
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10・7「キックボクシング祭り」
~シリモンコン追悼&増沢潔、サミー中村両氏を称える~
8月急逝したムエタイの帝王シリモンコンさんの追悼と元全日本キックボクシング連盟初代ウェルター級王者増沢潔(山田)&サミー中村(ルンピ二―・スタジアム公認レフェリー)のお二人を招きその功績を称える2大イベントです!
"特別ゲスト"藤原敏男&猪狩元秀両氏
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日時: 2018年10月7日(日)13:00~15:30
会場: 銀座セントポールズサロン
〒104-0061中央区銀座5-5-1ニュー銀座千疋屋ビル6階
※東京メトロ銀座線銀座駅B5出口直ぐ
TEL:03-6264-5672 FAX:03-6264-5673
MAIL:st.pauls.saloon@gmail.com
会費: 男性5,000円 女性4,500円(食事+飲み物付き)
定員: 37名限定!
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【お問合せ・お申し込み】
メール/LINE/messengerのいずれかで「参加希望」明記の上住所/氏名/年齢(任意)電話番号を以下までご連絡ください。
㈱アッパー
〒151-0066渋谷区西原2-2-4
upper@lapis.plala.or.jp、sf.upper@gmail.com
TEL:03-3469-0620
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■[随感]秋彼岸、名女優また去りぬ
~秋の気配に北海道の友を想う~
~樹木希林さんの死去に~
■[足跡]10/7キックボクシング祭りに寄せて
~鉄腕錦を破った増沢の偉業~
~増沢が勝つと断言した黒崎会長~
~先制左ハイキックはコーチの一語~
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[随感]秋彼岸、名女優また去りぬ
秋の気配に北海道の友を想う
9月もこの所の早朝はひんやりとして来た。ラジオ体操に出かけるときは一枚羽織る。月初めの頃、命を絞って梢で鳴いていた孤高のアブラゼミも姿を消して、公園はしじまを取り戻した。今週末は秋彼岸、地元代々木八幡宮のお祭りも控える。夏祭りも良いが、豊作を祝う秋の祭りは風に揺れる軒先の提灯が哀感を誘う。彼岸が過ぎれば豊饒の候、好きな信濃路を気ままに旅したいといつも計画を立てるが、一度も実現をみない。今年気が進まない訳は、北海道の地震、友の困った顔が目に浮かぶ。 おのればかり楽しんでもいられない、という心境。
樹木希林さんの死去に
樹木希林さんが死去された。享年75才、2005年に乳がんを患いその後全身がんであることを公表して、尚活動を続けた凄まじい役者魂を我々に見せつけた。女優では乙羽信子、杉村春子、北林谷栄に並び称される憑依の演技が出来る人で、こういう基礎がしっかりとした女優が次々に鬼籍に入ってしまう、誠に残念である。富士フイルムCMは希林さんだからこそ味があった。「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに。」はいつまでも印象に残る。遺作となった「万引き家族」は未だ見ていない。じっくり見たいもの、故人を偲んで。
[足跡]10/7キックボクシング祭りに寄せて
鉄腕錦を破った増沢の偉業
10月7日に開催される「キックボクシング祭り」の主役は二人、元全日本キックボクシング連盟初代ウェルターC増沢潔とタイ国陸軍系ルンピニー公認レフェリー、サミー中村の両氏。今回は増沢潔さんをご紹介したい。彼の最大の殊勲は、あの電光回し蹴りと鉄腕でスター街道を驀進していた錦利弘(協同)を2度までKOしたことだ。日本テレビと東京12チャンネル(現テレビ東京)で全日本キックボクシング連盟の旗の下、統一戦が行われたのは1971年(S46)夏から秋、予選を勝ち抜いた8階級の決勝戦が行われたのは同年11月5日、日本武道館。
中でも注目されたのはウェルター級錦利弘×増沢潔戦。下馬評では圧倒的に錦選手だった。私も駆け出しのフリーライターだった頃で、後楽園の横を通り抜け住宅街の中にあった旧田辺ジム跡の協同ジムへ錦の稽古を取材に通ったものだ。その甲斐あってか本邦初のキックボクシング特集号(日本スポーツ出版社S45年ゴング7月増刊)に「”鉄腕錦”はこうして生まれた!」の4頁、署名入りで掲載された。
これが縁で私はゴング編集部に就職できた。だから錦選手はある意味縁結びの神なのだ。当時私は両国の義兄宅に居候していたが、本社ビルの竣工式にも彼は来てくれた。そんな経緯もあり心情的にも私は錦勝利で疑わなかった。それがどうだ。僅か108秒、錦は砕け散った。増沢の先制左ハイキックからのパンチの連打、それは悪夢のようなシーン、錦ファンへの葬送のゴングだった。私も唖然とした。翌年3月、増沢の初防衛戦で再戦した両者だったが、今度も96秒で3度のダウンを奪い増沢が返り討ちにした。錦は言う「増沢は私の人生を狂わせた。」
増沢が勝つと断言した黒崎会長
話は前後する。初対決の直前、リングサイドでデイリースポーツ近藤敬運動部長(私を引き立てて呉れた恩人=故人)と私、それに目白ジム黒崎健時会長が、錦、増沢どっちが勝つか侃侃諤諤遣っていた。「じゃ近藤さんも舟木さんも錦が勝つというんだね、どうして錦が勝つの?マスコミがそれでいいの?」と先生は皮肉な笑みを浮かべた。「先生、錦でっしゃろ、増沢が勝つとでも言われるのでっか?」近藤部長はそんな関西弁で切り返す。「まあ、見てごらんなさい、増沢が勝つから。」結果は黒埼先生のいう通り。今更ながらその眼力に驚いたものだ。
増沢が幸運だったのは山田ジムの門を叩いたことだ。同ジムはタイ大使館に勤務する山田正さんがオーナーで、本邦初のムエタイジムとしてトム・スイリーコーチを専属で置いていた。選手名バイヨク・ボーコーソー、沢村忠とも何度も戦った名選手、コーチとして増沢潔、フライング・ジャガーの初代全日本王者2人、佐藤正信、土谷亮ら最強藤原敏男を脅かす選手を次々に育てたこと、名伯楽というのはトム・コーチのような人を言うのだろう。因みに私も1年半山田ジムに在籍したOBである。
先制左ハイキックはコーチの一語
その信頼するトム・コーチが錦との第1戦を前に、増沢、左ハイキックを最初に出せ、と一言云った。いうがまま、増沢はためらわずに放つ、これが錦の右首筋へ、錦は辛うじてブロックしたものの、その衝撃で我を失い、増沢はこの一撃でリズムに乗った。一気呵成に錦を攻め左ストレート、フックを畳みかけ首級を上げた。バズーカ岸浪に初防衛戦で不覚を取ったが、その後は一念発起、20連勝と増沢君は只者ではないことも証明した。生涯戦績67戦47勝(40KO)19敗1分け。名選手である。
あれから47年の歳月が流れ、増沢君も今年古希を迎えた。69~71年前半、私はフリーライターとして人生行路は苦労の連続、そういう時代にキックと巡り会い格闘技編集者の道を得た。オーバーラップしてくる。敗れた鉄腕錦も栄華夢幻の如くであったが、ある一時期ファンを熱狂させてくれた。人生は狂ったかも知れないが、キック史に残る数々のシーンを私は忘れまい。錦利弘君よ、胸を張って歩めよ。10月7日はこの錦を2度撃破した男を称える日である。山田ジムOBよ、集え、グラスを高々揚げよ!
錦利弘をKOで下した増沢潔。歓喜のセコンド陣!

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