眼力流石、鬼の黒崎/週一ランチの友・元リングサイドクラブ大友氏/元ランカー岩佐氏は建設業社長 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

眼力流石、鬼の黒崎/週一ランチの友・元リングサイドクラブ大友氏/元ランカー岩佐氏は建設業社長

<次回イベントの案内>
舟木昭太郎トークとオークションの午後PART13
「アッパー新年祭り」

藤原敏男、猪狩元秀両レジェンドを迎えて新年を盛大に祝う!
増沢潔、ミッキー鈴木、武藤英男、土屋ジョー、金沢久幸の元チャンプも参加!


<お申し込み・お問合せ>
㈱アッパー
TEL,E-mail,LINE,MESSENGERいずれでも可。
TEL:03-3469-0620 E-mail:sf.upper@gmail.com
注:早々に満員御礼、締切が予想されます。応募はお早めに!

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[随感]お年寄りに告ぐ
~厳冬は猛暑に通じる~
[天才」公式戦で佐藤名人を破る
~藤井総太は将棋界のアインシュタイン~
[懐古]増沢潔に敗れたその後の錦利弘さん
~私の人生は増沢によって狂った~
[飲み会]増沢潔さんを囲む
~栄光の日々を語る~
~黒崎健時会長は勝者ズバリ!~
[朴訥]キックボクシングの元ランカー
~岩佐正夫さんは建設業社長~

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[随感]お年寄りに告ぐ

厳冬は猛暑に通じる

週末12,13日は殊の外寒く太極拳する指先が凍えるように冷たかった。 家を出るのは5時25分だが外は闇の中、寒いのか猫の鳴声もトンと聞かない。天空には蛾眉の月、まだ街灯も煌々と明かりを放つ住宅街を公園に急ぐ日々。新潟では豪雪で電車が停まったまま乗客は24時間も閉じ込められた。これだけ科学が進んでいるのにどうにもならないとは、自然恐るべしだ。アメリカではフロリダでも何十年振りとかで降雪があり、氷柱が街角の噴水で見事なオブジェを見せていた。厳冬は、猛暑の夏に繋がるとは昔から定説だ。とくに今年の夏は特にお年寄りは用心していた方がいい。


[天才」公式戦で佐藤名人を破る

藤井総太は将棋界のアインシュタイン

凄い天才が現れたもんだ。藤井総太4段、29連勝のあとは何と佐藤天彦名人まで倒してしまった。驚天動地とはまさにこれ、将棋界のアインシュタイン、まだ童顔の中学生15才だぜ。折しも津江章二著「藤井総太 名人をこす少年」(日本文芸社1300円+税)~藤井総太、連勝劇の裏側と強さの秘訣~を読んでいた。表紙には賞状を手にする少年総太君のあどけない笑顔、この少年がプロデビュー1年で名人を下したとあっては、異変。次は2月17日、朝日杯準決勝で国民栄誉賞の羽生善治名人と当たる。凄いことになった。

因みに津江章二さんとは旧知の仲である。その津江さんから、この度藤井総太の本を出しました、というメールが届いた。私が読みたいので買います、と返事を出したら丁寧なメモを添えて上梓したのを早速送ってくれた。「舟木さんとボクシングの本を作ったのが今役立っています」試行錯誤で発行した「日本名ボクサー100人」(日本スポーツ出版社)がそれ、でこの後「世界名ボクサー100人」と続いた。

いずれも津江さんと、私の合作。雑誌は予想を超え売れた。この種のものは、本邦初出版だったからだ。津江さんは、共同通信に席を置きながら徹夜で手伝ってくれた。ボクシング、プロ野球、そしていまは囲碁・将棋チーム編集長と多彩な経歴で、将棋の本なのにボクシングや野球の話題が散りばめられて読んでいて楽しい。将棋はアマチュア四段、豊富な知識とその温厚な人柄で棋士たちの絶大な信頼を得る。彼の情熱の一冊、どうぞご愛読を!


[懐古]増沢潔に敗れたその後の錦利弘さん

私の人生は増沢によって狂った

つくづく最近思うに格闘技の編集者を長くやってきて良かったな、と思う。その延長線上に「舟木昭太郎のトークとオークションの午後」があり、毎回のイベントで暇を持て余すこともない。今回で13回を迎え先般は40年以上のキャリアを持つキックボクシングのファンだという印刷会社会長の大友勝さんに、イベントで出会った。最近は週一で昼食を共にして頂いてる。伺えばキックのリングサイドクラブの一員だったそうな。社長さんしか入れない特別な集まりで、選手を厳しく監視していた。的確な叱咤激励、リングサイドから発す切り裂く声は、試合の花であった。

その大友さんから思いがけない事をお聞きした。「しばらく前のことですが、新宿で偶然に錦利弘君に会ったんです。立ち話だったんですけど、彼はこう言うんです『私の人生は増沢(潔)によって狂わされてしまった。』と。寂しそうでした。」キックボクシングの勝敗が選手一人の人生までも左右するとは、何とも複雑な心境である。敗戦の十字架を背負いながら生きる錦織利弘(本名)さん、試合の事は忘れて。
改めて、鉄腕・錦と謳われた、あの勇姿を顧みる。勝負の敗者が、イコール人生の敗者ではないのに、錦君は自縛から逃れないでいるのだ。「我々(リングサイドクラブ)は、この試合はゴングの舟木さんならば、どう書くだろうと、毎月ゴングを楽しみにしていましたよ。」の言葉には胸が熱くなった。懐古談は私にとっても勉強になる。大友さんいつも私の知らないこと教えてくれ、ありがとうございます。


[飲み会]増沢潔さんを囲む

栄光の日々を語る

9日には、お世話になる銀座セントポールズサロン森社長の招待でその増沢潔さんを囲み銀座の夜を楽しんだ。私の他にセントポールズサロンで手伝う町田礼一さん、彼は増沢と同じ山田ジムで稽古していた。
しかるに話は弾んだ。石川県(増沢さんの出身)の吟醸酒持参で杯を重ねボルテージは上がり、錦との二連戦、当時の状況などたっぷり聞かせてもらった。

勝者増沢の人生は、錦とは正反対に陽のあたる坂道で「錦に勝った後は、3人のスポンサーに毎晩交代で接待され、クラブやキャバレー三昧、夢のような生活を送りました。彼女も何人にもできました。ファイトマネーは、タイトルマッチで50万、ノンタイトルで30万(1971~1974)でした。スポンサーからのご祝儀は出るしキックボクサーになって良かったとつくづく思いました。ただ、チケットが私でも手に入らず苦労しました。」まさに天国(増沢)と地獄(錦)というわけだ。


黒崎健時会長は勝者ズバリ!

そこで追記、錦×増沢第1戦を近藤敬さん(デイリー・スポーツ運動部長)と黒崎健時目白ジム会長、私の試合前のやりとりを再現してみよう。近藤部長が「先生(黒崎会長)勝つのは間違いなく錦ですやろ?」(近藤部長は錦と同じ愛媛県)と自信たっぷりに先生に向かって言った。
「舟木さんは?」先生が私に問う。
私も「勿論、錦でしょう。」これを受けて先生は薄笑いを浮かべて言った。「いいの?マスコミがそんなことで。賭けてもいいよ、増沢が勝ちます、あと30分後にそれが証明されますから、篤とご覧になって下さいな。」
結果はその通りだった。小さな巨人・大沢昇、日本人初のムエタイ王者・藤原敏男を生み出した鬼の黒崎、眼力流石であった。私は全てに於いて頭が上がらない。


[朴訥]キックボクシングの元ランカー

岩佐正夫さんは建設業社長

こんな華々しい話題ではないが全日本キックボクシングJ・ウェルター級で活躍した仙台青葉ジムの往年の名選手岩佐正夫さんには、心打たれた。次回のイベントでチラシ&ポスターへの掲載をお願いした。それに対して二つ返事で了承してくれたことだ。正直そんなに旧知の間柄ではないのに、朴訥で人柄が滲み出た応対は近来味わうことなかった清々しいものでした。

岩佐さんは地元宮城県亘理郡で、総合建設業を「岩佐組」を営む社長。キックボクシングを糧に事業で成功している、嬉しい話だ。岩佐社長ありがとうございました。広告と聞いて、またぞろどこぞの広告屋さんが蠢くのかな。広告を労せずものにする。黒崎健時会長御健在(闘病中)なれば、きっとこういうだろう。「このウスタワケ!広告なんていうもんは、身を粉なにして足で歩いて取るもんだ、それが出来ないならやめちまえ!」

人生に感動あり、また嫌悪感あり。その落差に味があり発奮ある。今回はキックボクシングに纏わる隠れた逸話を長々綴りました。いかがでしたか。


津江章二著「藤井総太」本、タイムリーに世に出た。

 

鉄腕錦を二連破した元全日本ウェルター級初代王者

増沢潔さん。

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