ユー、オイシイネ。ユー、スキデショー。日本ボクシング界の恩人はうどん好きだった日系ハワイアン/他
<イベント案内:アッパー新年祭り!>
UPPER PRESENTS
「舟木昭太郎トークとオークションの午後 PART5」
2017年第1弾は、花の銀座で愉快な新年祭だ!
ゲストはお馴染みの藤原敏男さん!
トークショーあり!恒例のオークションもあるよ!
[主催:株式会社アッパー]
日 時:2017年2月11日(土・祭)13時~15時30分
会 場:銀座「セントポールズサロン」 ※東京メトロ銀座駅B5出口すぐ
電話--03-6264-5672
住所--〒104-0061中央区銀座5-5-1 ニュー銀座千疋屋ビル6階
参加費:男性5,000円 女性3,500円 (食事+飲物+カラオケ含む)
定 員:35名限定 ※収容人員に限りがありますので、お申込はお早めに
[お問合せ・お申込み]
メール/FAX/LINEのいずれかで「参加希望」と明記の上、住所/氏名/年齢(任意)電話番号を以下までご連絡下さい。
㈱アッパー 〒151-0066東京都渋谷区西原2-2-4
upper@lapis.plala.or.jp TEL:03-3469-0620 FAX:03-3469-0685
--------------------------------------------
■[随感]寒波到来で感じたことは
~早朝の運動は生気を養う~
■[移転]トラブル続きの豊洲市場移転
~移転は100年の計を以て為すべき~
■[鍋]寒い夜は鍋に限るの追憶
~うどんが好きだったレジさん~
--------------------------------------------
[随感]寒波到来で感じたことは
早朝の運動は生気を養う
日本列島に寒気が襲った、14日から3日間は、流石に早朝のラジオ体操は手先が凍るように冷たく公園に人も疎らだった。北日本から東日本の日本海側は、大雪でテレビに映る光景は、これは同じ日本の気候かと驚かされた。
そもそも大学入試センター試験の時期になると決まって天候が崩れるのだから皮肉なもんだ。北国の受験生から比べたら、東京の寒気はぬるま湯みたいなものであろう。
だからして、少々手がかじかむといって太極拳やラジオ体操を休むは、恥ずかしい。第一、まだ夜が明けきらない空中には、まん丸の鏡のような月があり、これは早起きの者だけが享受する特権、心清々しくなる。生気が湧いてくる。
早朝体動かすは則(すなわち)生気を養うこと。私も70才を過ぎて、宇宙空間に突入する準備を心がける時である。その飛び立つエネルギーこそが生気だ。生気を養って、来たるべき時には「達者でポックリ」天国に行きたいものだ。
[移転]トラブル続きの豊洲市場移転
移転は100年の計を以て為すべき
豊洲市場の移転問題は完全に暗礁に乗り上げた。市場の地下水が基準の79倍の有害物資(ベンゼン)出たそうだ。小池都知事も「想定を超す数値にある種驚いている」そもそも、東京ガス工場の跡地だったことが、間違いだったのだ。当時の都知事は誰だっけ?
何故俄かに、かくも高い値が出てきたのだろうか。過去9回の調査のうち、7回の数値は低く報告されている。あるいは、過去7回の調査会社は、データーをごまかしていたとも受け取れる。穏やかではない数値だ。新たな複数のデーター会社を採用して、徹底的に調べる必要があろう。
それでも、営業開始前に発覚してよかったのではないか。豊洲移転は遅れ必至なのは当然で、この際、あらゆる角度から調査して、食の安全を保証されない限り断固移転は、中止すべきものである。
生鮮食料品を扱うのだから、些かでも疑問ありの、見切り発車は、取り返しのつかない悔恨を残す。豊洲市場の移転は、都民の生命を守るという観点から、100年の計で以て為す、それが当り前ではないか。小池都知事よ、生半可で妥協してはならない
[鍋]寒い夜は鍋に限るの追憶
うどんが好きだったレジさん
鍋の季節だ、寒い夜は鍋に限る。妻が正月の残りものが沢山冷蔵庫にあるので、今夜は在庫整理です、味の方は期待しないで、と野菜をたっぷり入れた土鍋をコンロにかけた。福島の田舎から送られてきた白菜が溢れんばかりに鍋を満たす。
頃よく仕上がったので、うどんを入れた。鶏肉が大層な出し味になって、うす塩の味がうどんに滲み込み、何だかどこぞで食べたうどんすきに似ている。はて、どこで食ったかな、と思い巡らせるうちに新宿西口の「三国一」(さんごくいち)のうどんすきが思い当たった。
同時にレジ・一ノ瀬さんの子供のような笑顔が浮かび上がってきた。そうだった、昭和40年代まで、レジさんは協同ジムのプロモーター兼トレーナーで、日系アメリカ人(ハワイ)というのに、うどんが大好き、しかも三国一がお気に入りだった。(いまもその場所で営業中)
当時協同プロモーションの営業本部長神村栄一さんや広報担当木暮さん、経理担当榎本浩さん等と、我々マスコミとの懇親会を開いてくれたものだが、決まって店は「三国一」だった。理由は「レジさんが好きだから」
ユー、オイシイネ。ユー、スキデショーといいながら、盛んにうどんを勧めてくれた。レジさんは、我々マスコミにとっては、よき好々爺であった。
レジさんには、もう一つ外人音楽家の呼び屋としての側面があり、「波路はるかに」の名曲で知られるビリー・ヴォーン・オーケストラは、同氏がプロモ権を握っていた。また幅広い人脈からボクシングのマッチメーカーも手掛け、多くの日本人の世界戦を実現した。
ボクシングと言えば、同氏のお兄さんがサム・一ノ瀬さん。ダド・マリノを擁して、白井義男の日本人初の世界王者への道を開いてくれた人だ。謂わば日本ボクシング界の恩人である。
かのレジナルド・一ノ瀬さん、余生を故郷のハワイで過ごすために、その後日本を離れた。私は何度かハワイを訪れたが、逢いたいと思ったときには既にお亡くなりになっていた。
碧い海と、ブーゲンビリアに包まれたハワイは、あの笑顔がよく似合う島である。ユー、ゲンキネ、といまにも天空から呼びかけてくるようだ。うどんすきに、込められた私の忘れ得ぬ追憶は、やはり格闘技と共にある。
たわわに赤い実をつけたピラカンサ!
住宅街に1本の夏ミカン!
DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部 絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
