広島・黒田の無私の精神は哲学に通ず/障害者の戦いに畏敬の念/わが心のキックボクサー⑬ニシカワジム | 舟木昭太郎の日々つれづれ

広島・黒田の無私の精神は哲学に通ず/障害者の戦いに畏敬の念/わが心のキックボクサー⑬ニシカワジム


「舟木昭太郎のトークとオークションの午後」パート2は、シュートボクシング創始者シーザー武志会長を迎える「CAESAR'S DAY!」(シーザーの日)

「舟木昭太郎トーク&オークションの午後」PART2は、シュートボクシング協会シーザー武志会長の全面協力を得て、10月22日(土)午後1時~3時30分、渋谷区富ヶ谷「麗郷(レイキョウ)富ケ谷店」で”シーザーの日”開催の運びとなりました。限定50名、先着順ですので、お早めに、シュートボクシング協会並びに㈱アッパーにお申し込みください。

シュートボクシングは昨年2015年、創立30周年を迎えました。「創業は易く守成は難し」の言葉通り団体が生まれては消えゆくなかで、シーザー武志会長率いるシュートボクシングは続いています。花も嵐も踏み越えての30年、共に語れば、歴史が見える。皆様の参加をお待ち申し上げます。

 

↓9月19日(月・祝)後楽園ホールで開催される

 『SHOOT BOXING 2016 act.4』のポスター

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[随感]市民球団が優勝した
~黒田の無私の精神~
[パラリンピック]障害者の戦いを見よ
~健常者は何もしていない~
[軍事]中国、北朝鮮が日本の軍拡に寄与
~核戦争も現実味を帯びてきた~
特別連載 「わが心のキックボクサー」⑬ニシカワジム
~藤原選手の最後の相手足立~
~パーヤップ×向山の死闘~

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[随感]市民球団が優勝した

黒田の無私の精神

広島カープが四半世紀振りにセ・リーグを制した。所謂市民に根差した球団が、大企業をスポンサーに持つ企業に勝った事に意義がある。

私は日本のプロ野球を見る事はほとんどない。ましてや贔屓の球団があるわけでもないのに、優勝が決まった試合だけは見た。黒田投手の歓喜の瞬間を見たかった。

先発黒田が投げて2点取られ、どうかなとテレビを離れていたら、広島の勢いはいまは違う。忽ち逆転した。普段テレビを見ないから、巨人も広島も知らない若手の選手が沢山いた。

ストッパーがきっちり抑え、ドラマチックな瞬間がやってきた。果たして黒田投手はどんな振る舞いをするんだろう、と注視していたら、歓喜の輪の中でストイックな男は新井と抱き合って泣いていた。

これなんだ、黒田が大リーグの20億の誘いを蹴り広島に戻ってきたのは、この感激を古巣の後輩たちと共に味わいたかったからなのだ、と私は勝手に解釈し柄にもなくもらい泣きした。

大リーグで5年連続の2桁勝利、それもドジャースとヤンキースという屈指の名門チームで、本来ならカープにいるような選手ではない。

人生金が全てじゃないというように、野球人生の最後をカープに託した願いが、これなんだ!黒田の思考回路は、まさに哲学に通ず、無私の精神そのものだ。

その無私の心がカープ若手の精神的支えとなり優勝に繋がったと思える。今年はオバマ大統領が広島にやって来た、そして25年ぶりの優勝、県民は勿論、被爆された方々も心底喜んでいることだろう。


[パラリンピック]障害者の戦いを見よ

健常者は何もしていない

障害者の五輪であるパラリンピックが、ブラジルリオで開催中だ。今年からNHKも本腰を入れて放送しているから、それを目にすることも多くなった。貴方も、目を凝らして見るがいい、なぜか命の泉湧く。

見るたびにアスリートたちの躍動に圧倒されてしまう。片足や片腕をなくしてもあるいは、五体不満足でも、なお些かも闘志を失わず、戦闘に参加する。その勇気に私は畏敬の念を抱くのである。

健常者の我に、君たちは恵まれた体をしながら何もしてないね、と彼らは叱責しているかのような気がする。そうだ、そうだ、歩けるのに歩かない贅沢。故に我駅の階段を歩む。

古代ペルシャにこんな諺(ことわざ)がある。「足のない人を見るまで、私は(履く)靴がないことを嘆いていました。」 障害者の祭典、パラリンピックは健常者にとっても、考えさせられる好い機会である。


[軍事]中国、北朝鮮が日本の軍拡に寄与

核戦争も現実味を帯びてきた

北朝鮮が高度の核実験を成功させて、人類を滅亡に導く核戦争が現実味を帯びてきた。いまの体制は、なにをやりだすか予想もできないので、遊ぶがごとく核のボタンを押すかもしれない。

国威高揚には核を保持することが手っ取り早い。安保理事国の五か国も、すべて保有しているし、インドとパキスタンもカシミールで衝突しているが、共に核保有国だ。それが現実で抑止力になり小競り合いで終わっている。

北朝鮮の核に晒される韓国でも、核を持つべしとの世論が巻き起こるかもしれない。そして日本も。それは時代に逆行すのだが、軍拡には好都合の環境になってしまった。

結局、尖閣に出没する中国、核開発の北朝鮮が日本の軍備拡張に寄与する。皮肉なもんだ。だからして中国の日本への軍備強化非難は当たらないのだ。


特別連載 「わが心のキックボクサー」⑬ニシカワジム

藤原選手の最後の相手足立

ニシカワジムは、目黒ジムの沢村忠と創成期のキックボクシング界をリードした西川純が1980年代葛飾区小岩に開いた。所属選手には、足立秀夫と向山鉄也がいた。彼ら二人は、歴史に名を留める戦いをしているので、冒頭に挙げた。

ジムはバブルで儲けたM建設の本社ビルの中にあった。この頃、既にTBSもキックボクシングの放映を止めて、野口系列ジムは行き場を探していた。

こうした時期に不動産で儲けた「朋昌」(石川勝将代表)が、キックを旗揚げ、日豊企画を窓口に日本キックボクシング連盟を発足させた。これに合流したのが目黒ジムを始めとする日本系で、ニシカワジムもいた。

何故ニシカワジムなのかというと、連盟に加盟する前の昭和58年、1000万トーナメントの藤原敏男選手の相手をつとめたのが足立選手なのだ。藤原生涯最後の試合である。

試合は藤原選手が3回KOで勝った。その直後リング上から観客に呼びかけた。「私は今日限りで引退しまします。長い間御声援ありがとうございました。」


パーヤップ×向山の死闘

向山鉄也も忘れてはならない。昭和61年11月24日(マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催)後楽園ホールでの 対パーヤップ・プレムチャイ(タイ)との試合は彼の生涯最高の試合だ。

ときのラジャムナン・ウェルター級Cパーヤップに、同級日本王者向山は堂々の真向勝負。ノーモーションから畳みかける強烈なタイ人の左ミドルキックに、脇腹から背中にかけて紫色に変色しながら 耐えた。

4回には右フックでダウンをタイ王者から取った。これがタイ王者の怒りに火を付けた。逆襲の修羅場、向山は何とかこらえて判定に持ち込んだ。

昭和54年に目黒ジムからデビューして10戦したころは5勝5敗と凡庸な選手だった向山が、新しい戦場では花を咲かせた。

ニシカワジムには、他にライト級王者甲斐栄二、フライ級王者赤土公彦もいた。ニシカワジムが最も光輝いた時代である。


露地栽培に秋野菜のキャベツ、ブロッコリーの苗を植える。

夏の名残の百日紅(さるすべり)が公園に咲き誇る。


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