シュートボクシング30周年・創始者シーザー武志という男/他
9月19日に開催されるシュートボクシング大会ポスター
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■[随感]北朝鮮よ、火遊びでは済まされない
~尖閣諸島を脅かす中国もだ~
■[歴史]シュートボクシング30年
~創始者シーザー武志という男~
~出発点はキックボクシング~
~旧UWFとの出会いがヒント~
~次の一手に注目~
■[季節]夏も終わりに近づいて
~夏の終わりはしんみり~
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[随感]北朝鮮よ、火遊びでは済まされない
尖閣諸島を脅かす中国もだ
北朝鮮の火遊びにも困ったものだ。アメリカが相手にしてくれないので、子供みたいに次々に嫌がらせをしている。そのとばっちりをモロに受けているのが日本だ。
テポドンに、潜水艦からのミサイル発射は、射程がその都度伸びて、何でもアメリカ西海岸は攻撃圏内とか。勿論、我国はいつでも攻撃できるとの示威だ。火遊びが、取り返しのつかないことになることも、北朝鮮は頭の隅に置いておくべきだ。
中国もしたり、尖閣諸島への侵犯行為も挑発で済まされない、偶発的な戦闘の可能性もある。もっとも、中国は島を占領してしまえば、我物と思っているのかもしれない。
韓国による竹島が最たる例、奪われたものを武力で取り返すことは困難、特に先の大戦で日本は韓国に後ろめたい気持ちがあるから、猶更声高に物言いず、これを良いことに韓国は竹島を我が物にした。
イギリスのサッチャー首相は、アルゼンチンに奪われたフォークランド島を、電撃作戦で奪還した。これなどイギリスの不退転の決意がそうさせた、稀れな例。日本はここまで出来まい。結局「力は正義なり」
[歴史]シュートボクシング30年
創始者シーザー武志という男
浅草花川戸は隅田川を背にした町である。川に沿って公園が細長く伸びている。遊覧船の船着き場もある。蒸し暑い日でも、川風が涼しく癒してくれる。川を挟み目前には東京スカイツリーがドーンと聳える。
仲見世から足をのばせば、ほんの4,5分。シュートボクシングの聖地は、こんな景観の中にある。ビルの3フロアを駆使したシュートボクシング本部とジムは、機能的だ。
会長は言わずも知れる創始者シーザー武志氏(61)だ。会長室に通されたが「子供たちが稽古中なので、見ますか」というので、稽古場に降りた。
折しも子供たちの稽古の最中で、指導しているのは宍戸大樹先生、元シュートのチャンプ。先だって引退式を行った。子供たちの身に着ける胴着はと目を凝らすと、それはドラゴンボールと瓜二つだ。
「子供たちにどんな胴着がいい?と訊いたら、ドラゴンボールのようなもの、というので。」シーザー会長は、満更でもない笑顔を私に見せた。上意下達が当たり前の武道の世界で、微笑ましい逸話だ。
「いつもはもっと大勢いますよ」(シーザー氏)小学生らしい10人程が、ワンツーを絶え間なく繰り出していた。彼らがシュートボクシングの明日を担うのだ。頼もしそうに見つめる総帥の目は柔和だ。
会長室は、スカイツリーがまるで額縁の中に嵌め込んだように、窓から手を出せば届きそうだ。3階の広々とした部屋には、あの頭山満翁(戦前の右翼の巨頭)の掛け軸あり、キンさんギンさんの100歳の手形があり、室内を眺め回して飽きない。
出発点はキックボクシング
ジムにお邪魔するのは、かれこれ14~5年ぶりになるから道に迷った、と話したら、彼は、意に介さず「舟木さんとのお付き合いは45年になりますよ。ゴングに書いてもらった記事に感激したことを今でも覚えています。」何だかシリアスになった。
彼の出発点はキックボクシングだった。駆け出しの頃は、大阪西尾ジムに所属していた。村田友文、本名を名乗っていた。色白の痩身の若者で、根ばっこく相手に仕掛け続けるファイトに、私は心惹かれるものがあった。彼はどこか違うぞ、そんな印象を抱いた。あの頃、僕も貴方も若かった。
高校時代彼は泣く子も黙る、大阪の総番長を務めたいたとは、後で知った。高校を中退してのキックボクシング入り、喧嘩だけでは物足りなかったのかも知れない。或は試合は喧嘩より面白かった、のか?忽ち頭角を現した。
その後上京して、大和ジムに籍を置いた。TBS系は目黒ジムが主力で、沢村、富山、樫尾、亀谷など錚々たるスタア選手がいた。新興のジムながらキックの晩年、王座決定戦で不知火隼人をKO、日本ウェルター級王座に就いた。しかしやがてキックも陰りが見えて、TBSも放映を止めた。
旧UWFとの出会いがヒント
そんな頃、山口県の同郷、プロレスラー佐山聡選手(初代タイガーマスク)に会う。佐山選手の紹介で、旧UWFカール・ゴッチ氏や前田日明、高田延彦選手等に出会う。彼らが新たに興す団体は過激なプロレスを標榜しており、旗揚げ(1984年)に当たり、本物の蹴り(キックボクシング)を追求していた。
その指導者として彼に白羽の矢が立った。この接点がシュートボクシング創設へのヒントになったことは言うまでもない。私も異種格闘技戦を勧めたと彼は証言するが、私の記憶からは欠落している。
いずれにせよ、旧UWF勢を指導する中で、パンチに蹴りに、投げ技を組み合わせるシュートボクシングは生まれたのだろう。換言すればハイブリット格闘技だ。
前田選手、佐山選手に出来るのだからと、シーザー自身も1985年9月、意を決して立ち技総合格闘「SHOOTBOXING」を興した。蹴る、殴る、投げる、極めるの要素に、スパッツを穿いたスタイルは、格闘技界に波紋を投げかけた。
但しこの新たな格闘技には、既存のボクシングやキックボクシング、プロレス団体は冷ややかであった。「いつまで持つか」。そんな中、シーザーは、プレーイングマネジャーとして奮闘、屋台骨を牽引した。ホーク級王座にも就いた。
幾多の困難を乗り越え昨年両国国技館で30周年の記念大会S-cupを盛大に開催した。格闘技団体が生まれては消える中で、30年を超える団体はボクシングを除き稀である。「創業は易く守成は難し」だ。先ずもって、彼の手腕に敬服する。
次の一手に注目
遮二無二突進した30年が経った。時代は少子高齢化で興行は、益々難しくなった。しかし、地元浅草「花やしき」をホームリンクに、若手の試合を今後定期的に開催していくことに意欲を示す。
シーザー会長の強みは何といっても、その多彩な人脈にある。政治家から実業家、はたまた芸能人、アスリートまで。結婚式の仲人は友人の歌手吉幾三と山本譲二だった。酔った二人の掛け合いも楽しかった。
「Beeタワーが取り壊され、跡地にスタジアム構想がありまして、そこをシュートボクシングの常設会場にするべくオーナーと話し合っています」(会長談)。シーザー武志会長の次なる一手が注目される所だ。
ジュリアス・シーザーは、エジプトに侵攻した際、馬上兵士に向かってこう言った。「諸君!エジプト4000年が我々を見ている!」襟を正せ、そして進もうという訳だ。
差し詰め、シーザー武志会長なれば「諸君!シュートボクシング30年の歴史が見ている!」か。歴史を創った男、シーザー武志会長の今後を括目したい。旧友の成功は我ことのように嬉しいものだ。
因みに、そのシュートボクシングの試合が 9月19日(月・祝)後楽園ホールで5時30分から開催される。どうぞご観戦を!
[季節]夏も終わりに近づいて
夏の終わりはしんみり
リオ五輪も終わり、夏の高校野球も終わり連日の台風に、急に秋を感じる。露地栽培のトマトもキュウリも収穫が済んで、片づけに追われる。雨上がりの空は澄み切って、畑に残された竿にはちらほらとんぼが飛来する。
秋空を一人占めたる湖水哉 昭太郎
蝉の鳴き声も流石に数が少なくなった。夏の終わりの絶叫が続く。咲き誇ったむくげも、さるすべりも盛りを過ぎた。代わって背だけを思いきり伸ばしたコスモスが、おとぎ話をするかのように、ゆらゆら風に遊ぶ。
九月も祝日が二日もあり、三連休もある。実のりの秋は旅行の季節でもある。秋分の日、線香をたむけに田舎(福島)に帰省しようかな、と柄にもなくしんみりする。
会長室でシュートボクシングの未来を語るシーザー会長
DSC_0429 少年たちの稽古を見つめる会長とその横は宍戸先生
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