美しい柔道・大野将平が見せた武道の心/ ボクシングも4年に1度統一戦を/【特別連載】⑪城東ジム
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■[随感]美しい柔道 ~大野将平が見せた武道の心~
~トレセン効果が出た~
■[五輪]重圧に負けなくなった日本選手
~世界に1つだけのメダル~
■[王座]F原田が二階級を制した時代
~ボクシングも4年に1度統一戦を~
■[南進]中国の海洋侵略
~日本の覚悟を見せる時だ~
■【特別連載】わが心のキックボクサー⑪城東ジム
~下町の太陽・玉城良光を生む~
~不倒王の異名~
~膝蹴りで内臓破裂~
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[随感]美しい柔道
大野将平が見せた武道の心
「礼に始まり、礼に終わる」は武道の心得だが、柔道級73kg級金メダリストの大野将平はまさしくそれを実践してくれた。
勝者大野の敗者オルジョフを敬う態度に、すがすがしいものを感じた。勝ち誇るでもなく、淡々とした姿は、あの東京五輪で神永を下したヘーシンクを思い起こさせた。
彼の目指すのは「美しい柔道」、これぞ武道の神髄。只、勝てばよいという外国勢の荒っぽい試合を見るにつけ、これは日本古来の柔道じゃないと感じていた私は、彼の言葉に我が意を得たりだ。
かつて黒崎健時会長がいった。「武道の精神が残るのは剣道だけだ。勝っても、粛々とお辞儀して別れる。いまやブドウ(武道)は山梨にあるだけだよ。」ジョークを交えて語った。会長が孫に剣道を習わせたことはいうまでもない。
トレセン効果が出た
それにしても五輪も折り返しの8日目(14日現在)金7、銀3、銅14個計24の数字は予想外の上出来、やはりトレセン効果が大きい、と私は推察するのだが。
平成20年1月に都内赤羽に開所した「味の素ナショナルトレーニングセンター」(以下トレセン) の存在だ。これにより「競技者が同一拠点において集中的・継続的に強化活動が可能」(トレセンについて、より)となり五輪強化選手は、設備が整った施設で練習に没頭できる。
8年を経てその効果のほどが顕著に表れたといえる。何もしなければ、何も生まれない。投資せよ、さらば与えられん!国家プロジェクトとして、取り組んだ成果だ。4年後の東京五輪は、ジュニアクラスが見事に花開くであろう。
[五輪]重圧に負けなくなった日本選手
世界に1つだけのメダル
ここ一番のプレッシャーに弱いとの定評があった日本選手が、リオではまるで別人種のように逞しかった。その最たる例は、体操個人総合の内村航平、奇跡の大逆転で金をもぎ取った。
水泳の平泳ぎ200mの金メダル、金藤理絵は優勝候補のプレッシャーを背負っても、跳ね返して見事大願成就。コーチは言った「人間が変わった」と。やる気を起こさせたコーチが偉い。
ロンドン大会では惨敗した柔道は、男子は全階級がメダルに絡む躍進だ。金3個、井上康生監督面目躍如、選手は指揮官によって変わる。会社も経営者で変わる。ダメな会社は、経営者を変えてみな。
戦争がその最たるものだ。旅順攻略、指揮官を変えたら活路を開いた。「一頭の羊に率いられた百頭のライオンは、一頭のライオンに率いられた百頭の羊の群れに敗けれるものである。」 けだし名言だ。但し重いクラスでの「柔よく剛を制す」の柔道を東京五輪では見たい。100㎏超級リネール(仏)あれは、立っているだけで金メダルを獲った、原沢久喜選手も犠牲者だ。ああいう男をぶん投げるのだ。真の柔道王国到来は、それから。
世界に1つだけのメダルに、嗚咽する勝者は美しい。女性であれ男性であれ。顧みてボクシング、WBA、WBC、IBF、WBOと4団体のチャンピオンが「我こそ世界一」叫ぶ虚しさ。面倒だから4年に1度、真の世界一を決める戦いを敢行してはどうか。
[王座]F原田が二階級を制した時代
ボクシングも4年に1度統一戦を
ファイテング原田さんが活躍した頃は、ボクシングも一団体で文字通り世界で一人だけの世界王者だった。重みが違う。
階級は8階級しかなく(現在17階級)、そこで原田は、フライとバンタム二階級を制した(1960年代)。バンタム王者は”黄金のバンタム”と謳われるエデル・ジョフレ(ブラジル)。この相手に勝った。
ジョフレは生涯2度しか負けていない。その二敗が原田に敗れたものだ。原田に敗けれてその後3年間休養して、再起。何と引退するまで25連勝した。
驚くべきはWBCフェザー級をホセ・レグラから奪取して1回防衛したこと。生涯戦績72勝50KO2敗4分け。こんな伝説の男に勝った原田も凄い。ボクシングが五輪のように輝いていた時代だ。
[南進]中国の海洋侵略
日本の覚悟を見せる時だ
中国の南進は止まることを知らない。南沙(スプラトリー)諸島の浅瀬は見る間に埋め立て、既に軍事拠点化している。7月に常設仲裁裁裁判所で、南シナ海での一連の行為は、違法と断定されたにもかかわらずだ。蛙の面に小便とはこのことだ。
当然東シナ海の尖閣諸島もその視野に入る。6日には接続水域(領海の外側)に中国海警船舶6隻、その周辺には230隻の漁船が群れになって航行、尖閣諸島は中国の島ぞとデモンストレーションだ。領海侵犯は日常茶飯事、それでも日本は「穏便」にと、ひたすら「忍」の姿勢。
これを好いことに中国は増長して、我が物顔だ。気が付いた時には、尖閣諸島に漁民が上陸して五星紅旗を掲げているかも知れない。「実効支配」の先兵だ。もうそろそろ日本政府も、好い子、ぶりっ子をやめ「日本の覚悟」の程を見せる必要があるのではないか。
ボーイスカウトの万国共通の標語にこんな言葉がある。「常に備えよ」
【特別連載】わが心のキックボクサー⑪城東ジム
下町の太陽・玉城良光を生む
ジムは下町は葛飾区金町にあった。私(舟木)は、昭和46年、全日本の統一王座決定戦を前にした城東ジムを訪ねている。
城東ジムは町工場が密集した一角に自宅兼ジムがあり、折しも玉城選手が黙々とサンドバックを叩いていた。薄暗いジムに玉城選手の唸り声が木霊していたのが印象に残る。決戦を直前にした玉城選手の出来具合を取材した。
会長の鈴木実さんは、日本拳法空手道山田辰雄門下、スパルタ特訓で鳴る人だった。不倒王・玉城選手は昼は鉄工所で働き仕事が終えると練習に励んだ。元々は柔道を習っていた。沖縄佃江村出身。ウチナンチューは泣き言をいわない。
不倒王の異名
負けず嫌いだったことが持ち前の闘志に火をつけた。ライト級初代王座を争ったのが後にラジャダムナン・ライト級王者となる藤原敏男選手。71年11月5日、玉城選手は必死に食い下がったが、小差判定負け。
続く72年6月21日に再度藤原選手の王座に挑んだが同じように判定で敗れた。その後藤原選手が王座を返上すると、リベンジは出来なくなってしまったが、玉城選手は2代目全日本ライト級王者として、あるいはWKA同王者として全日本の屋台骨を背負って行った。
玉城選手の凄さは驚異的なスタミナと恐れを知らぬ突進ファイトにあった。玉城と戦ったセンサク・ムンスリン(タイ)後年私に言った。「タマシロ、あれは化け物だよ、俺の膝蹴りやパンチをいくら食っても前進してくるんだから」結局玉城は壮絶なKO敗だったが、試合後が大変だった。
膝蹴りで内臓破裂
腹に受けたセンサクの膝げりで内臓を破裂していたが、我慢して戦っていた。で、試合後金町に帰る電車の中、御茶ノ水駅に差し掛かった時に、激痛が走った。たまらず悶絶、救急車で病院に運ばれた。緊急を要する重症だった。玉城の我慢・忍耐を語るエピソードとして今に伝わる。
72年12月の日本系との交流マッチでは、肘打ちの名手・飛馬拳二(横須賀中央)を4回KOに降し全「全日本に玉城あり」をアピールした。因みに飛馬は、4階級制覇者でポスト沢村の一番手、富山勝治(目黒)と3度戦って3度勝っている強豪だった。
引退後は綾瀬駅前にムエタイを見ながら飲食ができる、レストラン・シアター「タイ料理オーエンジャイ」を経営するなど実業家の側面も見せた。いまも健在、葛飾柴又で「オーエンジャイ&東京北星ジム」を主宰する。玉城良光、生涯戦績105戦76勝(63KO)16敗13引分け。
城東ジムには鹿児島出身、フライ級で活躍した松下浩がいたが、彼の「浩」は、その軽快な動きに惚れた俳優・川口浩が与えたもの。ミドル級王者になった安島貴志もいた。安島は城東ジムから渡辺ジムに移籍、長い選手生命を送った。
沖縄県出身のキックボクサーといえば、日本系の亀谷長保(目黒)が有名(全国ネットのTBSで知れ渡る)だが、玉城良光の功績も計り知れなく甲乙付けがたい。”不倒王”玉城の名は永遠だ。
連日の猛暑に露地栽培のトマトも熟成。
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