残酷過ぎた世界戦 和気は5回にストップすべき/わが心のキックボクサー⑩山田ジム

<ご案内&御申込御礼>
7月30日(土)PM1時から渋谷区富ヶ谷「麗郷(れいきょう)富ヶ谷店」で開催の「第1回キックボクシング・デー」は、7月20日申し込みが定員50名に達しました。ここに御礼申し上げます。
当日は入場式などの演出がありますので、できるだけ御早めにお越しください。尚、ベルトをお持ちの方はなるべく御持参ください。
オークション品(パンフ、ポスター等)のある方は、御持参ください。尚、麗郷までの道順はチラシに載っております。不明な点は、アッパー(03-3469-0620)までお電話ください。
参加者の皆様には、心からお越しをお待ち申し上げております。
「第1回キックボクシング・デー」
代表幹事:竹井克彦
主催:株式会社アッパー
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■[随感]トランプ、ドーピング、ポケモンGO
~すべては異常現象~
~結局IOCは腰が砕けた~
~ポケモンGOは危険な遊び~
■[拳闘]残酷過ぎた世界戦
~和気は5回にストップすべき~
~リオスに似たグスマン~
■[老後]私の老後の過ごし方
~老後は暇なんてとんでもない~
~清忙は養を成す~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑩山田ジム
~山田ジムはムエタイの先駆け~
~増沢、フライングを生む~
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[随感]トランプ、ドーピング、ポケモンGO
すべては異常現象
アメリカ共和党の大統領候補はドナルド・トランプに正式に決まった。彼の演説はアメリカ至上主義、専らアメリカの利益優先、言うことは勇ましく面白く大衆受けはしようが、実際それでお国が成り立つか。共和党の人材不足もここに極まれりだ。トランプは大統領にはなれないと思うけど。
結局IOCは腰が砕けた
ロシアの国家ぐるみのドーピング違反は悪質極まりなくこれは十分な犯罪で、この際IOCは徹底的に膿を出し切るべきだ。ロシア全選手のリオ出場停止処分は勿論のことだ。4年前のソチ冬季五輪から行われていた、と世界反ドーピング機関(WADA)は結論づけている。共産国は、だから信用置けない。
IOCはWADAの報告を受けて断固ロシアを出場停止処分にすると思ったら、各競技団体に可否を委ねた。最後は腰砕け、ロシアは最初からこういう結論を見通していた節がある。これだから何年掛かっても五輪の改革はできない。違法薬物もやった者勝ちか。とんだ茶番!
ポケモンGOは危険な遊び
スマホゲーム「ポケモンGO」は世界で異常な現象を巻き起こしている。日本でも22日に無料アプリの配信が始まり、海外ににも負けず劣らずの興奮状態だ。
これ本当に危険な遊びだ。道路を歩きながらポケモン探し、或いは自転車に乗ってスマホを操っている者もいる。本人は夢中だから、前方から車が来て、慌てて避ける、なんていうのはしょっちゅうだ。柱に衝突したり、そのうちに死人も出よう。危ない危ない。
歩道でも歩行の妨げになる。いやだねえ~。オジサンは、駅の通路や階段でスマホ片手に、ノロノロ歩くOLをよく見かけ、いつもイライラするので、これにポケモンGOが加わるのだから、また脳梗塞を起こしそうだ。観光地や繁華街でのポケモン探しは他人に邪魔にならないよう願いたいものだ。
[拳闘]残酷過ぎた世界戦
和気は5回にストップすべき
IBFスーパーバンタム級王座決定戦、ジョナサン・グスマン(ドミニカ)×和気慎吾は、見るに堪えぬ残酷な世界戦だった。21戦21KOのグスマンの強打に、和気は2、3、5回とダウンを重ねた。
2回の偶然のバッティングで右頬が割れ出血したことは和気には不運だったが、やはり力の差は歴然で、2回に二度、中盤までに四度ダウン。誰が見ても勝敗の帰趨は明らかだった。
私は5回の終了時にレフェリーが試合をストップするか、セコンドがタオルを投入すべきだと感じていた。
選手には明日もある。あの頬骨亀裂骨折は傷が深く例え縫い合わせて、治っても縫目が固くなるからパンチを食ったら、忽ちまた開くだろう。多量の出血と戦局では無謀な戦であった。
それが11回2分過ぎにKOされるまで耐え忍んだことで、解説氏は「がんばりましたよ」と和気を褒めた。褒めれば良いというものではない。
大切なのは、的確な状況説明と視聴者に分かりやすい解説なのに、それもなく解説どころか、オーバーな独り言が多いのは嘆かわしい。
かつてTBSの解説者は郡司信夫氏に白井義男氏と具志堅用高氏もいた。重厚な布陣で、テレビのボクシング放送をリードしてきた。
そこにはボクシングは、神聖にして侵さべからずのスタッフの精神が脈々息づいていた。なのに同局はいつの間にかボクシング番組から崇高な精神は失われてしまった。昔の光いま何処。
リオスに似たグスマン
グスマンは、具志堅が初防衛と5度目の防衛戦で戦ったハイメ・リオス(パナマ)に酷似するボクサー、ただリオスは軟体動物のように全身を動かし的を絞らせず、具志堅が苦戦した相手だった。
スキル(技術)の上ではリオスはグスマンを遥かに勝る。但し、強打という点ではグスマンが上だが、彼は、一流のチャンプではない。連続KO記録はあまり当てにはならない。
それが証拠には、中盤以降スタミナを消耗してもたつき、何度もキャンバスに尻餅をついていた。明らかにスタミナロス。攻めがラフ、ストレートが鋭利な相手には、脆さを露呈するだろう。
WBAフライ級戦、井岡一翔は、前半キービン・ララ(ニカラグア)を攻めあぐんだが、流石後半に入ると相手の動きを読み、スピード豊かなコンビネーションで、11回に仕留めた。井岡がここぞで的確なショートパンチを纏める。やはり非凡、卓越。
ララは往年のアルレドンドに似た選手で、空を掃く如きドスンパンチ。井岡には、遣り難いタイプだった。ゲスト長谷川穂積の解説は、端的にして判りやすくほどよいものだった。
[老後]私の老後の過ごし方
老後は暇なんてとんでもない
平成14年8月に日本スポーツ出版社を退職して、休む間もなくアッパーを設立して、いつの間にか14年の歳月が流れた。もうそろそろフィードアウトする頃だと、最近は仕事の量を減らして好きなことをやっている。
ところが、仕事が減った分、時間がたっぷりあるかといえば、その逆で特に午前中は分刻みの動きで老後はゆっくりとなんて悠長なことはいっていられない。
通常4時45分の起床だが、夏場はサマータイムというやつで、4時20分には起きる。最初にやることは、二階に駆け上がり、仏壇と神棚に水を上げる。二番目は洗浄機から昨夜の夕食時の食器を取り出すこと。それから朝食の食器をセッティング。
ここまで約15分、その後、一階に降りて、仕事場のパソコンの前に座りメールをチェックして、5時5分には家を出る。近くの畑に寄り水遣り、5時30分には大山公園でストレッチ、太極拳を公園の片隅で愛好者と、それが済むと6時25分からラジオ体操。
7時前、再び畑に寄り、キュウリやナス、トマトを収穫。この季節油断していると、キュウリはお化けのように大きく成長するから困る。今年は例年になく次々にキュウリができる。
やはりたっぷりの飼料と、脇芽を細かく除去したせいかもしれない。余ったものは仲間に配ったり、ピクルスにしたりする。毎日キュウリ三昧。
7時10分ラジオ体操から帰宅すると、上半身タオルマッサージ、髭剃り、と一気にペースを上げる。洗い終わった洗濯物があれば、これを干すのも私の役目。終わるとやっと朝食だ。
パン(トースト)1枚、ジャムは、仏産のサン・ダルフォーのブルーベリー、焼いたハム、目玉焼き、畑で採れたミニトマト2個、バナナ半身、キウイにトマトジュース、ミルクコーヒーが朝の定番。
歯磨きは2本のブラシ、普通タイプと極細の仕上げ歯ブラシで入念にする。最後にクリニカで口をぐじゅぐじゅして終わる。このあと、ベロ出し、30回、舌を上部にタッチする運動も30回、ベロ回し20回で終了。これで早朝のメニューは完了。
清忙は養を成す
習慣は第二の天性という、流れるように消化してなんら重荷ではない。その後もまだある。浴槽の掃除、毎日必ず私がやる。すべて完了するのが9時台、やっとパソコンの前に座れる。「清忙は養を成す。過閑は養にあらず」(言志四録=佐藤一斎)
11時になってうとうとして仕事が捗らない。そんな時は4~50分横になる。「I'M SO OLD I'M SO FREE」と老後は暇な時間がたっぷりあるやに想像していたら、とんでもない。やることが沢山ある。読みたい本も星の数ほどある。時間はないぞ!
ちなみにゴルフはやめた。暇がない。
すべては己の率先垂範、身体が自然に動く。「人生は後半戦の方が面白い」と誰かが言ったが、まさにその通り。午後は友人と会ったり、仕事の打ち合わせで新宿や神保町に出る。夕方畑に水遣り。「この幸せを味わいたかったら、早くあなたも老人になることだ」
夜は10時半には就寝する。早寝早起きの快感は、早朝の空気と風の囁きに勝るものなし。元気があれば何でもできる。その通り、食事もお酒も旨い。一日があっという間に過ぎ去る。今日の終わりは明日の始まり。
「ほとんどの人間が、この世の時間は使い放題といわんばかりに人生を送っている。情熱を封じ込め、夢を先送りしている。ところが本当は、人生はつかぬ間の贈り物であって、一寸先は闇なんだ。自分に残された時間があとどの位なのか、知っている者は誰一人いない」(賢者のプレゼント=ロビン・シャーマンより)
【特別連載】わが心のキックボクサー⑩山田ジム
山田ジムはムエタイの先駆け
我が国初の本格的ムエタイジム。会長はタイ大使館職員山田正さん。ジムは目黒区恵比寿駅近くにあった。トレーナーは、TBSキックに参戦していたバイヨーク・ボーコーソ、通称トムさん。
ジムが設立されたのは昭和44年初春、つまり同年4月のNET(現テレビ朝日)がキック放映に併せて急きょ設立され、同ジムはタイ選手窓口として重要な位置にあった。
私も練習生としてジム創設には些か貢献した。当時私は、目黒駅前のパブ・オーシャンでバイトをしていて、店にタイ人がよく来た。その中に寡黙なトムさんがいて、ある日ジムを手伝ってくれと頼まれ、通ううちに何とはなしに練習生になった。
当時はまだ流行らなかった肘打ちや膝げりをトムコーチは徹底てきに仕込んでいた。その甲斐あって、山田ジムは、フライ級三浦進吾、J・ライト級フライング・ジャガー、ウェルター級増沢潔の3人の初代王者を生んだ。
増沢、フライングを生む
NETはキック放映をやめたのを機に、全日本系協同プロの傘下に入り、日テレと東京12の統一初代王者決定戦でも、J・ライトでフライング、ウェルターで増沢がチャンプに輝き山田ジムは、日テレ系として気を吐いた。
全日本系では黒崎健時会長のスパルタ指導で、目白ジムは向かうところ敵なしだった。これに激しく闘志を燃やしたのが山田ジム。ムエタイの誇りで、打倒目白に立ち上がる。
藤原敏男と階級が同じという点で、佐藤正信、土谷亮が真っ向勝負を挑んだ。とっておきの肘打ちを連発して、藤原を大いに苦しめた。
特に土谷は、肘で藤原選手の顔面を切りあわやTKOの局面を作ったが、逆にそれが藤原選手の怒りに火をつけて逆襲に遭う。両選手共遂にその牙城を攻略することはできなかった。佐藤判定、土谷3回KO敗。
佐藤は藤原選手が5度目の防衛後同タイトルを返上すると、その後難なく王座に就いた。山田ジムは、ムエタイジムの先駆けとして、キック史に残した功績は計り知れない。OBとして晴れがましい。
西原商店街夏祭りの子供たちの阿波踊り。

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