幻の日本キック旗揚興行は日本初の異種格闘技戦/【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム/他

第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
<イベント申込は7/20日締め切り!>
7月30日13時からの「第1回キックボクシング・デー」(in 渋谷区富ヶ谷 ”麗郷 富ヶ谷店”)は、20日をもって締め切りとさせて頂きます。参加ご希望の方は、早めにお願い致します。
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■[随感]防ぎようがないトラックテロ
~世界は益々物騒になった~
■[季節]ミンミン蝉の初音
~梅雨明けはまだ?~
■[歴史]キックボクシング旗揚げの切符
~重大なことが判明~
~何事も疑ってかかれ~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム
~キック旗揚げに貢献した西尾ジム~
~人気者ロッキー藤丸を生む~
~シュートボクシングと西尾ジム~
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[随感]防ぎようがないトラックテロ
世界は益々物騒になった
バングラデシュのテロも生々しいのに、今度はフランスのニースで花火見物客に大型トラックで突っ込み多くの死傷者が出た。これもISのテロだという。トルコではクーデター騒動、アメリカでは、黒人による警察官射殺が続く、リベンジはリベンジを呼ぶ、世界は出口の見えない混迷の闇に突入した。
特にニースでの惨事は防ぎようがないから困る。これからの季節は各地で、夏祭りが開催されるので、念には念の警備が求められよう。用心に越したことはない。馬鹿な輩(やから)がいるから、マネしないとも限らない。
[季節]ミンミン蝉の初音
梅雨明けはまだ?
17日、ミンミン蝉の啼き声を聞いた。まだ梅雨も明けぬというに、一匹だけの叫びは何となく寂寥感漂う。お目当ての雌もいないというに。その後
ミンミン蝉の声は聞かれない。孤独しか。
今週末の23,24日は地元西原商店街の夏祭りで、たこ焼ならず、たこ揚げ(油で揚げる)のボランティア。もうかれこれ10年以上も続ける。
今年は代々木上原商店街の盆踊りと重なってしまった。従来は31日(日)だったが、都知事選挙ということで、繰り上げになった。毎年家内と楽しみにしていた行事だったから、残念。
いよいよ夏本番だ、海の日、九州地方~東海地方に梅雨明け宣言が出た。関東もまじかだ。日本の夏、オジサンの夏だ!
[歴史]キックボクシング旗揚げの切符
重大なことが判明
弊社「アッパー格闘技博覧会」のトップページに超レアなチケットが展示されている。昭和41年4月11日、大阪府立体育会館に於ける日本キックボクシング協会の旗揚げ興行の記念すべきチケットである。
このチケットが貴重なものである、といったのは、実現すれば、ムエタイと空手の我が国初の異種格闘技であったからである。山田侃(ひろし)、錦織利明はともに日本拳法空手道(山田辰雄師範)門弟。
侃は辰雄師範の御子息であり、錦織はのちに日本テレビキックで、旋風を巻き起こすことになる錦利弘(本名・錦織利弘)なのだ。何故か、弘を明に一字変えている。あの錦がである。まかり間違えば、沢村にとって変わりTBSのエースになっていたかもしれない。
ところが、ラークレイ(タイ)とメインで対戦する手はずになっていた山田侃は、欠場、テーパリット(タイ)との対戦が予定されていた錦織も姿を見せなかった。結局、ラークレイとメインで戦ったのは沢村忠だった。
日本拳法空手道の高弟・小沼保氏はかつて私に漏らしたことがある。「選手が集まらないで困った野口さんは、連日のように道場にきて、選手を出してくれと必死でした。根負けした山田先生はタイ式が皆目分からず、承諾して実際タイ式の練習を見たらとてもうちの選手の技量じゃ勝てないない、と試合直前に断ったのです。」
何事も疑ってかかれ
従ってこのチケットは幻で価値が高い。恐らく5万円はくだらないと思われる。私も永年この事実に気が付かなかったのは不覚。
ある日、チケットをしげしげ見ているとると、可笑しいことに気づいた。旗揚げ戦に山田も錦織も出ていないぞと、よくよく調べてみるやっぱり出場していない。
民俗学者宮本常一は父親から「他人が見落としたものをよく見て歩きなさい」と言われたという。宮本は全国を歩き膨大な記録を残した。著書に「宮本常一著作集(51巻+別集2巻=未来社)
皆さんも、何事も一度は疑ってみてください。思わぬ発見の始まりになるかもしれない。それが歴史発掘、ミステリーな遭遇に繋がる。
【特別連載】わが心のキックボクサー⑨西尾ジム(文/村上桂)
キック旗揚げに貢献した西尾ジム
昭和40年代から50年代にかけて、日本系キックで唯一の大阪の ジムとして数々の名選手を生み出したのが西尾ジムであった。人気 者ロッキー藤丸の所属ジムとして記憶している方も多いであろう。
会長は西尾日出(にしお・ひでる)氏。昭和41年4月11日に野口修社長が大阪府立体育会館でキックの旗揚げ興行を行った際に、大阪で興行の実務を担ったのがこの西尾氏であった。それまで西尾氏は大阪野口ジムを大阪で主宰し、世界ランカーの染谷彰久を育てるなど野口社長同様ボクシング界でそれなりに実績を残した。
その後はキックに可能性を見いだしたのであろう、西尾ジムを開設した。ただし、当初は岡村プロモーションが窓口となっていた東京12チャンネル系に所属した。その辺りの経緯は不明だが、何年か後に日本系に移っている。
人気者ロッキー藤丸を生む
日本チャンピオンを獲得した選手は、ロッキー藤丸、ポパイ貞男、矢田勝士の3人。ロッキー藤丸(本名:藤崎修一)は昭和48年1月に丹野義彦(目黒)に判定勝ちしライト級王座を獲得。同王座は 同年4月に飛馬拳二に奪われたが、翌49年1月に飛馬から奪還。
同年12月に飛馬に判定勝ちし初防衛した後、翌50年1月に伊原信一に判定負けで王座陥落。その後階級をウエルターに上げてからも飛馬拳二や田畑隆に挑戦したが、ウエルター級を制することはで きなかった。
飛馬拳二は月刊『ゴング』のインタビューで、ロッキー藤丸は良きライバルだったと認めている。この2人で何度もタイトルを賭けて戦っているのだから当然であろう。
しかし、タイトルうんぬんよりも、ロッキーはトリッキーな試合内容で人気を博し観客を沸かせたことが特筆されよう。沢村忠。富山勝治に次いで150戦からのキャリアの持ち主であることを強調しておきたい。そのロッキー藤丸は大阪の地でいまひっそりと暮らしている。
ポパイ貞男(本名:佐藤貞男)は昭和50年1月にリュー千景から フライ級王座を奪取した。同年8月の初防衛でリューの双子の兄、ミッキー鈴木に奪われてしまうが、ポパイは西尾ジムが大阪野口ジムを名乗っていた時代からの選手。つまり元ボクサーだった。
矢田 勝士は昭和51年7月に伊原信一を判定で下しライト級王座に就く。兄弟子ロッキーが奪われたベルトを奪還した形になった。
チャンピオンにはなれなかったが、元プロボクシング東洋、日本ミ ドル級チャンピオンの権藤正雄も所属していた。ヘビー級のキックボクサーとして池野興信、斉藤天心らと対戦し重量級の迫力を見せた。
シュートボクシングと西尾ジム
また、タイトル獲得はならなかったが2度バンタム級の王座に挑戦した中村正悟もいた。シーザー武志こと村田友文、黒沢久男、品田伊久夫(後年の力忠勝。西尾ジムではトレーナー専任)など後にシュートボクシングの中心人物となる面々も、当時は西尾ジムからリングに上がっていた。当然ながら後年の姿は想像もつかなかった。
今から思えば、昭和41年の旗揚げにこぎつけるまで紆余曲折あったことは容易に想像できる。当事者である野口社長、西尾会長のみが語れる真実は数多くあろう。しかしお二人とも鬼籍に入られた
今、当時の状況を聞いておけば良かったと後悔しきりである。(文中一部敬称略)
問題のキックボクシング旗揚げの貴重なチケット!

ラジオ体操の帰途、日頃太極拳でお世話になっているご婦人方を畑に案内。

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