名勝負を描く天才猪木の掌で踊ったウィリーとホーガン/【特別連載】わが心のキックボクサー⑧渡辺ジム | 舟木昭太郎の日々つれづれ

名勝負を描く天才猪木の掌で踊ったウィリーとホーガン/【特別連載】わが心のキックボクサー⑧渡辺ジム


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[随感]参議院選挙あれこれ
 ~改憲派が勝ったわけ~
 ~次は都知事選、先ず投票を!~
[差別]黒人は虫けら同然に殺される
 ~米国は今も続く西部開拓史の野蛮~
[格闘技]猪木の掌で踊ったウィリー
 ~動画配信で私が語りたかったこと~
 ~猪木はプロ中のプロ!~
【特別連載】わが心のキックボクサー ⑧渡辺ジム
 ~渡辺信久会長一筋の道~
 ~キックに携わり半世紀~
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[随感]参議院選挙あれこれ 
 
   
改憲派が勝ったわけ 
 
参議院選挙の結果は大方の予想通り自民・公明の改憲派が勝利した。さて選挙が終わって、勝てば官軍とばかり民意の総意と表して、今度は堂々と憲法改正を掲げよう。自民の選挙で都合の悪いことは語らずの戦略は、功を奏した訳だ。国民よ、覚悟せよ!
 
野党連合軍は、一人区でそれなりの成果はあげたものの、最初から迫力に欠けていた。局地戦はやれども、本丸を奪取して新たな政権を打ち立てようとの本気度が感じられず、それだったら自民党のままでいい、と国民は変化を嫌った。
 
アベノミクスは失敗だけど、精彩のない野党より元気のある与党。こんな論法か。民進党が伸び悩むのは、3年間のお粗末な政権運営にもある。有権者の信頼を失ったまま、再生の気力なし。 
     
次は都知事選、先ず投票を! 

次は都知事選挙、タレントも出馬の意向を示して、百家鳴争だけれども、人気投票に終わらせたくない。日本の首都に相応しい人は誰なのか、甘言に踊らされる事なくしっかりと人物を見定めようではないか。
 
先の参議院選挙の投票率は54.7%、これで国の有様、政治が決まる。半数近い国民が権利を放棄しているのだ。これじゃ、いつまでたっても国は良くならないぜ。陰でこそこそいうよりは先ず投票を! 
 
  
[差別]黒人は虫けら同然に殺される 
 
米国は今も続く西部開拓史の野蛮 

アメリカは、人も羨む自由と民主主義の国なのだろうか。5と6日に相次いで起こった警察官による黒人射殺事件は問答無用の殺戮だ。映像に映る光景は無抵抗の黒人を押さえつけ、射殺した。なんと悍(おぞ)ましい。
 
怒った黒人は今度は仕返しだ。ダラス州とルイジアナ州ではデモを警備する白人警察官を黒人が狙撃した。5人が死んだ。目には目をだ。今年に入り警察の発砲で死んだ500人のうち4人に1人が黒人だという。差別は歴然だ。
 
勿論白人以外の黄色人種、ヒスパニックも対象になる。俺はこんな国に住むのは御免だね。「私には夢がある」と言ったのは、人種差別と戦って銃弾に倒れたキング牧師だ。あれから、ちっともアメリカは変わっていない。
 
銃による死者が年間3万人!黒人を虫けらのように扱う国、それが自由を唱えるアメリカの現実、原住民を銃で蹴散らし建国した西部開拓史の精神脈々。そもそも野蛮な国である。その国が世界の盟主だ。民主主義とは銃でしか成り立たないか。 
 
  
[格闘技]猪木の掌で踊ったウィリー 
 
動画配信で私が語りたかったこと 

先般、闘道館の動画配信に出演した。映像に我が身を晒し浅はかな格闘技論をはしたなくも展開してしまった。勿論、泉館長と司会進行のドージョーチャクリキ甘井代表に助けられ、何とか収録が済んだ。マイクの前に出るのは、久方ぶりなので、ほんま冷や汗ものだった。
 
冒頭、アリ×猪木から始めたのですが、要はアリ側がもっと猪木を信用して、試合をプロデュースさせていたらあのような退屈な15ラウンドにならなかった、と私は力説したかったのだ。
 
当時アリは現役のボクシング世界王者で神様のような存在、猪木といえどもアンタッチャブルだったから、あのような拙い試合になり、歯がゆかったのは猪木本人じゃないか。猪木の作・構成・演出であれば、壮大な叙事詩になったものを、と私は悔やむのだ。
 
一方、ウィリーとの異種格闘技戦は、私の最も心に残る戦いで、極真空手対プロレスの対立構図も分かり易く、キラーインスティンクトに満ちた、ものものしい雰囲気が私を虜にした。異種格闘技戦でこれに勝るものなし。
 
当時、昼夜もわかず黒崎師範と行動を共にしていた私は、ウィリーをいかにプロ仕様に変貌させるか、先生のその苦労が手に取るように分かった。
 
「猪木はプロだよ、アマチュアのウィリーじゃ赤子の手をひねるより楽だよ、何が熊殺しだ、いまのままじゃ猫も殺せない」。黒崎師範は口癖のようにいっていた。かくて1か月マンションの一室に閉じ込めウィリーを徹底にしごき、リングに乗せたのだ。 
 
 
猪木はプロ中のプロ! 

人前でおどおどしていたあのウィリーが、試合当日は殺気漂うファイターに変貌していたのには正直驚いた。殺人鬼に脱皮していたのだ。鳥肌が立つような戦慄の試合が終わり、私はそっと尋ねた。「先生、試合の結果はどうですか?」と。しばらく時間を置いて黒崎師範は「やっぱり猪木だね」と一言発した。
 
あれは多分、猪木がウィリーを生かし切ってくれたという安堵の気持ちと、黒崎師範一流の猪木賛辞だと私は解釈した。いささかもウィリーの褒め言葉はなかった。まあ、藤原敏男も大沢昇も先生が褒めたのをめったに聞いたことはないが。強者は強者を知る。
 
ウィリーは、猪木の掌(てのひら)に乗っていただけなのかも知れない。あたかも孫悟空がお釈迦さまの掌にあったように。試合は猪木の腕しぎ逆十字固めがウィリーの腕を捉えたまま、縺れながらリング下に落ちた。
 
両軍セコンドが乱入、大混乱となり、4回4分両者リングアウトの引き分け。後味の悪いエンディングとなったが、私には消化不良の結末でなかった。中身たるや格闘技戦の魅力溢れるエッセンスがここかしこにあり、私は大いに満足した。
 
それにしても私の目の前で炸裂した、2回のあのウイリーの膝げり、猪木のアバラ骨を砕いたような鈍い音は、あれはまさしく黒崎師範が追い求めたプロ仕様のものではなかったか。あの一撃だけで、極真とウィリーの名は不滅のものとなった。
 
私は瞬間、猪木はこれで万事休す、だと思った。猪木も刃物で刺されたかのように、手で脇腹を押さえた。あの猪木が見せた苦痛の表情は、炸裂音共に私の記憶に鮮烈に残る。
 
猪木はあばら骨にひび、ウィリーは靭帯損傷と、共に深手を負った。もし猪木がウィリーの腕を折っていたら、もし極真空手と寛水流の大乱闘になっていたら、思いを巡らせるとあの一戦は、スリリングで、ミステリアスであったからこそ永遠に語り継がれるのだ。
 
「たった一度きりの出来事が、人生を甘美なものにする」
(エミリー・ディキソン)
 
考えてみればホーガンさえも猪木の掌に身を委ねた。だからこそあの奇想天外の舌だし失神事件も生まれたのだ。猪木こそ真っ白なキャンバスに、一気に名勝負を描く類稀なプロレス・アーティストなのだ。彼のプロレス哲学には美学があった。 
 
 
【特別連載】わが心のキックボクサー ⑧渡辺ジム 
 
渡辺信久会長一筋の道 

キックボクシング界で、現在キックの始まりからこの業界に携わる関係者は二人しかいない。藤本ジム藤本勲会長と、今回登場の渡辺ジム渡辺信久会長である。
 
キックが野口修社長の手になり旗揚げされたのが昭和41年4月、渡辺会長は当時ボクシングの東邦ジム(佐々木民雄会長)でプロボクサー(ライト級5勝2敗)をしていたが、網膜剥離を患い選手生命を絶たれていた。佐々木会長は野口ジムの一門ということで、旗揚げに当たり野口修社長は佐々木会長に選手の派遣を要請していた。兎に角、選手が不足していた。
 
そこで葛飾ジムというキック専門のジムを発足させた。ボクシングとの二枚看板は受け入れられないからだ。渡辺はマネジャー兼トレーナーとして、ボクサーを即席のキックボクサーとして、産声を上げたばかりのキックに選手を送り出す。
 
その後、協同ジムの旗揚げで選手募集に応募、採用され、バンコク遠征にも網膜剥離を隠して参戦、敗れた。網膜剥離も露見して、協同ジムのトレーナーに転身した。
 
幸い協同ジムが無名の渡辺に引退式をやってくれて、慰労金として100万円を出してくれた。この金を元に昭和47年晴れて現在葛飾区新小岩の地に渡辺ジムを構えた。 
 
 
キックに携わり半世紀 

日本ナックモエ連盟を創設したり、日本キックボクシング連盟も興したが、各ジムの連合体で上手くいかず、脱退して独自で日本キックボクシング連盟を継続、今日に至る。
 
葛飾ジムでキックに携わってから半世紀、渡辺の歩んだ道は文字通り日本キック界の歴史である。
育てたチャンピオン14人、酒寄晃(バンタム=故人)、沢の太志(ウェルター)、彼は日本人として唯一人、猪狩元秀(弘栄)に土をつけた男だ。
 
小池忍(バンタム)も渡辺明(バンタム)もいた。最近では、小野瀬邦英(ウェルター)、伊藤威(バンタム)を輩出した。錚々たるチャンピオン山脈。
 
渡辺の率いる日本キックボクシング連盟は独立独歩、スポンサーに阿(おもね)ることもなく年5回格闘技の殿堂後楽園ホールで興行を続ける。
 
「大変です、しかし借金はない。後楽園で興行を打てなくなった潔く辞めるよ。」一週間に一度は行くという散髪で綺麗にショートカットされた頭に渡辺会長は手をやった。
 
3年ほど前から興行全般を小野瀬邦英氏に任せているという。「小野瀬が一人前のプロモーターに育ってくれるといいのだが」渡辺の後継者、小野瀬に期待を寄せる。
 
エンセン井上、山本キッドも先生と言って仰ぐこの名伯楽。来年元旦には古希(70)を迎える。ブレナイ、媚びないでキックボクシングの灯を守り続ける渡辺信久の一筋の道に、改めて敬意を表するものである。
 
「あなたが無上の喜びを求めているなら、ずっとそこであなたを待っていた一つの道を歩まなければならない。あなたが送るべき人生は、すなわちあなたが今送っている人生なのだ」(ジョセフ・キャンベル)
 
次の後楽園ホールでの興行は10月2日(日)、不屈のキックボクシングを観戦あれ!
 
 
闘道館の動画配信に出演した。
左よりチャクリキ甘井代表、私、闘道館泉館長。

 
日本キックボクシング連盟渡辺信久会長。

 
適度の雨と猛暑で露地栽培の野菜は化け物のように育つ。

 
さるすべりの白い花、ピンクもすきだけど白も清楚でいい。 
 
 

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