豪華絢爛7/30はキック界のレジェンドが続々参戦!!【特別連載】わが心のキックボクサー⑦東京ジム | 舟木昭太郎の日々つれづれ

豪華絢爛7/30はキック界のレジェンドが続々参戦!!【特別連載】わが心のキックボクサー⑦東京ジム


※残席僅か!会場は、代々木八幡「七福」から台湾料理の「麗郷・富ヶ谷店」に変更になりました。
※詳しくは、チラシをご覧ください。

第1回キックボクシング・デーの詳細はこちら
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[随感]バングラデシュのテロ事件
 ~コーランの教えに反する殺戮~
 ~イスラムは戦争を好まぬ~
[アラブ]ミステリアスなアラブを知る
 ~アラブを知ることは世界を知ることだ~
 ~戒律に厳しいスンニ派の大国~
 ~エジプトの人口の1割がキリスト教!~
[イベント]盛大な真昼の宴になりそうです
 ~土屋ジョー、小野瀬邦英、両氏の参加!~
[風邪]甘く見てはいけない夏の風邪
 ~夏風邪にベッドに沈んだ~
 ~翌日は代々木八幡の七夕祭り見物だったが~
【特別連載】わが心のキックボクサー⑦東京ジム(文/村上 桂)
 ~名門目黒の牙城を崩した下町ジム~
 ~突然のジム廃業に選手は迷う~
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[随感]バングラデシュのテロ事件 
   
コーランの教えに反する殺戮 
 
バングラデシュのレストラン人質テロ事件は悪魔の仕業としか言いようがない。日本人7人を含む20人が犠牲になった。誠に残虐なただの殺戮にすぎず、犠牲になった方々にはお悔やみの言葉もない。
 
犠牲になった日本人7人は、JICA(国際協力機構)関連のプロジェクトで、バングラデシュのインフラ整備に携わっていた人たちだ。お国の発展に寄与する人々を無差別に殺した。それがイスラムの教えとは思わないが。
 
イスラム武装集団はことを起こすたびに「神(アッラー)は偉大なり」を唱えて、さも人殺しは神のお告げだとばかりに正当化しているが、私の知る限りコーラン(イスラムの教え)は、決して好戦的ではない。
 
「力強いとは、相手を倒すことではない。それは、怒っても当然というときにも心を自制する力を持っていることである」(マホメット)
 
また、コーランには、つぎのような言葉もある。「汝らに戦いを挑むものがあれば、アッラーの道において堂々とこれを迎え撃つがよい。だがこちらから不義を仕掛けてはならぬぞ。アッラーは不義をなすものをお好きにならぬ」(コーラン第3章) 
 
     
イスラムは戦争を好まぬ 

イスラムは、アラビア語で「平和」を意味する「サラーム」から来ている。イスラム自体は「神に全てを委ねる」の意。「コーラン」は、生活の規範に近いものだという。
 
だからして、決してイスラムは好戦的な教えを唱っているわけではないのである。さぞや内外のイスラム教徒は、肩身の重い辛い思いをしていることであろう。
 
ISとISに感化された過激派集団は、自爆テロなどで、世界各地で罪もない人を今日も殺す、果てしない負の連鎖が続く…自爆テロで多くの前途ある若者も死にゆく、何とも割り切れないものがある。 
 
  
[アラブ]ミステリアスなアラブを知る 
 
アラブを知ることは世界を知ることだ 

ここに一冊の本がある。「池上彰が読む『イスラム』世界」(KADOKAWA)この本から引用させていただき、アラブの不思議に迫ってみた。
 
アラブとはアラブ語を話す民が暮らす国を指す総称だという。で、イラン人は、アラブ人ではない?ペルシャ人ですと、てっきりアラブ人だと信じていました、無知でした。あのペルシャ帝国の子孫ですよ、誇り高き民族なのです。
 
ですから彼らは、田舎者のアラブ人と一緒にはしないでくれという。イランとは「アーリア人の国」、訳せば「高貴なる者」。他国の民を下に見ています。シーア派の国です。 
 
  
戒律に厳しいスンニ派の大国 

対する大国サウジアラビアは、預言者ムハムマドが生まれたメッカがある国で、メッカとメディナ2つのイスラムの聖地を抱えている。スンニ派の大国で、戒律の厳しく「コーラン」を一字一句信じて、ひたすら神を思う国。
 
しかるに飲酒はもちろん、音楽踊り、映画などの娯楽も一切禁止、特に女性には厳格な規制がある。女性は外で働くこともできず、家族以外の男性に姿を見せていけない。
 
外出するときには、全身を隠す黒いマント「アバヤ」をまとい、顔はベール「ニカブ」で覆い、男性に付き添われていかなければならない。
 
この国は原則として、観光客も受け入れない。つい最近まで世界一の産油国だった同国も、将来を見据えて、原発を2032年までに16基設置する計画があるという。おとぎの国も、とんだ様変わりだ。 

 
エジプトの人口の1割がキリスト教! 

シーア派とは「アリーの党派」(アリーはムハンマドの従兄)という意味、スンニ派は、慣習や伝統を守る、という意味でスンニ派はイスラムの教徒の85%を占める多数派。総じてこの2派は仲が悪い。
 
最後にピラミッドの国エジプト。多数の国民はイスラムなのに、ここに何と人口の一割のキリスト教徒がいるというのも驚かされる。
 
「コプト」とはエジプトを意味するギリシャ語で、原始キリスト教から派生したエジプト独特のキリスト教であり、イスラム教が入る前から存在しているにも関わらず、イスラムの激しい迫害に遭っているという。これも現実。
 
ざっと紹介しただけでも我々が知らないアラブの世界がある。開けゴマ、空飛ぶ絨毯…子供のころ親しんだ世界が、テロに苦しんでいるのは忍びない。もっと知ろう、もっと親しもうアラブ諸国! 
 
   
[イベント]盛大な真昼の宴になりそうです 

土屋ジョー、小野瀬邦英、両氏の参加! 

7月30日(土)の「第1回キックボクシング・デー」の集い(場所・渋谷区富ヶ谷の台湾料理の「麗郷富ヶ谷店」で開催)は、お蔭さまで20日の締め切りを待たずに満員御礼となりそうです。遺り僅かです。
 
想像した以上の元キックボクサーが集まりました。メインゲストの藤原敏男さんに始まり、増沢潔、バズーカ岸浪、ミッキー&アトム兄弟、元木浩二、金沢市三、伊藤威、小野瀬邦英、菅原忠幸、土屋ジョーの各OBが参加しくれます。
 
まだこれに加わるOBも名前が挙がっております。素晴らしい記念の宴にするべく企画準備中です。
どうぞ期待して御来場願いたいと存じます。
 
 
[風邪]甘く見てはいけない夏の風邪 
   
夏風邪にベッドに沈んだ 
 
とんだ夏風邪にやられて、このブログも今週はダメかなと思いつつも必死で綴っている。1カ月月ほど前から、喉がいがらっぽかったり、鼻水は止まらなかったり、おかしいとは思っていた。
 
それが3日土曜日にとうとう爆発した。友人の病気見舞いに春日部に向かう間、どうにも咳が止まらず、幸い車内は午前中で空いていたため助かったが、夏風邪恐るべしだ。
 
春日部で友人と会っている間も咳が止まらず、久しぶりに会って、話したいこと聞きたいことが山ほどあったのに、早々に引き上げてきた。当日は梅雨の合間の猛暑で、帰りがけ新宿のタイ料理の食材店に寄ったら、限界でやっと帰宅した。
 
それでも家内がトムヤムクンを料理するのを手伝ってなんとか作り終えたら、食欲がさっぱりわかず、どうも味が足りないと思いきや、畑で栽培しているパクチーを冷蔵庫に入れて忘れていた。 
 
     
翌日は代々木八幡の七夕祭り見物だったが 

日曜4日は、竹井さんに誘われて代々木八幡の七夕祭りに出かけた。当日も猛暑で頭くらくら、早々に引き上げよとしたら、元キックボクサーの元木浩二さんと、竹井さんが目に止まった。
 
特等席に陣取って、歌やものまねを見ながら、本木さんから次々に提供される御酒を加減しながら飲んだ。途中、大和武さん(元ボクサー&タレント)がお見えになり、座がにぎわった。
 
その夜はほとんど食事も摂らず、早々に就寝。太極拳&ラジオ体操は3日間休み、こんなことはいままでにないことだ。夏風邪、甘く見てはいけません。 
 
  
特別連載「わが心のキックボクサー」⑦東京ジム(文/村上 桂) 
 
名門目黒の牙城を崩した下町ジム 

昭和40年代、日本系キックのチャンピオンは大半が目黒ジム所属 であったが、その牙城を崩すべく何人かのチャンピオンを生んだのが下町は江東区木場にあった東京ジムである。
 
第一号チャンピオンは美代川正志。昭和46年7月に樫尾茂にTKO勝ちし日本フライ級王座を獲得。この王座は翌47年1月の初防衛戦で永山功(目黒)に奪われたものの、同年9月に同じ東京ジム の三浦正治が奪還した。その後、三浦は2度の防衛に成功した。
 
引き続き、渡貢二が昭和48年6月に王座決定戦で浜野和生(目黒)を判定に下し日本ミドル級王者に、2ヶ月後の8月には岩松幸一が中林茂美(目黒)にKO勝ちして日本フェザー級王座を獲得し、三浦と合わせて同時に3人ものチャンピオンを擁することになった。 
 
  
突然のジム廃業に選手は迷う 

しかし、何人ものチャンピオンを輩出するなど奮闘していた東京ジムであったが、昭和49年の春に突然活動を停止してしまった、その理由は「儲からないから」という現実的なもの。当時は毎週テレ ビ放映があり、エース沢村忠が健在で、第二のエース富山勝治が着々とメインイベンターの地位を築いていた時期であった。
 
それでも一部の選手、関係者を除いては華々しいスポットライトの陰で恵まれない思いをした方々が居たことは記録に留めておきたい。 
活躍の場を失った三浦正治は目黒ジムに、渡貢二は横須賀中央ジム にそれぞれ移籍し選手生活を続けた。岩松幸一は昭和49年1月亀谷長保(目黒)に敗れ初防衛に失敗するとそのまま引退した。
意外にも、ボクシングの世界的名選手だった高山勝義のキック転向第一戦の相手を務めた栗原善太、黒沢春義、双子の前田兄弟など、地味ながらも印象に残る選手が多かった。
 
また、須田康徳の師匠で ある玉村哲勇(初代市原ジム会長)も東京ジム所属として何戦かリングに上っている。同じ日本系でも横須賀中央ジムや西尾ジムなどは定期的に興行を打っていたのに対し、この東京ジムはどういうわけか自主興行はせず、皆他のジムが興行で一息ついていたのに対し、東京ジムはそれが出来なかった、あるいはしなかったのが廃業の遠因だったのかもしれない。(文中敬称略)
 
 
七夕祭で。左より元木さん、中央帽子を被っているのが大和武士さんです。

 
AKBの物まねのお嬢さんがた、子供たちの人気を集めていた。

  
  

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