東京鮫川会30年総会便り/朝ドラ 無私の実業家渋沢栄一ここにあり/他
--------------------------------------------
■[随感]「あさが来た」の渋沢栄一とは
~無私の実業家ここにあり~
~生涯500余の企業の創設に関わる~
~祖父の遺言を引き継いだ孫・敬三~
■[策略]ロシアの外交とは「マニョーブル」
~ラブロフ外相のこれが本音~
■[鮫川村通信]「東京鮫川会」30年総会便り
~日舞&詩吟あり盛大なパーティ~
~印象に残った和服姿~
--------------------------------------------
[随感]「あさが来た」の渋沢栄一とは
無私の実業家ここにあり
朝ドラ「あさが来た」に“銀行の神様”として渋沢栄一(役・三宅裕司)が登場、いよいよ加野家は銀行業務に乗り出す。あさが心血を注いだ九州の炭鉱は順調に発展する。
そこで渋沢栄一について、少々触れてみたい。埼玉県深谷市生まれ(駅前に銅像が建つ)、実家は農家で、藍玉(染料)の製造販売と養蚕で財をなした。幼い頃より従兄弟・尾高惇忠(富岡製糸場初代場長・実業家)に論語を習った。
栄一の人間形成の上でこの従兄弟が影響を与えた様に私には思える(いずれ調べたい)。長じて幕末の一橋慶喜(徳川最後の将軍)に仕える。ここで人格と才能をかわれ慶喜公に重用される。
27才の時、徳川昭武(後の水戸藩主)に随行、パリ万博を見学する他、欧州各国を視察する。この時の経験が「尊王攘夷」の渋沢を大きく変えることになり、明治政府に乞われ大蔵省に入り、新国家作りに寄与、次第に頭角を現す。
明治6年大蔵省を辞し民間経済人として活動、その手始めとなったのが、「第一国立銀行」の創設(頭取)でここを拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に尽力を注いだ。そのバックボーンは「道徳経済合一」で、企業は道徳を伴うべしをモットーとした。
生涯500余の企業の創設に関わる
このモラリティーは、論語の影響が大きいと思われるが、2000年前のセネカ(軍人・詩人)が鑑であったかもしれない、とは私なりの推測だが、人生観が酷似している。
セネカは自身はローマ有数の大資産家(全て皇帝ネロが与えた)であったが、富に心を奪われることなく「ゼロに戻る訓練」(赤貧に戻る)で、己の完全な精神の自由を確保した。(すらすら読める徒然草=中野孝次より)
渋沢候は、生涯500余の企業の創設に携わり、600余の教育機関・社会公共事業の支援、及び民間外交に力を尽くして、昭和6年、92才で亡くなった。その葬儀は盛大なものだったと伝える。
渋沢候を貫くものは「無私の精神」であった。その役職は悉(ことごと)く辞して、後年は慈善事業や教育活動に尽くす、天晴な生涯であった。(資料=渋沢栄一記念財団HP&ブリタニカ国際大百科辞典より)
渋沢が創設に携わっ他企業をざっと挙げると、理化学研究所、日本鉄道会社、王子製紙、三井銀行、東京ガス、帝国ホテル、東洋汽船、東京海上保険(我が国最初の保険会社)等々きらびやか。いまに残る大企業累々。
日本経済の礎(いしずえ)を創り、日本の今日の繁栄を齎したのは、紛れもなく渋沢栄一であると証明出来よう。あなたの街にある銀行もまた彼の手になるものかも。
祖父の遺言を引き継いだ孫・敬三
孫に当たる敬三は、日本銀行総裁、大蔵大臣を歴任した経済人で、かつ民族学者でもあった。ために、市井の民族学者宮本常一の最大の支援者であった。
宮本が全国隈なく行脚して、あの「農漁村探訪録」「宮本常一離島論集」「私の日本地図」など膨大な研究が出来たのも敬三のお蔭で、祖父の遺言を受け継いだといえる。渋沢栄一が残した「無私の精神」の教えを現代の企業家は忘れてはいけない。
さて、加野家は銀行の他、紡績にも乗り出す。そこで綿花を輸入する会社が必要になってくる。それが「日本綿花株式会社」の設立。のちの「ニチメン」、我愚妻が御世話になっていた総合商社(日商岩井と合併して現在は「双日」)である。
赤い糸は、こんな身近にも繋がって「あさが来た」は親近感を覚える。明治の近代化の一翼をになった広岡浅子の生き様はいよいよ拍車が掛り、渋沢候のいう「企業と人材育成」の実現のために益々東奔西走、ドラマはドラマを呼ぶ。
[策略]ロシアの外交とは「マニョーブル」
ラブロフ外相のこれが本音
ラブロフ外相のこんな発言で、早速日本外務省は憤る。「平和条約締結と北方領土問題解決は別だ」と、遂に本音が出た。
先ず二島先行返還論、あるいは四島一括返還論と散々日本側に気を揉ませて、挙句はこの度の発言だ。最近は「北方領土は、先の大戦で獲ったもの」とぬけぬけと申す、露外相、北方領土を返還する気持ち更々なし。
ロシア語に「マニョーブル」なる言葉がある。策略、駆け引きの意味だ。狡猾といった方がいい。お人よしの日本外交は、遣り手婆さんの手玉にすっかり弄(もてあそ)ばれた。
ゴルバチョフからエリツィン、プーチンまで、思えば日本は露側の甘言・駆け引きに踊らされてきた。それが「マニョーブル」の正体だ。今度は、北方四島の開発事業を一緒に遣りませんか、と日本の企業に秋波を送っている。どこまでも浅ましい。
何のことはない。石油・天然ガスの価格が暴落、従って通過ルーブルも下落、ロシア経済は危機に瀕している。金が欲しい、北方領土は自力で開発は出来ずにいる。謂わば、余喘(よぜん=虫の息)状態、手を貸さない方が賢明だ。
もしかして、最後は、四島を一括買わないかとセールスに来るかも知れない。今度は日本が「マニョーブル」になる番だ。お人よしも大概にして貰いたい。日・露の見え見えの政治ショーはもう沢山だ。
[鮫川村通信]「東京鮫川会」30年総会便り
日舞&詩吟あり盛大なパーティ
福島県東白川郡鮫川村(人口約3800人)出身で、主に東京在住及び近県在住者でなる「東京鮫川会」の平成28年総会が1月31日、新宿住友ビル47階スカイルームで開催された。村からも大楽勝弘村長始め議会議員、商工会の方々も大挙バスで参じた。
今回が第30回節目の記念総会とあって総会の後の新年会は、御祝いの日舞や詩吟があり、晴れやかなパーティになった。故郷の訛懐かし、中学の頃憧れの先輩女史とも語らいができて、本懐を遂げた
印象に残った和服姿
印象的だったのは御婦人方の和服姿で、件の先輩もそうだが、私が心奪われたご年配の方も、シックな小紋(?)の着物、帯は可愛い猫の絵柄、背筋をピンと立て、小柄な体は寸分も隙がなき装いに、御洒落の神髄を見た気がした。これぞ年輪の美…私には思わぬ眼福であった。和服は人を和ませる、よき逢着であった。
同級生が同会副会長や監事を務めるから、出ない訳にはいかない。彼等には会を牽引して欲しい。そういえば、長らく放置されていた西島旅館を村が買い取り、湯の田温泉(温度約32度)が復活したそうで、村外からの客を含め賑わいをみせているという。嬉しい事象だ。
<東京鮫川会30周年パーティグラフィティ>
総会で挨拶する大楽勝弘村長。

御祝いに日舞を舞う。故郷の香り。(Photo鮫川村役場)

鮫川村集合せよ!前に腰を落している方が、白坂副村長です。(Photo緑川綾)

賑わう会場で和服の素敵な後藤さん(旧姓緑川)、緑川さんと記念にパチリ。(Photo緑川綾)

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■[随感]「あさが来た」の渋沢栄一とは
~無私の実業家ここにあり~
~生涯500余の企業の創設に関わる~
~祖父の遺言を引き継いだ孫・敬三~
■[策略]ロシアの外交とは「マニョーブル」
~ラブロフ外相のこれが本音~
■[鮫川村通信]「東京鮫川会」30年総会便り
~日舞&詩吟あり盛大なパーティ~
~印象に残った和服姿~
--------------------------------------------
[随感]「あさが来た」の渋沢栄一とは
無私の実業家ここにあり
朝ドラ「あさが来た」に“銀行の神様”として渋沢栄一(役・三宅裕司)が登場、いよいよ加野家は銀行業務に乗り出す。あさが心血を注いだ九州の炭鉱は順調に発展する。
そこで渋沢栄一について、少々触れてみたい。埼玉県深谷市生まれ(駅前に銅像が建つ)、実家は農家で、藍玉(染料)の製造販売と養蚕で財をなした。幼い頃より従兄弟・尾高惇忠(富岡製糸場初代場長・実業家)に論語を習った。
栄一の人間形成の上でこの従兄弟が影響を与えた様に私には思える(いずれ調べたい)。長じて幕末の一橋慶喜(徳川最後の将軍)に仕える。ここで人格と才能をかわれ慶喜公に重用される。
27才の時、徳川昭武(後の水戸藩主)に随行、パリ万博を見学する他、欧州各国を視察する。この時の経験が「尊王攘夷」の渋沢を大きく変えることになり、明治政府に乞われ大蔵省に入り、新国家作りに寄与、次第に頭角を現す。
明治6年大蔵省を辞し民間経済人として活動、その手始めとなったのが、「第一国立銀行」の創設(頭取)でここを拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に尽力を注いだ。そのバックボーンは「道徳経済合一」で、企業は道徳を伴うべしをモットーとした。
生涯500余の企業の創設に関わる
このモラリティーは、論語の影響が大きいと思われるが、2000年前のセネカ(軍人・詩人)が鑑であったかもしれない、とは私なりの推測だが、人生観が酷似している。
セネカは自身はローマ有数の大資産家(全て皇帝ネロが与えた)であったが、富に心を奪われることなく「ゼロに戻る訓練」(赤貧に戻る)で、己の完全な精神の自由を確保した。(すらすら読める徒然草=中野孝次より)
渋沢候は、生涯500余の企業の創設に携わり、600余の教育機関・社会公共事業の支援、及び民間外交に力を尽くして、昭和6年、92才で亡くなった。その葬儀は盛大なものだったと伝える。
渋沢候を貫くものは「無私の精神」であった。その役職は悉(ことごと)く辞して、後年は慈善事業や教育活動に尽くす、天晴な生涯であった。(資料=渋沢栄一記念財団HP&ブリタニカ国際大百科辞典より)
渋沢が創設に携わっ他企業をざっと挙げると、理化学研究所、日本鉄道会社、王子製紙、三井銀行、東京ガス、帝国ホテル、東洋汽船、東京海上保険(我が国最初の保険会社)等々きらびやか。いまに残る大企業累々。
日本経済の礎(いしずえ)を創り、日本の今日の繁栄を齎したのは、紛れもなく渋沢栄一であると証明出来よう。あなたの街にある銀行もまた彼の手になるものかも。
祖父の遺言を引き継いだ孫・敬三
孫に当たる敬三は、日本銀行総裁、大蔵大臣を歴任した経済人で、かつ民族学者でもあった。ために、市井の民族学者宮本常一の最大の支援者であった。
宮本が全国隈なく行脚して、あの「農漁村探訪録」「宮本常一離島論集」「私の日本地図」など膨大な研究が出来たのも敬三のお蔭で、祖父の遺言を受け継いだといえる。渋沢栄一が残した「無私の精神」の教えを現代の企業家は忘れてはいけない。
さて、加野家は銀行の他、紡績にも乗り出す。そこで綿花を輸入する会社が必要になってくる。それが「日本綿花株式会社」の設立。のちの「ニチメン」、我愚妻が御世話になっていた総合商社(日商岩井と合併して現在は「双日」)である。
赤い糸は、こんな身近にも繋がって「あさが来た」は親近感を覚える。明治の近代化の一翼をになった広岡浅子の生き様はいよいよ拍車が掛り、渋沢候のいう「企業と人材育成」の実現のために益々東奔西走、ドラマはドラマを呼ぶ。
[策略]ロシアの外交とは「マニョーブル」
ラブロフ外相のこれが本音
ラブロフ外相のこんな発言で、早速日本外務省は憤る。「平和条約締結と北方領土問題解決は別だ」と、遂に本音が出た。
先ず二島先行返還論、あるいは四島一括返還論と散々日本側に気を揉ませて、挙句はこの度の発言だ。最近は「北方領土は、先の大戦で獲ったもの」とぬけぬけと申す、露外相、北方領土を返還する気持ち更々なし。
ロシア語に「マニョーブル」なる言葉がある。策略、駆け引きの意味だ。狡猾といった方がいい。お人よしの日本外交は、遣り手婆さんの手玉にすっかり弄(もてあそ)ばれた。
ゴルバチョフからエリツィン、プーチンまで、思えば日本は露側の甘言・駆け引きに踊らされてきた。それが「マニョーブル」の正体だ。今度は、北方四島の開発事業を一緒に遣りませんか、と日本の企業に秋波を送っている。どこまでも浅ましい。
何のことはない。石油・天然ガスの価格が暴落、従って通過ルーブルも下落、ロシア経済は危機に瀕している。金が欲しい、北方領土は自力で開発は出来ずにいる。謂わば、余喘(よぜん=虫の息)状態、手を貸さない方が賢明だ。
もしかして、最後は、四島を一括買わないかとセールスに来るかも知れない。今度は日本が「マニョーブル」になる番だ。お人よしも大概にして貰いたい。日・露の見え見えの政治ショーはもう沢山だ。
[鮫川村通信]「東京鮫川会」30年総会便り
日舞&詩吟あり盛大なパーティ
福島県東白川郡鮫川村(人口約3800人)出身で、主に東京在住及び近県在住者でなる「東京鮫川会」の平成28年総会が1月31日、新宿住友ビル47階スカイルームで開催された。村からも大楽勝弘村長始め議会議員、商工会の方々も大挙バスで参じた。
今回が第30回節目の記念総会とあって総会の後の新年会は、御祝いの日舞や詩吟があり、晴れやかなパーティになった。故郷の訛懐かし、中学の頃憧れの先輩女史とも語らいができて、本懐を遂げた
印象に残った和服姿
印象的だったのは御婦人方の和服姿で、件の先輩もそうだが、私が心奪われたご年配の方も、シックな小紋(?)の着物、帯は可愛い猫の絵柄、背筋をピンと立て、小柄な体は寸分も隙がなき装いに、御洒落の神髄を見た気がした。これぞ年輪の美…私には思わぬ眼福であった。和服は人を和ませる、よき逢着であった。
同級生が同会副会長や監事を務めるから、出ない訳にはいかない。彼等には会を牽引して欲しい。そういえば、長らく放置されていた西島旅館を村が買い取り、湯の田温泉(温度約32度)が復活したそうで、村外からの客を含め賑わいをみせているという。嬉しい事象だ。
<東京鮫川会30周年パーティグラフィティ>
総会で挨拶する大楽勝弘村長。

御祝いに日舞を舞う。故郷の香り。(Photo鮫川村役場)

鮫川村集合せよ!前に腰を落している方が、白坂副村長です。(Photo緑川綾)

賑わう会場で和服の素敵な後藤さん(旧姓緑川)、緑川さんと記念にパチリ。(Photo緑川綾)

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ