具志堅さんを追った轍こそ私の宝/ノーベル賞と日本人/他 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

具志堅さんを追った轍こそ私の宝/ノーベル賞と日本人/他

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[受賞] ノーベル賞と日本人
 ~21世紀は日本の世紀~
 ~ノーベル賞ラッシュはこれからだ~
 ~3Dも日本人の発明~
[スポーツ] ボクシング殿堂入り祝賀会
 ~具志堅さんを追った轍こそ私の宝~
[季節] 短い秋見つけた
 ~京都「永観寺」の圧倒的な紅葉~
[今週の俳句もどき]

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[受賞] ノーベル賞と日本人
 
21世紀は日本の世紀 
 
今年ノーベル賞は、日本人2人に与えられた。医学生理学の大村智さん(80)と物理学賞の梶田隆章さん(56)、二日連続のビックニュースだが、これとて特別奇異なことではなくなる日が遠からずこよう。
 
湯川秀樹博士が我国初のノーベル物理学賞を受けたのは戦後間もない1949年、それから66年を経て今日まで19人の受賞者がいる。
 
国別にみると、米国251人、英国78人、ドイツ69人、フランス31人に次いで5番目、スウェーデンの16人は驚きで、旧ソ連14人を凌駕している。同じ北欧デンマークは9人だからその違いは何処にあるんだろうか?
  
     
ノーベル賞ラッシュはこれからだ 

私は21世紀はことノーベル賞に限っては日本の世紀と確信している。20年位でフランスは元よりドイツにも肩を並べるのではないか。毎年、受賞者が続出するという現象は日本人に当たり前になる。
 
トムソン・ロイターは、今年の医学生理学の有力候補として日本人2人の研究者京都大学院教授森和俊氏、大阪大学免疫フロンティア研究センター教授坂口志文氏の名前を挙げていた。(トムソン・ロイター=米国の大手情報企業)
 
広義にいえば、魚の養殖からバイオテクノロジー、自動車の排ガス技術、医療現場の先端技術など日本人の得意な物作りの分野で、今後どんどん受賞の対象が広がって行くと思われる。
 
お家芸のニュートリノの粒子ではまだ知らない事が一杯あるらしいから、この世界でも日本人のノーベル賞が出る可能性を多分に秘める。
  
 
3Dも日本人の発明 

3D(3-dimension)は、3次元の立体画像をあっという間に造ってしまうという一種産業革命的な技法である。これを発明したのは、実は名古屋の小玉秀男氏(名古屋大卒、現在・弁理士)である。精巧な仏像でも簡単に作るのだから魔法の如きだ。
 
ところが特許を取得したのは、米国のベンチャー企業で、莫大な利益を得て大企業に発展した。当然将来はノーベル化学賞の対象になると思われる。
 
小玉氏は日本企業を回り、採用を訴えたが見向きもされず、米国企業が浚(さら)った。発明家として名前が残るが、特許料は発生しない。もったいない!
  
この様に、物理・化学分野では強いが、経済学や文学は弱いような気がする。こと文学では、大江健三郎以後、候補となるのは村上春樹のみ、見渡しても後に繋がる気鋭の作家は見当たらない。1000年前に、源氏物語を著した紫式部も泉下でさぞ嘆いているだろう。
  
  
[スポーツ] ボクシング殿堂入り祝賀会 
 
具志堅さんを追った轍こそ私の宝 

10月29日(金)は”カンムリワシ”具志堅用高さんの「国際殿堂博物館入りを祝う会」が渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで19時から開かれる。
  
私のもとにも招待状が届いた。さぞ多くの来賓の方が見える事だろう。万難を排して出席するつもりである。私にとっては一区切りのイベントと思っている。
  
最近は朝が早く、夜は試合などテレビで見るのも億劫になってきた。試合場に行くのも辛い。ボクシングやキックボクシングは私の血となり肉となって、今日まで生きてきた。何と幸せな人生よ。
 
パーティーには多分、ガッツ石松、輪島功一、西城正三の各元王者氏も集まるだろうから、来し方を偲び杯を交わすのが楽しみである。
 
1976年10月10日、ファン・グスマン(ドミニカ)を7ラウンドKOして始まった具志堅ストーリー。思えば、私は雑誌にDVDに、数限りなくそれが量とするならば、誰にも負けぬほど具志堅さんを著してきた。
 
その轍(わだち)こそが私の永遠の宝である。改めて、この度の受賞パーティーを機に、具志堅さんには「有難うございました」と我心で結びたい。
  
  
[季節] 短い秋見つけた 
 
京都「永観寺」の圧倒的な紅葉 

連休の最後、体育の日の天候は素晴らしい秋晴れで、早朝のラジオ体操の空は鱗雲、大地は心地よい秋冷。ナナカマドも真っ赤な実を付けて、虫の鳴き声は急に大人しくなってしまった。
 
富士山には初冠雪だとのニュース。テレビに映る富士山の麓は見事な紅葉で彩られていた。短い秋は旅情を誘う。倅が京都のK大にいた頃は、春の桜、秋の紅葉を散策して回った。
 
紅葉はやっぱり京都に尽きる。清水寺のそれも絶景だが、永観寺・禅林堂の紅葉はまるで額縁にしたような豪華絢爛たる朱の美で、私をしばし釘付けにしたものだ。
 
京都の桜、紅葉が何故、人を惹きつけるかといえば、それは寺社仏閣があるからで、それらが背景になりときに桜や紅葉の脇役となって、引き立てる…最近は温暖化で、見頃も遅れる。
 
私達夫婦が行ったときの紅葉は、12月初旬、熟れた朱の葉は心に浸みた。永観寺は、訪れる客をもてなすかのように、参道は紅葉の絨毯で敷き詰められていた。京都はまさに敷島の日本の心の故郷である。
  
    
[今週の俳句もどき]
 
桐の葉や逝く秋惜しみ今日もあり

秋冷や石にとまりて蜻蛉哉

子らの声弾(はじ)きおり柘榴哉


昭太郎
 
 
12日早朝の鱗雲(大山公園で)

 
公園の散歩コースの木々も色染めて 

 
 

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