具志堅用高さん殿堂入り/高森篤子さんを偲ぶ最後のダンスパーティ | 舟木昭太郎の日々つれづれ

具志堅用高さん殿堂入り/高森篤子さんを偲ぶ最後のダンスパーティ

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■[ボクシング]具志堅用高さん殿堂入り式典
 ~晴れのパレード 沿道の歓呼に応える~
■[宴]故高森篤子さんを偲びダンスパーティ
 ~故人の遺志を継いだ最後の「宴」~
 ~会場に故・篤子夫人が降臨した!~
 ~篤子さんは昇天して神になった~
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[ボクシング]具志堅用高さん殿堂入り式典 

晴れのパレード 沿道の歓呼に応える 

「国際ボクシング名誉の殿堂博物館」(1990年創設)入りに選ばれた元WBA世界ライト・フライ級チャンピオン具志堅用高さん(59才)の式典が6月14日(現地時間)に米ニューヨーク・カナスト-タで行われた。日本からは具志堅さんの他、故大場政夫(帝拳=元世界フライ級王者)も選ばれている。
 
式典に先立って、カナストータの町をオープンカーに乗り沿道の歓呼に応えた。このニューヨーク州の片田舎の町は、"BOXING WEEK"と謳われる一週間、ボクシングファンが世界中から集まってきてボクシング一色になるというのだ。
 
殿堂博物館(THE INTERNATIONAL BOXING HALL OF FAME)の式典では、具志堅さんは英語で御礼の挨拶を述べたという。「この素晴らしい一日を忘れない。殿堂入りの仲間入りを果たして大変うれしい」と感激を表した。一生忘れない感激だったに違いない。英語は愛娘(元JALのスッチー)の特訓の成果だろう。
 
式典には香澄夫人を始め家族全員、縁者、トレーナーも同行した。苦楽を共にしてきた、家族と歴史的な一瞬を共に分かち合いたい、という具志堅さんの配慮。
 
因みに選ばれたからといって、殿堂側から旅費も宿泊代も一銭も出るわけではない。全部自腹、「せっかくだから一週間休みを取り、家族全員連れていくことにしました。」と私に語っていたが、これは父からの密やかな感謝の証、やるねえ、具志堅さん。男だねえ~。
 
具志堅さんの栄光の軌跡を追い続けた私にとっても、この度の慶事(式典)は、我がことのように心に響くものがある。改めて、万感の思いを込めて「おめでとう!」
 
 
[宴]故高森篤子さんを偲びダンスパーティ 

故人の遺志を継いだ最後の「宴」 

4月6日七十才で永眠された高森篤子さんのを偲ぶダンスパーティが、6月28日13時から七十才のバースデーを兼ねて六本木"CLUB SIX TOKYO"で華やかに開催された。因みにこの会場は故人のお気に入りだった。
 
例年誕生パーティーは御自身の3月3日の誕生日に合わせて行われていたが、今年は既報の通り健康状態がすぐれず延期され、そして4月6日亡くなってしまった。高森さんが楽しみにしていた、その無念の思いを喪主で長男の城さんが「ありがとう」の言葉に代え最後の「宴」として、実現に奔走して今回のパーティが開催された。
 
何とも味わいの深い「宴」になった。あたかも故人が現場で采配を振るっているような、過去のパーティーと寸分も違わないような見事なもので、恐らく天国の梶原夫妻も「お前たちよくやったな、大したもんだ。」と喝采を送っていることだろう。
  
   
会場に故・篤子夫人が降臨した! 

会場の大型スクリーンには去年のパーティの模様が実況さながらに映し出され、高森夫人がまさに恍惚状態で踊っている。それは故人が会場に降臨したかのような倒錯の世界だった。「今日も母は(天国から)降りて来て、きっと踊りますよ」とちらりと笑顔を見せて、長男・城さんは申した。参加者もいつもと変わらず踊った。いい光景だった。
 
腹一杯飲食をさせて頂いた挙句、御土産に稲荷すし、お菓子まで頂いた。係の人が「持って行って。故人もその方が喜ぶから。」と、しきりに勧めてくれたものだ。
 
家内は何度かお邪魔しているが、今回が初めての友人も感無量で、私はいつもなら小一時間で帰るのに、何故か去り難くこの日ばかりは3時間も長居してしまった。
 
高森家にとって叔母に当たる武井さんは「姉はさっぱりと死んでいきました。母の10回忌法要が終わり、謝辞を述べている最中に突然倒れ、そのままでした。残念ですけど、姉らしい最期でしたよ」功徳と感謝の70年の人生!
  
   
篤子さんは昇天して神になった 

帰り際、何と今度は「母の遺品の装飾品です。よかったらお持ち帰りください。」と籠に溢れるほど入っている遺品を参加者に惜し気もなく配っていたのには、流石高森篤子の遺伝子よ!!と私は感動さえした。
 
妻はネックレスやミンクの毛皮のついたロング手袋を、私はスカーフとブローチを頂いた。ブローチは妻に上げたが、スカーフはポケットチーフにするつもり。
 
梶原一騎先生のIKKIマフラーと篤子さんのスカーフ、これで梶原夫妻の形見がセットで揃った。愛用させて頂きます。梶原先生の17回忌に発起人を勤めさせて頂き、そのときの記念の引き出物のマフラー。長年愛用して、いまは虫食いになってしまったけれど、冬場は肌身離さない。私の宝だ。
 
「落花は枝に還らずとも、今日の落花は来年の種になる」(秋月悌次郎)。
高森篤子さん、あなたの蒔いた種は我々の心の中に息づき、来年もまた花が咲きます。篤子さん、あなたは昇天して、神になりました。我が永遠の太陽です。
 
梅雨の晴れ間、天上で故人もさぞ満足していることだろう。ありがとう、篤子夫人、ありがとう、高森家のみなさん、そして参加者のみなさん!

♪花は 花は 花は咲く。
 いつもいつまでも君のために。
  
 
 
殿堂博物館入りのパレードで沿道のファンの歓呼に応える具志堅さん!
(写真提供:白井・具志堅スポーツジム)

  
<故高森篤子最後のパーティ「宴」のスナップ>
主催者(喪主)の高森城さん(左)と叔母の武井さんが揃って謝辞を述べる。

  
会場の雰囲気はさながら故人が生きているような感じだった。

  
生花に包まれた遺影、残念ながらバックライトの明りで見えない。
 
   

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