カンムリワシ還暦祝旅行/ いまやラジオ体操は体の一部/他 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

カンムリワシ還暦祝旅行/ いまやラジオ体操は体の一部/他

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■[還暦]カンムリワシも今年60才!
 ~具志堅会長の還暦を祝う旅行~
■[ラジオ体操]いまや体操は体の一部
 ~ボランティアの定義とは~
 ~指導者の人格を問う~
■[訃報]嗚呼、高森篤子さん逝去
 ~梶原一騎先生の元へ昇天~

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[還暦]カンムリワシも今年60才! 
   
具志堅会長の還暦を祝う旅行 

具志堅用高さん(白井・具志堅スポーツジム会長&タレント)が来月6月26日に満60才の還暦を迎える。そこで一足早い御祝い会を具志堅さんの栄光と共に歩んできた仲間が集って
一泊二日(17~18日)の旅を楽しんだ。
 
当初は6月26日の誕生日に合わせ企画されたものだが、具志堅会長は何せボクシングジム会長とタレントとの二足の草鞋で忙しく、やっとスケジュールが取れ前倒しで実現した。
 
17日昼、私は具志堅会長の車に便乗、仲間の待つ日立市のホテルに夕方到着。6時から市内にあるフランス料理店「デュバブレン」を貸切で御祝いのディナー。このお店はかつてミズノスポーツに勤務していた石橋淳さん兄弟が経営する。
 
還暦祝いに集まったのは、どのお方も具志堅さんと縁が深い人たち。元サンケイ・スポーツボクシング担当記者森嶌敏仁さん、元TBSボクシング・プロデューサー関口修平さん、元ミズノ・スポーツ具志堅選手担当薬師神芳夫さん、そして最後は元ゴング編集長舟木昭太郎の4人。
 
宴たけなわになった頃、「還暦おめでとうございます」と我々4人がミズノに特注したウェア(赤色)、ボールが御本人に贈呈された。いずれも"60TH ANNIVERSARY Y.GUSHIKEN"のネーム入り。このサプライズには驚き感激して頂いた。
 
二次会は近所のスナックでカラオケ三昧。夜の耽るのも忘れ歌いまくる。あくる18日は水戸カントリーで記念のゴルフだったが、体調のよくない関口氏と私は参加せず。森嶌氏は用事で一足早く帰った。
 
あっという間の祝還暦旅行。感無量。「人生は後半戦の方が面白い」という。具志堅会長には健康に留意して、益々の御活躍を祈りたい。 
 
  
[ラジオ体操]いまや体操は体の一部 

ボランティアの定義とは 

朝のラジオ体操はいまや私の体の一部になった。一日のリズムがここに生まれる。そのラジオ体操でちょっとしたトラブルがあって嫌な思いをした。ラジオのカセット(「みんなの体操」で使用)の操作が上手くいかず、三日間も肝心のラジオ体操が、途中から始まるという事態が続いた。
 
三日目は散々で「みんなの体操」(5分間=録音)が始まったのは、ラジオ体操の始まる時刻2分前、これじゃ今日も体操は最初から完全に出来ない、正面の時計を眺めながら私は落胆した。
 
案の定、体操はもう、かなり進行していて、私のモチベーションは低下した。最初からまともに、ラジオ体操がしたい!もう我慢の限界、何んとかして欲しい。
 
思い余って翌日の朝、私は、指導員の方々に「いろいろ大変でしょうけど、みんなの体操は中止しても、ラジオ体操を最優先、時間通り始めてもらえますか?」と改善をお願いした。

これに対して指導員のAさんも、会長Sさんも「明日からそうします。別のラジオに代えますので」と快く理解を示してくれた。さすが人の上に立つ指導者は違う。(事実翌日そうなって、仲間から私は感謝された。誰もが不愉快に思っていたのだ)
 
    
指導者の人格を問う 

ところがそこへ指導員の御夫人が凄い剣幕で割り込んできた。「私たちはね、ボランティアでやっているんですよ、ボランティアで!」まるで喧嘩腰、ごちゃごちゃ言うな、といわんばかり。いやはや。ボランティアとはそんなに畏れ多いことなの?
 
この御人は、ボランティアの定義を御存知ないらしい。広辞苑(岩波書店・新村出編)によれば、ボランティア(VOLUNTEER)とは、①志願者、篤志家、奉仕者②自ら進んで社会事業などに参加する人、とある。この意味分かるかなあ。
 
世阿弥の花伝書にも「秘すれば花なり」とあるではないか。声を大にしてそれを言っては御終いよ。誇示、主張するは愚か者仕業、もはや奉仕ではない。はっきりいって、この程度の人格のあなたに、他人を指導する資格はないのです。
 
実は、私もラジオ体操に関して前会長(大山公園の)から「前へ出て指導員を遣って呉れますか」と乞われたことがある(1年間講習会に通い、私も指導者の最低限の資格が有る)。しかし、朝は多忙で、ボランティアを全う出来ないので、私はお断りした。
 
ラジオをロッカーから出したり、セッティングしたり、指導したり、終わったら片付け。いい加減な気持ちでは出来ないからである。そんなわけで、いつも指導員の皆さんには敬服・感謝している。これからも末永く宜しくお願い致します。
  
 
[訃報]嗚呼、高森篤子さん逝去 

梶原一騎先生の元へ昇天 

梶原一騎夫人篤子さんが亡くなっていた!!梶原家のHPに訃報の案内が載っていると、友人が電話で知らせて呉れて初めて知った。死去されたのは4月6日、既に葬儀は終わっているとのこと、ただ慄(おのの)いた。享年70才。
 
最後に電話で高森夫人と話をしたのは、確か今年2月末。「今年の誕生パーティー(3月3日、例年六本木のディスコを貸し切って開催)は、体の具合がよくないので、延期しますので宜しくね。」というもので、私も夫人に「無理することないです。体が良くなってからにしましょう。」と答えた。
 
この会話が今生の別れになるとは。一昨年6月の私の「格闘技マスコミ人生45年パーティー」に発起人として出席してくださり、心籠る挨拶を頂戴した。アッパーはどれだけ高森夫人に助けて貰ったか計り知れない。ただ儚(はかな)い、夢幻の如し。
 
早速、16日護国寺の梶原家のお墓に妻と御参りした。一騎先生の傍に眠るのだ。私は手を合わせ涙が留めなく流れた。よく沢村忠さんと御自宅に伺った。嗚呼、無常!安らかにお眠りください。御世話になりました。尚、偲ぶ会の開催は、後日行われるという。
この項、来週も。
 
 
具志堅会長還暦祝い旅行

 

 

 

 
 

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