猛暑到来・セミの求愛で考える/トカチャンと爆笑トーク/他 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

猛暑到来・セミの求愛で考える/トカチャンと爆笑トーク/他

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■セミの求愛で考える
 ~オスの涙ぐましい努力~
 ~オスが短命なわけ~
■トカチャンと爆笑トーク
■地元の盆踊り
 ~線香花火の想い出~

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セミの求愛で考える

梅雨が明けて連日の猛暑です。週末の土日は殊の外暑く、自転車のペダルが破損したので、笹塚まで行ったのですが、まだ午前10時半だというのに、背中を照射する太陽は焼けるように感じました。
 
本格的な夏です。でもミンミンゼミは朝早くから騒がしく啼くのに、午後になっても今年は一向にアブラゼミが啼きません。おかしいですね。
 
公園の空地には沢山のセミの這い出た、パチンコ玉くらいの穴があるのに、どうした訳か蝉の抜殻は見つかりません。何処へ行ってしまったのでしょう。
 
セミが鳴くのはオス(♂)です。声を涸らし鳴くく理由は、メス(♀)を誘うためです。メスは木陰から、じ~っとオスの鳴き声を聴いています。声音は?、声の張りは?、聴き比べて一番元気がありそうなオスの所へ飛んでゆき求愛に応えます。 
 
 
オスの涙ぐましい努力

全ては健全な子孫を残すためです。オスならなんでもいいというわけにいきません。選ばれしものだけが晴れて結婚できるのです。でも遣って来たメスが二目と見られぬ醜女(しこめ)だったらどうするか。
 
それでも目を瞑(つぶ)ってするか、はたまた目に葉を1枚掛けて事を為すか、夏は短すぎる。これが最後のチャンスかも知れないと焦る。
 
選択肢はないのです。子孫を残すという崇高な目的のためだ。かくて無事ドッキング、真夏の情事とは、儚(はかな)く美しく、哀しいものなのです。
 
哀しいかな、童貞のままで一生を終えるオスも沢山いるでしょう。セミの世界には、ソープランドもないし不憫だと思いますよ。
 
もしかして、あぶれオスの「止り木」みたいなものがあったりしてね、仕込みの終わったメスが、出張ヘルス女に早変わり、チョイの間で冥途の駄賃を稼ぎに来たりして。
 
ねえ~ターさん、寂しいんでしょう。御代は安くしておくからさ~。雉(きじ)でもそうですよ、メスは地味な姿なのにオスは、けばけばしいほど目立つ派手な装いです。メスに存在を示すためです。  
 
  
オスが短命なわけ

ケ~ン、ケ~ンと雉のオスがけたたましく咆哮するのは、メス(♀)に求愛しているのです。それを物陰からじっと聞き耳を立てているのがメス(♀)なのです。声は美声か?、力強いか?、誠に詳細にチェックしているのです。恐いですねえ。
 
その叫びが命とりになって、オスは、猟師に居場所が知られ、鉄砲で撃たれる。そんな悲劇的幕切れもあります。「雉も鳴かずば撃たれまい」文字通り命を賭けた求愛なのです。
 
昆虫も、野鳥類も、人間も全て同じです。巷間夜な夜な飲み歩くのも、メスを求めているんです。何だか昔の己を語っているような気がしますが。
 
だからオスどもは長生きできないのです。メスを求め彷徨(さまよ)い、スタミナを使い果たし朽ち果てるのです。平均寿命が女性よりも短いというのも、こんな作業?を日々繰り返すのですから当然です。哀れ、汝の名は、♂よ。
 
 
こんな和歌を最後に一首。
  
鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす

 
             (後拾遺集)
   
   
トカチャンと爆笑トーク

雑誌の取材で渡嘉敷ジムに行った。ジムは東京メトロ丸の内線中野新橋駅から3分ほどのところにある。訪れるのは3年振りだ。
 
トカチャンはいつどんな時にも快く取材に応じてくれるから助かる。持つべき者は友なり。今回は専門のボクシングにあらず、ぐ~っとシリアスな問題。
 
あなたも、私もいつかは通る道、介護と福祉について、トカチャンと私の「爆笑トーク」。勿論ボクシングもあるよ。渡嘉敷勝男の神髄ここにあり、の前代未聞の面白さです。公開のときはお知らせいたします。
  
  
地元の盆踊り

地元代々木上原の盆踊りが日曜日にあった。午後3時過ぎスコールのごとき激しい雨で心配されたが、すぐに止んで予定通り開催できた。なにより。
 
土地柄、外国人の親子連れが多く見られ、しかも浴衣をばっちり着こなしているのには驚いた。年毎にそんな光景が多くなるのは嬉しい。特に父親が角帯をきりりと締めて、団扇を持つ姿は、風景に溶け込んでホレボレする。
  
私もいつかはそんな恰好で、家内とそぞろ歩きするのを望んでいる。この夜も「田吾作」御夫婦に御馳走になった。花より団子で、途中から合流した家内と、盆踊りを横目に飲み歩いた。
  
  
線香花火の想い出

夏祭りは何故か心浮き浮きさせるものだ。そういえば今年の隅田川花火は、幸い天気に恵まれた。テレビで見たが、年々大仕掛けになっていくようだ。それはそれでよいのだが、幼い頃庭の隅で兄妹でやった線香花火が、愛しい。
 
線香花火は儚い、小さな赤い玉になってぽろりと落ちてしまう。それをしゃがんで、何回もやる。玉が落ちる瞬間をじっと見つめては、あああ、と落胆する。せせらぎの音、山からの優しい夜風、満天の星空…思い出す故郷の夏。
 
それにしても、祭りが終わった後の森閑とした寂寥感は胸を打つね。取り残された赤提灯が夜空に揺れる様といったら、言葉には表せないものだ。また来年、心の中でそ~と我呟くのである。

 
祭りが終わった後の風景、提灯が夜風に揺れて。

 
露地栽培のミニトマト、ビーズのようです。

 
畑の隅に咲く向日葵も炎天下にすくすく伸びて。 
 
 

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