金田正一投手こそ日本一!/ダル、マーくんと比較するのは無理がある/他
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■金田正一投手こそ日本一!
~弱小球団での快記録~
~長嶋、伝説の四打席連続三振~
~金田投手とメジャー~
~比較するのは無理がある~
■大国魂神社祭礼
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金田正一投手こそ日本一!
2カ月前程だったか、すつぽん「田吾作」のカウンターで金田昌巳さん(39)を御紹介された。金田さんは有名な金田正一(かねだ・まさいち)元投手の甥にあたる。父親は金田留広氏(元東映、日拓、広島東洋で活躍)のサラブレッド一家、イケメンの好青年である。
御自身も東海大甲府で遊撃手、1番バッターで甲子園に出場している。現在、金田企画に勤務して、叔父(正一社長)のマネジャーをやっているという。
「田吾作」の御子息井上宏明君とは中学の同級生ということだったので、気安く話が弾んだ。この夜私は日本酒を飲んで、少しばかり酩酊していた。”伝説の野球人”の血を分けた方と時間を共有している、との思いもあって僅かばかりテンションが高くなった。
甥御さんを前に、ここは絶対に金田正一さんについて語らねばと、かねての思いを吐露したくなった。誰が何といおうと日本が生んだ、NO,1は金田正一投手、私はそう思い続けてきたからである。
「金田の前に金田なし、金田の後ろに金田なし」だよ。二番目が、神様・仏様・稲尾様、の鉄腕・稲尾和久。三番目はべーやん、別所毅彦だね。私は、沢村やスタルヒンは見ていないから、この二人に関しては何も語れないが、いずれにせよ「400勝投手」には誰も勝てやしない。今後絶対生まれない投手です。
~弱小球団での快記録~
金田少年は、愛知の享栄商業(現・享栄高)を中退、17才で創設間もない国鉄スワローズ球団に入団。以後この弱小球団で通算353勝、内巨人戦で65勝(歴代1位)を挙げた。 晩年巨人に移籍して、47勝、巨人のV9にも貢献した。もし金田投手が最初から巨人や阪神に入団していたら500勝はおろか、600勝の可能性は充分あっただろう、と私は信じる。いずれにしてもアンビリーバブルな成績。
微酔も手伝って、私の素人金田論はエスカレートした。これを黙って聴いていた金田マネは、相好を崩した。「叔父に伝えて置きます、喜ぶと思いますよ」その言葉にオヤジは、童(わらべ)が褒められた如く内心喜んだ。
すると金田マネは、スマホを誇らしげに開き金田×長嶋の初対決(1958年(昭和S33年)4月5日、後楽園球場での開幕戦)のダイジェスト動画を見せてくれた。歴史的な長嶋の4連続三振の場面、日本中が固唾を飲んで見守った懐かしい映像である。「伝説の男は、自ら伝説を作り出す能力を有す」。長嶋選手を赤子の手をひねるように翻弄したシーンは、衝撃的だった。役者が違った。
~長嶋、伝説の四打席連続三振~
ゆったりしたフォームから投げる金田投手は戦慄的だった。これに対して、フルスイングで応えた長嶋も美しかった。4打席4三振だけれども、不甲斐無いとは思わなった。限りなく未来を感じさせるものだった。
金田投手の懸河のドロップ(いまはカーブと称するか)と速球に長嶋のバットは徒に空を切るばかり。これこそが日本一投手の矜持なのだと、金田投手に感服したものだ。
当時私は巨人ファンだったが、長嶋の三振に妙に落胆しなかったのは、金田なら仕方がないとの思いと、長嶋の天衣無縫な空振りにあった。空振りには”華”があった。太陽の輝きがあった。長嶋という太陽は、その後日本中の野球ファンを照らし続けた。長嶋という好敵手を得て金田もまた輝きを増した。この二人が後年同じ巨人でプレイするとは思わなかったよ。
金田昌巳さんと知り合った。これも何かの縁。改めて金田正一とは何ぞやを考えてみた。記録には疎い私も、調べる程に凄い投手であることに痛感した。現役生活20年、400勝298敗は勝数でも、負数でも前人未到の大記録。投番回数944試合、内完投が365試合、完封が82試合。奪三振4490個、生涯防御率2.34。凄~い。
自身が打ったホームランが38本、勿論これも投手の記録。プロデビューは1950年で、翌2年目は早くも44試合に先発、完投25試合で24勝25敗、同年9月5日の対阪神戦(大阪球場)でノーヒットノーランを達成。18才35日での達成は最年少記録。何処まで続く記録更新の連鎖。
1957年8月21日、対中日戦では完全試合を成し遂げ、1958年には24才で200勝達成も日本記録。且つ以後14年連続20勝!ざっと記録を調べただけで、驚愕の数字が居並ぶ。私がいうまでもない、数字を見れば「金田投手こそ日本が生んだ最高最大のピッチャーである」の評はどなたも異論あるまい。だからダルビッシュや田中と較べるまでもない。
しかも現在のようにセットアップマンもクローザーもいるわけでもない。先発投手は完投が命題で、中4日とか5日というローテションも確立していない時代。 場合によっては完投した翌日に緊急のリリーフもあった。それを裏付けるのが400勝中、リリーフ勝利が「132」もあることだ。完投あり、リリーフあり、締めあり…金田という投手は一体なんだ!
こういった過酷な状況下で、大怪我なく投げ続け400勝。このような不世出の投手と私が、時代を共に歩きその勇姿を見られたことは倖せの一語に尽きる。 金田、長嶋、王、稲尾、村山がいた時代。嗚呼、「三丁目の夕日」が眩しい。
それは格闘技でも言える。ゴング誌の編集記者としてプロレスでは馬場、猪木、藤波、長州、そしてタイガーマスク、前田。ボクシングでは石松、輪島、大場、具志堅。キックボクシングでも沢村、藤原…その全盛時代に取材できた。これも巡り合わせ。私は何と幸運な男であろう。
そろそろ終わりにしたい。ちょっと気になることが有る。金田正一氏が「ワシといまの田中将大やダルビッシュと比べるなんて失礼だ。」との言に対して、ネットで「老害だ、年寄の自慢,引っ込んでいろ!」と百家争鳴し非難を浴びていることに心傷む。偉大なる投手、敬愛しなくてはならない。
金田氏の申していることは、決して田中やダルビッシュを貶めているわけではない。正統に評価されない世間への苛立ち、と私は思える。 金田正一投手が20年かかって築き上げた金字塔だ。そのオレと、若い二人を天秤に掛けられてたまるか!多分にこんな心境だろうか。分かる、私にはその気持ち分かる。
~金田投手とメジャー~
金田投手が全盛期ならメジャーでも、十分17勝~20勝の可能性ありとみる。ときはヤンキースの黄金期。”くたばれヤンキース”の時代。監督は名将ステンゲル。 12年間でワールドシーズ制覇7回。捕手ヨギベラ、外野手にミッキー・マントルがいた。ピンストライプのユニホーム、金田投手に着せたかった。見たかった。いまの田中とだぶらせて思う。
バネのある長身、頑健な体躯、物事に動じない精神力、加えてスタミナ充分。なによりも得難いサウスポー。速球は150㌔以上も出る。(元巨人軍川上監督の証言『日本プロ野球で一番早い球を投げたのは金田でしょう』ネットより引用)
その速球を軸に変幻自在、緩急織り交ぜた大小のカーブは、メジャーのホームランバッターも打ち崩すのは至難の業であろう。ここ一番のドロップ(敢て)は二階から落ちるようだった、と対戦者は証言している。
金田ってどういう投手だったの?と若い世代に聞かれれば、迷わず私はメジャー屈指の元投手ランディ・ジョンソン(サイ・ヤング賞5回、最多奪三振9回、WシリーズMVP1回)を挙げる。同じサウスポー、長身からの鞭のようにしなる腕、胸元に食い込む速球。似ている。いずれも甲乙付け難い日米不滅の大投手である。
~比較するのは無理がある~
ダルビッシュや田中は、伝説を積み重ねている最中である。まだ”天皇”金田正一の域には遠く及ばない。金田山脈は例えれば、世界最高峰チョモランマ(エベレスト)。400勝の中身をご覧あれ、篤と。但しダルビッシュや田中のメジャーでの活躍は目を見張るものがあります。私も応援しています。日本の誇りです。
彼等二人が何処まで”天皇・金田”に迫り、頂上をアタックできるか、楽しみです。大先輩の背を追い続けて欲しい。比較する必要はありません、無駄な事です。ネットで金田氏を腐すのも結構ですが、一度金田正一投手のレコードを精査してみては如何でしょうか。「記録は沈黙の生き証人なり」
「温故知新」とは、古きを訪ねて新しきを識ることです。金田正一の偉大な轍(わだち)の跡を辿って見てください。きっときっと腐すあなたも、肯首、得心するはずです。金田正一さんを正しく評価してあげたい。好き嫌いは別の次元である。
あの旧後楽園球場に喚声がこだまする。「サード、長嶋、背番号3。サード、長嶋、背番号3。」「ピッチャー、金田。ピッチャー、金田、背番号34。」
高度成長期、野球も国民も皆、元気があった。日本が輝いていた。そんな時代のヒーローだったのが金田正一投手でした。あなたは間違いなく日本一のピッチャーです。金田昌巳マネジャーさん、そうお伝え下さい。
金田さんも御年80才になられた。あなたの栄光の日々が走馬灯の如くめくるめく甦ります。あの時代、日本野球の爛熟期でした。もうあの日は戻ってこないでしょう。どうぞいつまでも御達者でいてください。
大国魂神社祭礼
3日は家内を連れ立って夕刻府中の大国魂神社祭りに出掛けた。府中に降り立つのは初めてだった。駅前の欅並木や、神社境内の鬱蒼とした樹木には正直いって驚いた。
何だか伊勢に来たような神聖な気分になった。目的は境内の出店で、野菜の苗を買うことだった。知人に聞いて来たのだが、植木や苗の店が溢れていた。胡瓜、茄子、トマト、ピーマンを沢山買い込んだ。
6時になると山車が練り歩き、車の上ではひょっとこ踊りや神楽などが、お囃子と共にかしましいほど。駅前の欅並木にそれらが集中して、風雅な賑わいを見せて私達老夫婦はしばし立ち尽くした。くらやみ祭が呼び物らしいが、それを見ずに帰った。また、次は「くらやみ祭」を是非見たい。
金田企画マネジャー、金田昌巳氏(後列左端)、その隣が私。
前列左より井上宏明氏、田吾作ママ。(すっぽん「田吾作」で)

大玉魂神社祭礼で山車の賑わい

大玉魂神社の鳥居付近

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
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■金田正一投手こそ日本一!
~弱小球団での快記録~
~長嶋、伝説の四打席連続三振~
~金田投手とメジャー~
~比較するのは無理がある~
■大国魂神社祭礼
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金田正一投手こそ日本一!
2カ月前程だったか、すつぽん「田吾作」のカウンターで金田昌巳さん(39)を御紹介された。金田さんは有名な金田正一(かねだ・まさいち)元投手の甥にあたる。父親は金田留広氏(元東映、日拓、広島東洋で活躍)のサラブレッド一家、イケメンの好青年である。
御自身も東海大甲府で遊撃手、1番バッターで甲子園に出場している。現在、金田企画に勤務して、叔父(正一社長)のマネジャーをやっているという。
「田吾作」の御子息井上宏明君とは中学の同級生ということだったので、気安く話が弾んだ。この夜私は日本酒を飲んで、少しばかり酩酊していた。”伝説の野球人”の血を分けた方と時間を共有している、との思いもあって僅かばかりテンションが高くなった。
甥御さんを前に、ここは絶対に金田正一さんについて語らねばと、かねての思いを吐露したくなった。誰が何といおうと日本が生んだ、NO,1は金田正一投手、私はそう思い続けてきたからである。
「金田の前に金田なし、金田の後ろに金田なし」だよ。二番目が、神様・仏様・稲尾様、の鉄腕・稲尾和久。三番目はべーやん、別所毅彦だね。私は、沢村やスタルヒンは見ていないから、この二人に関しては何も語れないが、いずれにせよ「400勝投手」には誰も勝てやしない。今後絶対生まれない投手です。
~弱小球団での快記録~
金田少年は、愛知の享栄商業(現・享栄高)を中退、17才で創設間もない国鉄スワローズ球団に入団。以後この弱小球団で通算353勝、内巨人戦で65勝(歴代1位)を挙げた。 晩年巨人に移籍して、47勝、巨人のV9にも貢献した。もし金田投手が最初から巨人や阪神に入団していたら500勝はおろか、600勝の可能性は充分あっただろう、と私は信じる。いずれにしてもアンビリーバブルな成績。
微酔も手伝って、私の素人金田論はエスカレートした。これを黙って聴いていた金田マネは、相好を崩した。「叔父に伝えて置きます、喜ぶと思いますよ」その言葉にオヤジは、童(わらべ)が褒められた如く内心喜んだ。
すると金田マネは、スマホを誇らしげに開き金田×長嶋の初対決(1958年(昭和S33年)4月5日、後楽園球場での開幕戦)のダイジェスト動画を見せてくれた。歴史的な長嶋の4連続三振の場面、日本中が固唾を飲んで見守った懐かしい映像である。「伝説の男は、自ら伝説を作り出す能力を有す」。長嶋選手を赤子の手をひねるように翻弄したシーンは、衝撃的だった。役者が違った。
~長嶋、伝説の四打席連続三振~
ゆったりしたフォームから投げる金田投手は戦慄的だった。これに対して、フルスイングで応えた長嶋も美しかった。4打席4三振だけれども、不甲斐無いとは思わなった。限りなく未来を感じさせるものだった。
金田投手の懸河のドロップ(いまはカーブと称するか)と速球に長嶋のバットは徒に空を切るばかり。これこそが日本一投手の矜持なのだと、金田投手に感服したものだ。
当時私は巨人ファンだったが、長嶋の三振に妙に落胆しなかったのは、金田なら仕方がないとの思いと、長嶋の天衣無縫な空振りにあった。空振りには”華”があった。太陽の輝きがあった。長嶋という太陽は、その後日本中の野球ファンを照らし続けた。長嶋という好敵手を得て金田もまた輝きを増した。この二人が後年同じ巨人でプレイするとは思わなかったよ。
金田昌巳さんと知り合った。これも何かの縁。改めて金田正一とは何ぞやを考えてみた。記録には疎い私も、調べる程に凄い投手であることに痛感した。現役生活20年、400勝298敗は勝数でも、負数でも前人未到の大記録。投番回数944試合、内完投が365試合、完封が82試合。奪三振4490個、生涯防御率2.34。凄~い。
自身が打ったホームランが38本、勿論これも投手の記録。プロデビューは1950年で、翌2年目は早くも44試合に先発、完投25試合で24勝25敗、同年9月5日の対阪神戦(大阪球場)でノーヒットノーランを達成。18才35日での達成は最年少記録。何処まで続く記録更新の連鎖。
1957年8月21日、対中日戦では完全試合を成し遂げ、1958年には24才で200勝達成も日本記録。且つ以後14年連続20勝!ざっと記録を調べただけで、驚愕の数字が居並ぶ。私がいうまでもない、数字を見れば「金田投手こそ日本が生んだ最高最大のピッチャーである」の評はどなたも異論あるまい。だからダルビッシュや田中と較べるまでもない。
しかも現在のようにセットアップマンもクローザーもいるわけでもない。先発投手は完投が命題で、中4日とか5日というローテションも確立していない時代。 場合によっては完投した翌日に緊急のリリーフもあった。それを裏付けるのが400勝中、リリーフ勝利が「132」もあることだ。完投あり、リリーフあり、締めあり…金田という投手は一体なんだ!
こういった過酷な状況下で、大怪我なく投げ続け400勝。このような不世出の投手と私が、時代を共に歩きその勇姿を見られたことは倖せの一語に尽きる。 金田、長嶋、王、稲尾、村山がいた時代。嗚呼、「三丁目の夕日」が眩しい。
それは格闘技でも言える。ゴング誌の編集記者としてプロレスでは馬場、猪木、藤波、長州、そしてタイガーマスク、前田。ボクシングでは石松、輪島、大場、具志堅。キックボクシングでも沢村、藤原…その全盛時代に取材できた。これも巡り合わせ。私は何と幸運な男であろう。
そろそろ終わりにしたい。ちょっと気になることが有る。金田正一氏が「ワシといまの田中将大やダルビッシュと比べるなんて失礼だ。」との言に対して、ネットで「老害だ、年寄の自慢,引っ込んでいろ!」と百家争鳴し非難を浴びていることに心傷む。偉大なる投手、敬愛しなくてはならない。
金田氏の申していることは、決して田中やダルビッシュを貶めているわけではない。正統に評価されない世間への苛立ち、と私は思える。 金田正一投手が20年かかって築き上げた金字塔だ。そのオレと、若い二人を天秤に掛けられてたまるか!多分にこんな心境だろうか。分かる、私にはその気持ち分かる。
~金田投手とメジャー~
金田投手が全盛期ならメジャーでも、十分17勝~20勝の可能性ありとみる。ときはヤンキースの黄金期。”くたばれヤンキース”の時代。監督は名将ステンゲル。 12年間でワールドシーズ制覇7回。捕手ヨギベラ、外野手にミッキー・マントルがいた。ピンストライプのユニホーム、金田投手に着せたかった。見たかった。いまの田中とだぶらせて思う。
バネのある長身、頑健な体躯、物事に動じない精神力、加えてスタミナ充分。なによりも得難いサウスポー。速球は150㌔以上も出る。(元巨人軍川上監督の証言『日本プロ野球で一番早い球を投げたのは金田でしょう』ネットより引用)
その速球を軸に変幻自在、緩急織り交ぜた大小のカーブは、メジャーのホームランバッターも打ち崩すのは至難の業であろう。ここ一番のドロップ(敢て)は二階から落ちるようだった、と対戦者は証言している。
金田ってどういう投手だったの?と若い世代に聞かれれば、迷わず私はメジャー屈指の元投手ランディ・ジョンソン(サイ・ヤング賞5回、最多奪三振9回、WシリーズMVP1回)を挙げる。同じサウスポー、長身からの鞭のようにしなる腕、胸元に食い込む速球。似ている。いずれも甲乙付け難い日米不滅の大投手である。
~比較するのは無理がある~
ダルビッシュや田中は、伝説を積み重ねている最中である。まだ”天皇”金田正一の域には遠く及ばない。金田山脈は例えれば、世界最高峰チョモランマ(エベレスト)。400勝の中身をご覧あれ、篤と。但しダルビッシュや田中のメジャーでの活躍は目を見張るものがあります。私も応援しています。日本の誇りです。
彼等二人が何処まで”天皇・金田”に迫り、頂上をアタックできるか、楽しみです。大先輩の背を追い続けて欲しい。比較する必要はありません、無駄な事です。ネットで金田氏を腐すのも結構ですが、一度金田正一投手のレコードを精査してみては如何でしょうか。「記録は沈黙の生き証人なり」
「温故知新」とは、古きを訪ねて新しきを識ることです。金田正一の偉大な轍(わだち)の跡を辿って見てください。きっときっと腐すあなたも、肯首、得心するはずです。金田正一さんを正しく評価してあげたい。好き嫌いは別の次元である。
あの旧後楽園球場に喚声がこだまする。「サード、長嶋、背番号3。サード、長嶋、背番号3。」「ピッチャー、金田。ピッチャー、金田、背番号34。」
高度成長期、野球も国民も皆、元気があった。日本が輝いていた。そんな時代のヒーローだったのが金田正一投手でした。あなたは間違いなく日本一のピッチャーです。金田昌巳マネジャーさん、そうお伝え下さい。
金田さんも御年80才になられた。あなたの栄光の日々が走馬灯の如くめくるめく甦ります。あの時代、日本野球の爛熟期でした。もうあの日は戻ってこないでしょう。どうぞいつまでも御達者でいてください。
大国魂神社祭礼
3日は家内を連れ立って夕刻府中の大国魂神社祭りに出掛けた。府中に降り立つのは初めてだった。駅前の欅並木や、神社境内の鬱蒼とした樹木には正直いって驚いた。
何だか伊勢に来たような神聖な気分になった。目的は境内の出店で、野菜の苗を買うことだった。知人に聞いて来たのだが、植木や苗の店が溢れていた。胡瓜、茄子、トマト、ピーマンを沢山買い込んだ。
6時になると山車が練り歩き、車の上ではひょっとこ踊りや神楽などが、お囃子と共にかしましいほど。駅前の欅並木にそれらが集中して、風雅な賑わいを見せて私達老夫婦はしばし立ち尽くした。くらやみ祭が呼び物らしいが、それを見ずに帰った。また、次は「くらやみ祭」を是非見たい。
金田企画マネジャー、金田昌巳氏(後列左端)、その隣が私。
前列左より井上宏明氏、田吾作ママ。(すっぽん「田吾作」で)

大玉魂神社祭礼で山車の賑わい

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