太極拳を習い始めた/ボクシング編集者春原氏逝去/他 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

太極拳を習い始めた/ボクシング編集者春原氏逝去/他

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■田中のメジャーデビュー
■太極拳を習い始めた
 ~初心者に響く指導者の一言~
■ボクシング編集者春原氏逝去

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田中のメジャーデビュー

 田中将太投手の「未知と遭遇」大リーグデビューは合格点。記念すべき初勝利を挙げた。対トロント・ブルジェイズ戦。敵地のマウンド。初回、いきなり1番打者カブレラにホームランを打たれた。2回にも2点を許し心配な立ち上がりだった。
 
 しかし3回からはピッチングを修正して立ち直った。以後、日本で投げるような直球主体の自信を持った投球、安心して見て居られた。味方が7点を叩きだして、田中を援護、ヤンキースは7-3で勝った。
 
 7回97球。3失点、8奪三振、無四球。見事、先発の役目を果たした。次回は9日、地元ヤンキースタジアムでの対オリオールズ戦。1億5500万㌦(160億円)投手がいよいよ本拠地ニューヨークに降臨する。
 
 ニューヨークのファンは厳しいぞ。打たれればくそみそ容赦ないブーイング。好投すればスタンディングオーベーション。それだけに遣り甲斐があるというものだろう。ピンストライブのユニホーム姿、わくわくするねえ。
 
 田中投手はナインとの融和を大事にする男らしい。ロッカールームには、「皆さんどうぞ食べてください」と英語で書かれた箱があり、中には森永製菓の「チュウハイ(レモン味)」のお菓子が入っているらしい。これが選手間では好評らしい。
 
 一方ダルビュシュ有投手は、敢然と我が道を貫く。時にキャッチャーとも衝突する。ベンチでも孤高の姿勢を崩さない。個性派の多い大リーグでオレ流を貫くことは容易ではない。今年は少しキャッチャーと意志の疎通をはかるようになったけれど。
 
 この対照的なダルビュシュと田中。大リーグという夢舞台で、競い合う。こんな時代が来ることを誰が予想したか。それも逐一BSやスポーツチャンネルで見られる。
健康で、少量の御酒があって、大リーグの試合が見れる。老境の身で、これ以上人生に何が不足があろうか?
 
 
太極拳を習い始めた

 4月2日誕生日思い立って「太極拳」を始めた。区の施設で無料、誰でも参加できると区の広報にあり気軽に出掛けた。ラジオ体操で顔見知りの方も何人かいて、その点では安心できた。
 
 1時間半やってみて予想通り難しいもんだと実感。しかし見よう見真似で体を動かしながら、これは健康にいいと得心。ゆったりした動きの中に、そこはかとなしに血液の流れを感じる。名状しがたい充足感、疲れ、これこそが我が求めしもの!
 
 太極拳の稽古に入る前に30分の予備体操、御婦人指導による入念にして、丁寧なこの体操で充分私の老体は覚醒。そのあとに男子講師が登場、音楽を奏でて稽古となる。
 
 
~初心者に響く指導者の一言~

 で、始まり前の講師の挨拶が心を和ませる。「皆さん、いまの30分の準備体操で本来は充分なんですよ。太極拳がそんなに上手にならなくていいんです。気楽に体を動かしてください。」
 
 さり気ないこのちょっとした挨拶に励まされ、太極拳に頓珍漢な私は、リラックスして臨めた。最後尾で上級者たちの動きに合わせ、時にバラバラな手足の動きにもものともせず、何とか最後まで遣り通せた。講師の一言があと押ししてくれたのだ。
 
 講師の助言が、初心者の脆い心をいかに勇気づけるか、である。指導者とはかくあるべき。巷間かくも優秀な指導者がいることに私は感銘を覚えた。
 
 太極拳を学んでみて、これこそは健康体操であると体感。年寄には最適なスポーツである。福島県喜多方市が市のスポーツとして、太極拳を採り入れているのは、その意味で正鵠を得る。
 
 残念なのは御婦人が9割で男性が少ない事。女性の平均寿命が勝っているのも、あながち不思議ではない。お年寄よ、隠栖(いんせい)者になってはいけない、外にでよう、体を動かそう!明日では遅い!
 
 なんとか続けられそうである。まあ、気長にやっていきます。なにせ覚えが悪いので皆さんに迷惑をお掛けしますが。「老犬に芸を教えても無駄である」という諺にもあります。立派な老犬です、宜しく願います。
 
  
ボクシング編集者春原氏逝去

 「ボクシング・ビート」誌編集部春原俊樹氏が胃癌のため3月30日に亡くなった。享年57才。残念でならない。お通夜は4月1日、埼玉県北浦和の葬祭斎場で執り行われ、顔馴染みのボクシング関係者の姿が多く見られ、突然の死を悼んでいた。ボクシング界はかけがいのない人をまた一人失った。
 
 春原氏は1989年に「ワールドボクシング」誌(「ボクシング・ビート誌」の前身)に入り四半世紀にわたり副編集長として、前田吏編集人をサポート、ボクシングの発展に尽くしてきた。私も仕事を手伝ってもらったことがある。春原氏は仕事の段取りがよく締め切前には、必ず原稿を頂いた。
 
 その実直な人柄は選手やジム関係者の誰からも愛されていた。今年1月突然一身上の都合で会社を辞め埼玉県下の病院に入院していた。胃癌だったとは。本人は余命2カ月と知っていたとか。私もメールを交換したが「一身上の都合です」としか返ってこなかった。
  
 己の余命知り、死と向き合いながらの日々…その心境たるやいかばかりだったか。まさにわが肺腑に突き刺さる思いである。静かに静かに、緞帳を降ろした春原氏の57年の人生よ。あなたの業績は不滅です。折しも6日井上尚弥(大橋)が、WBC世界フライ級王者に日本最短6戦目で就いた。春原氏への御礼の戴冠でなかったのか。
 
 さようならわが友よ、安らかに眠ってください。心で10(テン)ゴングを鳴らしながら…あなたを偲びます。
 
 
6日、西原商店街の遊歩道での「桜祭り」も風雨のため中止になり、細々と行われた。

 

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