玉城良光、その不退転なるもの/亀谷長保、猛こと炎の如し/他
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■正月スポーツの地殻変動
■玉城良光、その不退転なるもの
■亀谷長保、猛こと炎の如し
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正月スポーツの地殻変動
昨今の正月スポーツを見ていると大分勢力圏も様変わりした。高校サッカーの決勝戦は北陸同士、富山第一と星陵だった。延長の末3-2で勝ったのは富山第一だったのだけれど、決勝といえば市立船橋や、長崎国見、藤枝東、韮崎、帝京などが常連校だった。船橋は健在であるが、国見、藤枝東はどうしたのだろ?最近は見られない。
ラグビーにしたって、目黒や保善といった東京勢が圧倒的に強かった時代もあった。今は両校の名はとんと聞かれない。東北では秋田工、岩手の黒沢尻、関西にいくと伏見工、九州では大分舞鶴などなど。こういった常連校が花園にひんぱんに出なくなったのは淋しい。今年の優勝は大阪桐蔭だった。
大学選手権に至っては、かつては4強に進むのは明治、早稲、慶応の東京勢と、関西勢では同志社とほぼ相場が決まっていた。明治VS早稲田、慶応VS早稲田の決勝は、文字通り正月の秩父宮の華だった。それも17年程前から関東学院などが頭角を表し度々優勝を浚っている。このあたりから新興勢力の急伸があり、近年は帝京大が破竹の勢いで5連覇、東京6大学勢の蔭はうすれている。
正月恒例の箱根駅伝至っては特に顕著である。伝統校の衰退は目を覆うばかり。中大は来年は予選会からの出場となった。早稲田、明治は頑張っているが、ニューパワーの東洋、駒沢、青山、城西といった所が溌剌としている。今年も東洋が制した。スポーツにも地殻変動が起こっているようだ。群雄割拠現象、だから刺激があって面白のかも知れない。
先のはなしで恐縮だが、夏の甲子園に千葉の銚子商と徳島の池田高が出てくることを私はずーっと心待ちにしている。黒潮打線の銚子、やまびこ打線の池田、あの高校野球に恋い焦がれた夏の日々よ、今一度あの興奮と感動を味あわせて欲しい。
玉城良光、その不退転なるもの
玉城良光さんが私のブログをリンクしました、とfacebookに連絡が入った。玉城さんはかつて足立区綾瀬でタイ料理店「オーエンジャイ」を営んでいた。私も玉城会長に招待を受けて一度お伺いしたが、それは斬新なお店で、綾瀬の路地裏に忽然とラジャダムナン・スタジアムが現れたような錯覚にとらわれた。
タイ料理に舌鼓をうちながら試合を観戦できる趣向で、ムエタイはワイクーの踊りに始まり試合中は勇壮な戦闘音楽が流れる。完璧なムエタイテイストで、いやが上にも濃厚な気分に浸った。六本木あたりからモデルやタレントが見に来ていて、それは話題のスポットだった。
数年前にこのお店を畳んで、その後私との音信は途絶えたが、間もなく「北星ジム」を足立区青井に再興したことを知らされた。沖縄出身、元全日本キックボクシングのライト級王者、並びにWKA世界王者、現役時代は藤原敏男選手(現藤原敏男スポーツジム会長)のライバルで、玉城さんは、猛牛、不倒王の名を欲しいままにした。藤原超えは遂に果たせなかったが、城東・玉城の名は燦然として輝く。あの藤原と接戦を演じた(2度判定負け)こと自体が勲章ものである。
いかなる強敵、難敵にも正面から攻撃を挑み敵に背を向けることはなかった。 センサック・ムンスリン(ムエタイ、ルンピニー・ジュニア・ウエルター級C、国際式WBC世界スーパー・ライト級C)の試合は、いまだに語り草になっている。
センサックの膝蹴りを受けて、ダウン(この時に既に内臓破裂していた)結局凄惨なKO負けとなった。しかし試合後は何事も無かったかのように、総武線に乗った。異常を訴えたのはお茶の水に差しかかったとき。激痛が襲いさしもの玉城さんも悶絶、病院に運ばれた。診断の結果は内臓破裂、命に係わる損傷で緊急手術。一命を取り留めたのである。玉城さんの剛毅なエピソードだ。
あとで、私がセンサックに直接聞いたことだが、彼は一言こういった。「タマシロ、きゃつはクレイジー、殴っても蹴っても前に出てきた」伝説の男、センサックを戦慄させた玉城良光こそ我が忘れえぬキックボクサーの一人である。沖縄には、このような不屈の魂が宿るキックボクサーがもう一方いる。
亀谷長保、猛こと炎の如し
亀谷長保(目黒)、キック黄金期の炎のファイターである。バンタムとフェザー級の二階級を制した。昭和49年6月の日本系対全日本系交流マッチでは全日本の顏ともいうべき島三雄を1回電撃のKOに下している。悍馬、炎の如き選手で、試合中に汚い野次が飛ぶと、観客席に向かって、こっちへこいとどやしつけた。仇名は、ガッチャマン。
タイ選手と戦い肘打ちで切られ、額をザクロのようになり血が吹き出ている局面でも臆することなしに猛然と反撃した。それはまさに鬼気迫るもので、相手選手もさすがに気持ち悪くなったという。現在は米国ロザンゼルスに永住している。私が会社勤めをしている頃はよく国際電話がかかった。沖縄に試合があった折に、実家に寄らせて頂いた。お母さんが歓迎してくれたことが昨日のように甦る。
琉球は昔も今も尚武の国だ。薩摩藩に武器を採り上げられた島民は、素手で戦うしかなく、それで空手が生まれた。源流は中国の「唐手」(とうでとも読む)だと伝えられるが、唐手は、カンフーのようなもので、影響は受けたかも知れないが沖縄「空手」は独自に発展進化したとみる。
薩摩藩の圧政に苦しむ島民が、命がけであみだした殺傷力のある格闘技であり、沖縄は、空手発祥の地、聖地だと、私は思っている。玉城・亀谷両選手の現役時代の戦いぶりには、まこと圧政に抵抗して来た怒りのマグマのようなものをいつも私は感じていた。それは”ウチナンチュー”(沖縄)の不屈の魂といってもよい。彼等の全盛期を取材できたことは、私の大いなる財産である。
新橋駅前で見付けた塩釜神社。
街の騒音を無視するように杜のなかに佇んでいた。

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DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
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■正月スポーツの地殻変動
■玉城良光、その不退転なるもの
■亀谷長保、猛こと炎の如し
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正月スポーツの地殻変動
昨今の正月スポーツを見ていると大分勢力圏も様変わりした。高校サッカーの決勝戦は北陸同士、富山第一と星陵だった。延長の末3-2で勝ったのは富山第一だったのだけれど、決勝といえば市立船橋や、長崎国見、藤枝東、韮崎、帝京などが常連校だった。船橋は健在であるが、国見、藤枝東はどうしたのだろ?最近は見られない。
ラグビーにしたって、目黒や保善といった東京勢が圧倒的に強かった時代もあった。今は両校の名はとんと聞かれない。東北では秋田工、岩手の黒沢尻、関西にいくと伏見工、九州では大分舞鶴などなど。こういった常連校が花園にひんぱんに出なくなったのは淋しい。今年の優勝は大阪桐蔭だった。
大学選手権に至っては、かつては4強に進むのは明治、早稲、慶応の東京勢と、関西勢では同志社とほぼ相場が決まっていた。明治VS早稲田、慶応VS早稲田の決勝は、文字通り正月の秩父宮の華だった。それも17年程前から関東学院などが頭角を表し度々優勝を浚っている。このあたりから新興勢力の急伸があり、近年は帝京大が破竹の勢いで5連覇、東京6大学勢の蔭はうすれている。
正月恒例の箱根駅伝至っては特に顕著である。伝統校の衰退は目を覆うばかり。中大は来年は予選会からの出場となった。早稲田、明治は頑張っているが、ニューパワーの東洋、駒沢、青山、城西といった所が溌剌としている。今年も東洋が制した。スポーツにも地殻変動が起こっているようだ。群雄割拠現象、だから刺激があって面白のかも知れない。
先のはなしで恐縮だが、夏の甲子園に千葉の銚子商と徳島の池田高が出てくることを私はずーっと心待ちにしている。黒潮打線の銚子、やまびこ打線の池田、あの高校野球に恋い焦がれた夏の日々よ、今一度あの興奮と感動を味あわせて欲しい。
玉城良光、その不退転なるもの
玉城良光さんが私のブログをリンクしました、とfacebookに連絡が入った。玉城さんはかつて足立区綾瀬でタイ料理店「オーエンジャイ」を営んでいた。私も玉城会長に招待を受けて一度お伺いしたが、それは斬新なお店で、綾瀬の路地裏に忽然とラジャダムナン・スタジアムが現れたような錯覚にとらわれた。
タイ料理に舌鼓をうちながら試合を観戦できる趣向で、ムエタイはワイクーの踊りに始まり試合中は勇壮な戦闘音楽が流れる。完璧なムエタイテイストで、いやが上にも濃厚な気分に浸った。六本木あたりからモデルやタレントが見に来ていて、それは話題のスポットだった。
数年前にこのお店を畳んで、その後私との音信は途絶えたが、間もなく「北星ジム」を足立区青井に再興したことを知らされた。沖縄出身、元全日本キックボクシングのライト級王者、並びにWKA世界王者、現役時代は藤原敏男選手(現藤原敏男スポーツジム会長)のライバルで、玉城さんは、猛牛、不倒王の名を欲しいままにした。藤原超えは遂に果たせなかったが、城東・玉城の名は燦然として輝く。あの藤原と接戦を演じた(2度判定負け)こと自体が勲章ものである。
いかなる強敵、難敵にも正面から攻撃を挑み敵に背を向けることはなかった。 センサック・ムンスリン(ムエタイ、ルンピニー・ジュニア・ウエルター級C、国際式WBC世界スーパー・ライト級C)の試合は、いまだに語り草になっている。
センサックの膝蹴りを受けて、ダウン(この時に既に内臓破裂していた)結局凄惨なKO負けとなった。しかし試合後は何事も無かったかのように、総武線に乗った。異常を訴えたのはお茶の水に差しかかったとき。激痛が襲いさしもの玉城さんも悶絶、病院に運ばれた。診断の結果は内臓破裂、命に係わる損傷で緊急手術。一命を取り留めたのである。玉城さんの剛毅なエピソードだ。
あとで、私がセンサックに直接聞いたことだが、彼は一言こういった。「タマシロ、きゃつはクレイジー、殴っても蹴っても前に出てきた」伝説の男、センサックを戦慄させた玉城良光こそ我が忘れえぬキックボクサーの一人である。沖縄には、このような不屈の魂が宿るキックボクサーがもう一方いる。
亀谷長保、猛こと炎の如し
亀谷長保(目黒)、キック黄金期の炎のファイターである。バンタムとフェザー級の二階級を制した。昭和49年6月の日本系対全日本系交流マッチでは全日本の顏ともいうべき島三雄を1回電撃のKOに下している。悍馬、炎の如き選手で、試合中に汚い野次が飛ぶと、観客席に向かって、こっちへこいとどやしつけた。仇名は、ガッチャマン。
タイ選手と戦い肘打ちで切られ、額をザクロのようになり血が吹き出ている局面でも臆することなしに猛然と反撃した。それはまさに鬼気迫るもので、相手選手もさすがに気持ち悪くなったという。現在は米国ロザンゼルスに永住している。私が会社勤めをしている頃はよく国際電話がかかった。沖縄に試合があった折に、実家に寄らせて頂いた。お母さんが歓迎してくれたことが昨日のように甦る。
琉球は昔も今も尚武の国だ。薩摩藩に武器を採り上げられた島民は、素手で戦うしかなく、それで空手が生まれた。源流は中国の「唐手」(とうでとも読む)だと伝えられるが、唐手は、カンフーのようなもので、影響は受けたかも知れないが沖縄「空手」は独自に発展進化したとみる。
薩摩藩の圧政に苦しむ島民が、命がけであみだした殺傷力のある格闘技であり、沖縄は、空手発祥の地、聖地だと、私は思っている。玉城・亀谷両選手の現役時代の戦いぶりには、まこと圧政に抵抗して来た怒りのマグマのようなものをいつも私は感じていた。それは”ウチナンチュー”(沖縄)の不屈の魂といってもよい。彼等の全盛期を取材できたことは、私の大いなる財産である。
新橋駅前で見付けた塩釜神社。
街の騒音を無視するように杜のなかに佇んでいた。

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
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