秋爽の候、天高く/西葛西で故竹内社長の同級生に会う/他
--------------------------------------------
・秋爽の候、天高く
・体育の日は特別な日
[話題]
・神業の体操白井健三
・何事も早期教育が大事
・DVD発売延期の御知らせ
・西葛西で故竹内社長の同級生に会う
~西葛西の夜は更け行く~
--------------------------------------------
秋爽の候、天高く
街を歩いていると、金木犀の強い匂いがどこからともなく鼻を衝いてきます。正に秋爽の候、空は高く澄み渡って何だかふと旅に出たい心境になります。ハナミズキは、はや落葉が始まりました。来るべき初夏の開花に向けて、終わりの始まりです。植物は起承転結が鮮明です。
それにしても去年畑で見られたトンボやミツバチが今年はほとんど見受けられない。暑さの所為(せい)かと思っていたらどうやらそうでもないらしい。特にミツバチは大量に死んで日本ばかりか、欧米でも大問題になっている。どうやらネオニコチノイドという農薬が原因らしい。
それで困っているのは養蜂業者ばかりか果物栽培農家でも花粉交配用のミツバチが減少して高騰しているという。そのうち地球上から昆虫が絶滅してしまうかも知れない。
♪夕焼け小焼けの赤トンボ 追われてみたのはいつの日か~
赤トンボも、歌の世界だけになるか。嗚呼…此の世の終わり。
体育の日は特別な日
スポーツの秋でもあります。各地の学校では運動会が開かれています。かつては体育の日だった10月10日に殊の外思いを馳せる格闘家がおります。一人は具志堅用高さん、もう一方は沢村忠さんです。
御存じ”カンムリワシ”具志堅用高さんは、現在タレントとしての方が有名ですが、遡れば不滅のプロボクサーでしたよ。1976年(S53年)10月10日、山梨学院大学体育館で、ファン・グスマンを7回KOで破り世界J・フライのタイトルを奪取いたしました。
あの火を噴くようなパンチの連打、破天荒なKO場面は今でも私の脳裡に焼き付いています。私は格闘技誌の編集者としての取材しておりました。、勿論ボクシングではこの試合が、私の一番の名勝負です。以後具志堅さんは、連続13度の防衛を果たしました。現在は白井・具志堅ジム会長として後進の指導にあたっています。「100年に1人の男」という称号は37年経ったいまでも、いささかも色褪せてはいません。
”キックの鬼”沢村忠さんは、キックを世界に広めた人です。毎週月曜夜7時からTBSでレギュラー放映され「真空飛び膝蹴り」は茶の間のファンを狂喜させたものです。その稀代のスパースターが、引退の日に選んだのが10月10月(1977年)でした。
沈黙を破り約1年ぶりで姿を現した彼は、後楽園ホールで試合の合間に、質素な引退式を行いました。一世一代の名選手の引退にしては、寂しいものでした。後年彼は私に「引退するときは10月10日とず~と決めていました」と語りました。体育の日は、沢村さんにとっては特別な日だったのです。
間もなく10月10日が訪れます。さぞや両人とも感慨深いものがあるのではないかと推察いたします。
[話題]
神業の体操白井健三
なんとも凄い選手が現れたものである。体操の白井健三、高校二年の17才の新星。世界選手権(アントワープ)のゆか種目で「後方伸身宙返り4回転ひねり」を遣ってのけ初出場で金メダルを取った。史上最年少のチャンピオンだそうだ。で、超難度のこの技に「シライ」と技名が付いた。一体人間の身体能力はどこまで可能性があるのだろう?
ニュースで見た、とても人間技とは思えぬものだ。神の領域に易々踏み込んで、いとも簡単に4回転ひねりを完遂させ、さも当たり前のようにケロッとした表情、プレッシャーという言葉は彼の辞書にはないらし。両親が元体操選手、二人の兄も体操の現役、とくれば体操一家。
幼少のころからトランポリンに親しみ体操に慣れ親しんだという。謂わば英才教育、ボクシングのファイテング原田さん(世界フライ、バンタム王者=前全日本ボクシング協会会長)が私に言った。「もうボクシングでも高校になってから習っても遅いんだ。3才頃に始めてないと、いい選手はできない」
何事も早期教育が大事
その典型的な例は亀田兄弟だろう。自己流だろうが何だろうが子供のときから親がボクシングを仕込んで、今日のチャンプならしめた。ロンドン五輪、世界選手権と個人総合連覇の内村航平選手もしかり。元体操選手の両親の指導を幼少から受けた。音楽家しかりです、一流の人間にしたいのなら、どうぞお早目に、何事も早期教育ですぞ。
俺は、小さいころはチャンバラごっこに、秋はアケビ採り、冬は田圃に氷を張りでスケート、夏は朝から晩まで川で水遊び、これじゃ一流にはなれっこないわね。それにしても体操の未来はアカルイ。20年の東京五輪でも白井はまだ24才だ。期待が膨らむというもんです。
DVD発売延期の御知らせ
先ず始めに「甦るキックボクシングの黄金時代」(DVD)の発売が製作の遅れにより大幅に遅れる見通しです。申し訳ありません。1番で御予約して下さいました中村至さん、有難うございました。
私のライフワークとして後世に残るキックボクシングの作品にしたいと念願しておりますので、念には念を入れて編集にあたりたい、そんな気持ちでおります。御理解のほどを宜しくお願いたします。
西葛西で故竹内社長の同級生に会う
西葛西で何年か振りで飲食、小雨降る街を梯子しました。切っ掛けは「UPPER CLASS」を発行しているときに広告で御世話になった、村井社長があるとき「竹内(宏介)さんの御徒町中学時代の同級生が西葛西にいますよ」と耳にしたことに全ては始まる。
竹内宏介とは、元日本スポーツ社長で”ミスターゴング”といわれたカリスマ編集者(2012年5月3日、腸閉塞のため死去、享年65才)。その同級生は、「寿苑」という焼き肉店で店長を勤める通称武さん、立田武久氏。西葛西の名物男だと村井社長は紹介してくれた。
武さんは小柄な少々頭髪が薄い方だった。竹内氏と同年だから、今年66才、それにしては年齢を感じさせない身のこなしで客を応対する。開口一番、「竹内は元気ですか」と私に尋ねた。去年5月に亡くなりましたが、同級生だったそうですねと、話を向けると、
「そうです、御徒町中学で2年まで一緒でした。同じような背格好でしたのでいつも前の方にいました。彼とは仲良しでした。彼は漫画や、絵を描いたりするのが上手かったですよ。中3の時には東村山の方へ引っ越してしまい別れてしまいましたが、10年程前に上野のホテルで同級会をしたときに見えて、久しぶりに会いました。そうですか、亡くなりましたか…残念です」
~西葛西の夜は更け行く~
お店が忙しそうだったので、武さんには改めて個人の思い出話を聴きに行くつもり。後日談、武さんと村井社長がすし店で飲んだ時に、武さんは涙を流して、竹内氏を偲んでいたという。中学時代の同級生って、いいよね。私もそうだよ。
寿苑のあとは、大衆すし店ですしを少し摘み時間を調整して、スナックに。折から台風の余波で雨の中を歩いた。西葛西は高校時代の夏休み(昭和30年代)、義兄の営む運送会社でトラック助手のアルバイトをして、初めて訪れた土地である。それだけに感慨深いものがある。
当時、義兄の会社では車庫用の土地を購入したばかりで、何か品物を運んで行った記憶がある。道路は田圃の真ん中の一本道で、トラックは舗装していない道路を土煙を撒き散らしながら進んだ。
田圃は見渡す限りのれんこん畑で、シラサギが白い宝石のように散らばって、泥鰌や鮒をついばんでいた。そこにはただ長閑な田園風景が広がっていた。現在の殷賑ぶりからは、隔世の感がある。
想い出が色濃く残る青春の西葛西で、私は楽しい一時を満喫し過ぎて、危うく終電車に乗り遅れるところだった。35年も続いているというスナックも人情豊かで、すこぶる居心地がよかった。お蔭で下手な歌を3曲も唄ってしまった。また行こうっと。
♪あああ、西葛西の夜は 更け行く~
”カンムリワシ”具志堅用高さん
”キックの鬼”沢村 忠さん

公園に今を盛りと咲く金木犀、強烈な香りを撒き散らす

DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
・秋爽の候、天高く
・体育の日は特別な日
[話題]
・神業の体操白井健三
・何事も早期教育が大事
・DVD発売延期の御知らせ
・西葛西で故竹内社長の同級生に会う
~西葛西の夜は更け行く~
--------------------------------------------
秋爽の候、天高く
街を歩いていると、金木犀の強い匂いがどこからともなく鼻を衝いてきます。正に秋爽の候、空は高く澄み渡って何だかふと旅に出たい心境になります。ハナミズキは、はや落葉が始まりました。来るべき初夏の開花に向けて、終わりの始まりです。植物は起承転結が鮮明です。
それにしても去年畑で見られたトンボやミツバチが今年はほとんど見受けられない。暑さの所為(せい)かと思っていたらどうやらそうでもないらしい。特にミツバチは大量に死んで日本ばかりか、欧米でも大問題になっている。どうやらネオニコチノイドという農薬が原因らしい。
それで困っているのは養蜂業者ばかりか果物栽培農家でも花粉交配用のミツバチが減少して高騰しているという。そのうち地球上から昆虫が絶滅してしまうかも知れない。
♪夕焼け小焼けの赤トンボ 追われてみたのはいつの日か~
赤トンボも、歌の世界だけになるか。嗚呼…此の世の終わり。
体育の日は特別な日
スポーツの秋でもあります。各地の学校では運動会が開かれています。かつては体育の日だった10月10日に殊の外思いを馳せる格闘家がおります。一人は具志堅用高さん、もう一方は沢村忠さんです。
御存じ”カンムリワシ”具志堅用高さんは、現在タレントとしての方が有名ですが、遡れば不滅のプロボクサーでしたよ。1976年(S53年)10月10日、山梨学院大学体育館で、ファン・グスマンを7回KOで破り世界J・フライのタイトルを奪取いたしました。
あの火を噴くようなパンチの連打、破天荒なKO場面は今でも私の脳裡に焼き付いています。私は格闘技誌の編集者としての取材しておりました。、勿論ボクシングではこの試合が、私の一番の名勝負です。以後具志堅さんは、連続13度の防衛を果たしました。現在は白井・具志堅ジム会長として後進の指導にあたっています。「100年に1人の男」という称号は37年経ったいまでも、いささかも色褪せてはいません。
”キックの鬼”沢村忠さんは、キックを世界に広めた人です。毎週月曜夜7時からTBSでレギュラー放映され「真空飛び膝蹴り」は茶の間のファンを狂喜させたものです。その稀代のスパースターが、引退の日に選んだのが10月10月(1977年)でした。
沈黙を破り約1年ぶりで姿を現した彼は、後楽園ホールで試合の合間に、質素な引退式を行いました。一世一代の名選手の引退にしては、寂しいものでした。後年彼は私に「引退するときは10月10日とず~と決めていました」と語りました。体育の日は、沢村さんにとっては特別な日だったのです。
間もなく10月10日が訪れます。さぞや両人とも感慨深いものがあるのではないかと推察いたします。
[話題]
神業の体操白井健三
なんとも凄い選手が現れたものである。体操の白井健三、高校二年の17才の新星。世界選手権(アントワープ)のゆか種目で「後方伸身宙返り4回転ひねり」を遣ってのけ初出場で金メダルを取った。史上最年少のチャンピオンだそうだ。で、超難度のこの技に「シライ」と技名が付いた。一体人間の身体能力はどこまで可能性があるのだろう?
ニュースで見た、とても人間技とは思えぬものだ。神の領域に易々踏み込んで、いとも簡単に4回転ひねりを完遂させ、さも当たり前のようにケロッとした表情、プレッシャーという言葉は彼の辞書にはないらし。両親が元体操選手、二人の兄も体操の現役、とくれば体操一家。
幼少のころからトランポリンに親しみ体操に慣れ親しんだという。謂わば英才教育、ボクシングのファイテング原田さん(世界フライ、バンタム王者=前全日本ボクシング協会会長)が私に言った。「もうボクシングでも高校になってから習っても遅いんだ。3才頃に始めてないと、いい選手はできない」
何事も早期教育が大事
その典型的な例は亀田兄弟だろう。自己流だろうが何だろうが子供のときから親がボクシングを仕込んで、今日のチャンプならしめた。ロンドン五輪、世界選手権と個人総合連覇の内村航平選手もしかり。元体操選手の両親の指導を幼少から受けた。音楽家しかりです、一流の人間にしたいのなら、どうぞお早目に、何事も早期教育ですぞ。
俺は、小さいころはチャンバラごっこに、秋はアケビ採り、冬は田圃に氷を張りでスケート、夏は朝から晩まで川で水遊び、これじゃ一流にはなれっこないわね。それにしても体操の未来はアカルイ。20年の東京五輪でも白井はまだ24才だ。期待が膨らむというもんです。
DVD発売延期の御知らせ
先ず始めに「甦るキックボクシングの黄金時代」(DVD)の発売が製作の遅れにより大幅に遅れる見通しです。申し訳ありません。1番で御予約して下さいました中村至さん、有難うございました。
私のライフワークとして後世に残るキックボクシングの作品にしたいと念願しておりますので、念には念を入れて編集にあたりたい、そんな気持ちでおります。御理解のほどを宜しくお願いたします。
西葛西で故竹内社長の同級生に会う
西葛西で何年か振りで飲食、小雨降る街を梯子しました。切っ掛けは「UPPER CLASS」を発行しているときに広告で御世話になった、村井社長があるとき「竹内(宏介)さんの御徒町中学時代の同級生が西葛西にいますよ」と耳にしたことに全ては始まる。
竹内宏介とは、元日本スポーツ社長で”ミスターゴング”といわれたカリスマ編集者(2012年5月3日、腸閉塞のため死去、享年65才)。その同級生は、「寿苑」という焼き肉店で店長を勤める通称武さん、立田武久氏。西葛西の名物男だと村井社長は紹介してくれた。
武さんは小柄な少々頭髪が薄い方だった。竹内氏と同年だから、今年66才、それにしては年齢を感じさせない身のこなしで客を応対する。開口一番、「竹内は元気ですか」と私に尋ねた。去年5月に亡くなりましたが、同級生だったそうですねと、話を向けると、
「そうです、御徒町中学で2年まで一緒でした。同じような背格好でしたのでいつも前の方にいました。彼とは仲良しでした。彼は漫画や、絵を描いたりするのが上手かったですよ。中3の時には東村山の方へ引っ越してしまい別れてしまいましたが、10年程前に上野のホテルで同級会をしたときに見えて、久しぶりに会いました。そうですか、亡くなりましたか…残念です」
~西葛西の夜は更け行く~
お店が忙しそうだったので、武さんには改めて個人の思い出話を聴きに行くつもり。後日談、武さんと村井社長がすし店で飲んだ時に、武さんは涙を流して、竹内氏を偲んでいたという。中学時代の同級生って、いいよね。私もそうだよ。
寿苑のあとは、大衆すし店ですしを少し摘み時間を調整して、スナックに。折から台風の余波で雨の中を歩いた。西葛西は高校時代の夏休み(昭和30年代)、義兄の営む運送会社でトラック助手のアルバイトをして、初めて訪れた土地である。それだけに感慨深いものがある。
当時、義兄の会社では車庫用の土地を購入したばかりで、何か品物を運んで行った記憶がある。道路は田圃の真ん中の一本道で、トラックは舗装していない道路を土煙を撒き散らしながら進んだ。
田圃は見渡す限りのれんこん畑で、シラサギが白い宝石のように散らばって、泥鰌や鮒をついばんでいた。そこにはただ長閑な田園風景が広がっていた。現在の殷賑ぶりからは、隔世の感がある。
想い出が色濃く残る青春の西葛西で、私は楽しい一時を満喫し過ぎて、危うく終電車に乗り遅れるところだった。35年も続いているというスナックも人情豊かで、すこぶる居心地がよかった。お蔭で下手な歌を3曲も唄ってしまった。また行こうっと。
♪あああ、西葛西の夜は 更け行く~
”カンムリワシ”具志堅用高さん
”キックの鬼”沢村 忠さん

公園に今を盛りと咲く金木犀、強烈な香りを撒き散らす

DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ