我が永遠の上司 小柳幸郎氏死去す/いま明かす、ハンセン、ブロディ引き抜き事件秘話/他
---------------------------------------------
・我が永遠の上司小柳幸郎氏死去す
~いま明かす秘話~
・夏には天使の恵みがある
・ラジオ体操のうたは名曲である
・「優雅でない」一日の始まり
---------------------------------------------
我が永遠の上司 小柳幸郎氏死去す
元日本スポーツ出版社の創業役員であった小柳幸郎氏が亡くなられた。
脳溢血で倒れて埼玉県下の病院に入院、治療につとめてきたが、その甲斐もなく6月に死去されたもの。先輩からの確かな情報です。享年83才とか。葬儀は密葬で済ませその後のことは未定とのことです。
私の直接の上司にあたり入社当初から学ぶものが多かった。特に学んだのは、タイトルの付け方。記事を要約するタイトルはシンプルで、明解、私を度々うならせたものである。週刊ゴングはこの人が居なかったら、生まれていなかった。週刊化に池社長と共に急先鋒で推進派の私を全面的に支えてくれた。そして週刊ゴングは実現を見たのだ。
専門は野球であった。長くベースボールマガジンで野球担当編集長として名を馳せ、退職して日本スポーツ出版社を興すとゴングの創刊に携わり、以後私が編集局長になるまで、格闘技の最高責任者であった。
また後に社長に就任することになる竹内宏介氏の最大の理解者だった人かも知れない。その教養と文才は会社にあって他の追随を許さないものであった。恐らくどこぞの高名な雑誌の主幹も十分に務まる力量があったと私は確信する。
いまだから明かすが、ライバルのプロレス誌に「ハンセン&ブロディ引き抜きにゴングが関与、マスコミにあるまじき行為」なる記事を掲載されたときに、反論と謝罪広告を要求した文章を書いたのは他ならぬ当時の小柳局長であった。
~いま明かす秘話~
ハンセン&ブロディとも新日本と契約するレスラーで、それを全日本が引き抜いたといわれる事件。これを仲介したのがゴングで、二人の揃った写真も新日本に無断で静岡の興行時に撮影したものだ、という週プロの論調だった。が、これは全くの事実無根で、写真に至ってはアメリカで特派員が撮ったものであったから、我社は当然反撃に出た。
同時に内容証明もベースボールマガジン社に送られ、これが原因で時の編集長は交代させられた。小柳編集局長のその文章たるや峻烈を極めた筋金入りの名文だったことをいまさらながら思い出す。余談ながら本名は横山、叔父にあたる小柳家に子供がなく養子にもらわれたという経緯がある。
その父親となる人が小柳司気太(おやなぎ・しげた)、著名な中国文学者、道教研究者である。(1870年12月24日~1940年7月18日)東大文学科を出て母校で教鞭を取るなどし、最後は大東文化大学学長を務めた。著書に「白雲観志」「老子の思想と道教」「新修漢和大字典」等がある。私も結婚の御祝いにと弟さんから「新修緩和大字典」を頂いた。
もし興味がある方は、Wikipediaでお調べください。多磨霊園にお墓がありそこに眠る。当然、故人も同霊園に埋葬されていることだろうから、折を見て墓参りにいくつもりです。小柳さん、御世話になりました。幾多の暴言、喧嘩もした。お許しを。貴方のいた時代は会社が活力に満ちておりました。有意義なサラリーマン人生でした。改めて御礼申し上げます。安らかにお眠りください。合掌。
夏には天使の恵みがある
連日の猛暑、熱帯夜はクーラー無に居られない。昨今のクーラーはコンピューター制御で電力も無駄に消費しないし音も静かで誠に有難い。蒸し暑い夜に、あたかも軽井沢あたりの避暑地にいるような気分で熟睡できるのも先進の技術のお蔭げ、おまけに刻々使用した金額、時間までも計算して表示される。
これで驚いてはいけない。ストップすれば、その瞬間から自動的にクーラーのクリーニングが始動する。お蔭で厄介な掃除は一切無用であるから、なんだか上流階級に属したような気分になる。
拙宅では昨年ナケナシの金を叩いて一度に4台クーラーを取り替えた。今年の猛暑を考えると、思い切って正鵠を得た喜んでいる。で、この暑さはいつまで続くのだろう。まだ7月が始まったばかりというのに。
暑い夏は嫌な事ばかりではない。朝のラジオ体操はこの季節殊の外恩恵を受けている。5時には畑に水遣りにいって、6時前には大山公園にはいる。もうその頃には体から汗が吹き出ている。ストレッチをしてラジオ体操に備える。
日曜日(14日)も早朝から暑かったが時折自然の風がさーッと吹きぬけて行くと、これぞ天使の風と感じる。そう夏の早朝のラジオ体操には天使の恵みがあるのです。運動したものだけが得られる特別な恩恵です。
ラジオ体操のうたは名曲である
そういえば朝日新聞7月13日夕刊、昭和史再訪の蘭にラジオ体操の由来に付いて綴られていた。ラジオ体操がスタートしたのは、昭和3年11月という、もう80年以上の歴史になっている。
そもそもラジオ体操はアメリカの保険会社が加入者の健康維持促進のために始まったという。それを欧米視察に出た逓信省の役人が目にして、日本に採り入れたのだと。そういう経緯でいまもラジオ体操のスポンサーは、郵便局のかんぽなのです。
体操もテーマソングにも移り変わりが在り、現在のうたは1956年、作詞藤浦洸、作曲藤山一郎によって作られている。体操前の足踏み曲として親しまれている、このうたはリズムも詞もよく一日の始まりの音楽としては身も心も弾む名曲だ。
単純明解、詞も曲も見事に融合して親しみやすい。全国で毎朝凡そ2800万人が愛好するラジオ体操、是非貴方も始めませんか。夏は初心者にとっては運動の最適な季節です。自然の恩恵お最も享受する季節です。
「ラジオ体操の歌」一番
♪新しい 朝が来た 希望の朝だ
喜びに 胸を開け 大空 あおげ
ラジオの声に 健やかな胸を
この薫る風に 開けよ
それ 一,二,三
「優雅でない」一日の始まり
ラジオ体操からは7時頃帰る。直ちに乾布摩擦(実際は水タオル)で上半身ごしごし遣った後、満を持してシャワーを浴びる。一気に蛇口を全開、まるで華厳の滝にうたれたようなごーごーたる勢いのシャワーで私の体は完全に覚醒する。この瞬間も夏の恩恵です。
シャワーのあとは、髭を剃り(休日でも1年中)、パンとコーヒーと野菜果物の簡単な朝食が終ると、真っ直ぐ仕事場にいきパソコンの前にすわります。こうして私の「優雅でもない」一日が始まるわけです。毎日が同じことの繰り返し。平凡ですが、この同じことの繰り返しができるのも元気だからです。そこにラジオ体操ありきです。
14日朝の露地栽培の収穫、中型トマトとミニ、それにししとう。
自宅前の道路わきの鉢植えのミニトマトもよく実った。
大山公園でみた夾竹桃は夏を告げる。ピンクの花が好きな私には堪えられない。
DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ



