梅雨があけて/「スポーツに水は悪魔」の時代/ウナギについて思う事
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・梅雨があけて
・「スポーツに水は悪魔」の時代
~具志堅さんも水を飲まずに戦った~
・ウナギについて思う事
~故郷で食べた最後のウナギ~
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梅雨があけて
関東甲信越が梅雨明けした6日から途端に猛暑、日曜日は5時半に畑に水撒きに出たら、もう刺すような太陽が降りかかった。幸せな気分に浸る。なぜかバンコクにいるような錯覚だ。そのバンコクも5年行っていないから、妙に恋しくなる。
梅雨明けを宣言した翌日の夕方の雷雨は凄まじかった。恰も天の蓋が壊れてしまったような感じがした。6時に幡ヶ谷のタイ料理店セラドンで会食の約束があったが、雨が上がるまで待つことにした。15分ほどして止んで外に出たら、西の空に薄い虹がかかっていた。都会に掛かる虹、とても幻想的でした。
ああ、これで本当の梅雨が開けたと得心しました。天を焦がすような雷が炸裂して、洪水のような雨が降って梅雨明けになる、そうなのです、天は、起承転結を見事なまでに演出して、梅雨は終る…私なりの梅雨明けの定義なのです。やがて各地の街で盆踊り、夏祭りが繰り広げられる。私の一番待ち望んだ季節がやってくる。
「スポーツに水は悪魔」の時代
夏と言えば「水」は切っても切れない。しかしほんの40年程前まではスポーツマンにとって水は悪魔の存在であった。僕らが山村の中学で野球をしてた頃は、炎天下なのに水はスタミナがを消耗するからダメ、ピッチャーは肩を壊すから水泳はダメ…と今とは正反対の事をいわれたものです。
プロでさえこういう迷信がまかり通っていたのです。ボクシングの選手などは15ラウンズ、水を一滴も呑めなかったのです。セコンドは壜を選手の口に持っていくが、それは、うがいするだけのものでした。水を呑むとボディーが弱くなると信じていたのです。
ところが外国からやってくるボクサーは平気で水をがぶ飲みしました。タイのセンサク・ムンスリン(当時WBC世界J・ウェルターC)などはまるでカバのように水を飲んみ15ラウンズをライオン古山と戦いました。
水をがぶ飲みする大胆不敵な態度にも驚きましたが、セコンドに帰っても、1度も椅子に座らず立ったまま次のラウンドを待つそのスタミナにも吃驚しました。全てが我々の常識を覆すものでした。結果は古山を大差の判定に退けました。
古山のセコンドは、試合中終始ボディー、ボディーを狙えと絶叫しましたが全く効果がなく逆に槍のように伸びるセンサクの左ストレートを顔面に浴びて完敗しました。日本のジム関係者は、おかしい、おかしいといって首をひねったものです。通説が見事にコケた瞬間でした。
~具志堅さんも水を飲まずに戦った~
世界タイトル13度守った具志堅用高さんもこの誤った通説の犠牲者でした。ですから試合後トイレにいくとおしっこの代わりに「血」が出たそうです。血尿です。極限状態では体内に水が枯渇すると、血が水の役割を果たすのかも知れない。水は体に善くないは、この時代までは常識だったのですから、恐ろしいものです。
コミッションドクターも、ハワイから来た名カットマン(打たれて出血したとき血を止める)スタンレイー伊藤トレーナーも、水を飲むことを何故か奨励していなかったのです。私も勿論害があると疑っていませんでした。胃が弱る、スタミナを失う、体が怠くなる、そう信じていました。
いまでは野球の投手が真っ先に肩や腕をアイシング(冷やす)するし夏の甲子園での高校野球では、大量の水を補給することを高野連が指導している。ボクシングも水を飲むことが当たり前になっている。
猛暑が続くと熱中症にかかり易い。私の脳梗塞の引き金となったのも夏の炎天下に合羽を着て代々木公園をジョギングしたからだ。水も少し飲んだだけで、前日の酒を体内から抜くという理由で走りまくりました。翌日具合が悪くなり東京医大に連れていかれました。連れて行った人こそ具志堅会長です。
20日間の入院生活を余儀なくされ退院の日、看護師さんから口酸っぱくいわれた。「舟木さん、特に夏は2Lの水を飲んでくださいよ。暑い日は野外の運動や作業は控えてください」この言葉がいまでも耳に焼き付いております。このいいつけをしっかり守っています。お蔭さまで元気です、看護師さん。
ウナギについて思う事
ウナギが絶滅種に指定される動きがあるとニュースで知った。もうすぐ土曜の丑の日がやってくる。ウナギは精がつくというので、暑い夏は特に好まれる。70%は日本人の口に入るそうだから、これは憂慮すべき問題である。
これに付随してシラスウナギの輸入も禁止されるとの情報もある。なぜこうもウナギが入手できなくなってしまったのだろうか。前からいわれているのは人間の乱獲だがそれにも増してシラスウナギ(稚魚)の時に獲ってしまうことだと専門家は指摘している。
シラスウナギを生簀などで育て市場に出す、この手っ取り早い方法が定着して以来ウナギは減少し出した。海に帰る前に捕まえてしまうのだから、増えるわけがない。4月四国をバス旅行して四万十川で舟遊びをしたら、漁師が言っていた。
「あと3カ月もすると俺たちは昼寝して夜仕事するようになる。まるで泥棒みたいだが、灯りを照らすとシラスが寄ってくる、それを昆虫採集の様な網で掬う。これが大層な値段になるので漁師みんな血眼になるよ」
~故郷で食べた最後のウナギ~
思えば天然ウナギを食べたのは昭和53年の夏、結婚して初めて福島の実家に家内を連れて行ったときだった。多分7月頃だったと思う。前の晩、甥(故人)と実家の前を流れる川に、置き針をして早朝引き上げに行ったら甥の置き針に、見事なウナギが糸に巻きついていた。
その夜は兄貴に料理してもらったウナギで酒をしたたかに飲んだ。至福の夜だった。53年頃を境に我がふるさとにもウナギがみられなくなったと兄はいう。だとするとあれは鮫川に残った最後の貴重なウナギだったのかも知れない。
昭和30年代までは、川を上ってくるシラスウナギがよく見受けられた。バスで町まで通学していた僕らは、中間試験が早く終わり下校したときなど、バスを途中で降りて村までぶらぶら友達と歩いてきた。標高700㍍以上ある山間の村であるから、険しい渓谷が続く。その激流に負けまいとウナギの稚魚が身体をくねらせながら、必死で岩肌を上る。
何百、何千という稚魚の群れは遠く海を泳ぎ、故郷の川へ帰ってきたと思うと少年の心も何故か厳粛になって、捕まえた稚魚をそっと離したものだ。その川も大分前にダムが出来て、魚は一切上がって来れなくなった。ウナギ恋しい、ふるさとの川よ…。
四万十川でもシラスウナギ漁が盛んに行われている
<拙宅に咲いた花と俳句三題>
重たさを首で垂れけりゆりの花
うつむくは思案に似たり百合の花
つき山に松より高し百合の花
~いずれも子規~
朝がほや一輪深き淵のいろ ~蕪村~
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