ダルビッシュの苦悶と栄光/O.ヘンリーの魅力/畑に泥棒が入った
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・ダルビッシュの苦悶と栄光
・O.ヘンリーの魅力
・畑に泥棒が入った
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ダルビッシュの苦悶と栄光
大リーグ、レンジャースのダルビッシュ有の8勝目がなかなか手が届かない。(6月29日現在)三振は取るが、ホームランも簡単に打たれてしまう。5月に7勝を挙げて以来1カ月半も勝ち星から遠ざかっている。
私は素人だから技術的なことは分からない。だが四球を出すまいとフォームが小さくなったように思える。それはそれで大事なことだろうが、目先の勝利のために、小さく纏って欲しくない。
若いし、君はまだ大リーグ2年目のルーキーなのだ、チャレンジスピリットを忘れてはならない。先のヤンキース戦でホームラン3本を打たれたとき君は、いかにも自己嫌悪に陥ったような情けない表情を見せた。
勝ちたい気持ちとふがいない自分と、苦しみもがくダルの心を覗いたように思えた。その苦悩は必ずや次の飛躍への堆肥となるはずだ。もがき苦しむことは、人生にとって無駄なことではない。いつの日かダル投手は、サイヤング賞を取れる男だと私は信じている。
こんな心配をしていたら1日(現地時間30日)のデーゲーム、レッズ戦で苦しみながらも6回3分の2を投げて無失点に抑えた。その後リリーフ投手が2点をゆるしたもののレンジャーズが3-2で勝利。8勝目をあげて久しぶりの彼の笑顔を見た。これからも険しい隘路が待っていよう。栄光は苦悶の先にあるか。
O・ヘンリーの魅力
倅の部屋に入ったら本棚にO・ヘンリーの文庫本短編集(1~3)を見つけたので、早速読み始めた。断片的に過去読んではいるが、纏ったものを読破するのは初めてだから、改めてオー・ヘンリーの偉大さに触れる思いで耽溺している。
大久保康雄の翻訳もいいからなのだろう。私は原文で著書を読んでいないからして、具体的にこの部分が素晴らしいのだと説明はできないが兎も角心に沁みる文章である。以下に紹介する「アラカルトの春」にとても洒落た一節がある。
「やがて暦(こよみ)が臆面もなく春が来たと嘘をつくときがきた。春は、時期がこなければ、こないものなのだ。一月の雪は、依然として街の横町に硬い石のように凍てついていた。」
春とは名ばかりの三月の街の気候を表現しものだが、このようにな名文を操れる人になりたいと私は憧れを抱いてきたものだが、我が才能では、どだい無理なのだと悟り、以降そんな甘夢は見ない。
O・ヘンリーでつとに有名な短編は「最後の一葉」。肺炎を患った主人公は壁に伝う蔦の葉が全部枯れて落ちたときに、自分は死ぬと思い込む。嵐が来て次々に葉が落ちてい行くのをみて、画家の友人は壁に一枚の葉を描くという話で、まさに珠玉の短編小説である。
皆さん、スマホばかりいじっていないで、本を読んでください。電車に乗れば男も女も、前を向いても左右を見てもスマホを手にする人ばかり。出勤時も、退社時も新聞や雑誌を読んでる姿を殆ど見ない。
それどころかハイヒールを穿いた女性が階段を下りながらメールを打っていた。時には片手運転で自転車に乗りながら携帯で話している者も、これあぶないぜ。道路で歩きながらのメール打ちといやはや、これは何も日本だけの事じゃないらしい。本を読まない人類はどうなるのでしょう。末恐ろしいことです。本が売れないわけである。
畑に泥棒が入った
露地栽培を始めて5年目、とうとう野菜泥棒に遣られました。夕方畑を見回った折に、明日早朝になれば収穫と決めていた茄子3個、翌日畑にいったら見事盗まれていました。
畑には入り口の扉にチェーンを簡単に巻いているだけのもので、その気になればだれでも侵入できたのですが、さっそく鍵を着装したのですが、何故か己の精神が貧しくなったような気がしました。セコイなぁ~と。
丁度古典にある「寺に鳥を入れさせまいとして、屋根に網を張った、なんと器量の狭いことよ」とお寺側を皮肉る箇所があるが、畑に鍵も何となくそんな光景に酷似する。御近所様も果たして大層大仰なと軽蔑していることでしょう。まあ、そんな事情ですので御理解ください。まことに世知辛い世の中でござんす。
ラジオ体操に向かう路地の民家の庭に咲く凌霄花(のうぜんかずら)は、私の大好きな南国を思わせる初夏の花。ブーゲンビリア、ハイビスカスこれらの花に囲まれて暮らすのが夢。
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