大島渚と大鵬/アッパー格闘技博覧会のオークションは渡嘉敷会長が仕切る!/他
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・大島渚と大鵬、両巨人の死を悼む
~相手の力を吸収した大鵬~
・渡嘉敷会長が仕切るオークション
・増沢潔とはなんぞや
~鉄腕・錦を倒した男~
・風邪で2日間寝込む
~パソコン不通の原因は?~
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アッパー格闘技博覧会情報
【開催日】 2月10日(日)PM4時30分~6時30分
【会 場】 東京・本郷「東京ガーデンホテル」特設会場
※詳細情報はこちら
大島渚と大鵬、両巨人の死を悼む
大島渚と大鵬、映画界と相撲界の巨人が相次いで死去した。我々世代にとっては、共に生きたことでまことに身近感を覚える両氏の死である。1960年代はいわゆる高度成長期にあって、日本という国が溶鉱炉の鉄のように激しく燃え躍動していた時代、激しく振動した時代でもあったが御二人はどっしりと存在感があった。
新幹線開通、東京オリンピック開催、ミッチーブームと日本列島は破竹の勢いだった。大島渚はそんな世相に背を向けるように反骨の映画を撮り続けた。「日本の夜と霧」「青春残酷物語」「戦場のメリークリスマス」「愛のコリーダ」。
いずれも波紋を呼んだ問題作で、愛のコリーダでは遂に表現の自由を巡り国を相手に戦い勝訴した。「朝まで生テレビ」では歯に衣を着せぬ発言で問題の本質に迫った、気骨の監督であった。映画ファンの私にとっても大島監督の死は残念でならない。長い闘病生活の末の死である。享年80才、天国で安らかに眠ってください。数々の名作有難うございました。
~相手の力を吸収した大鵬~
”巨人、大鵬、卵焼き”と称された元横綱大鵬の死も感慨深いものがある。無類の強さ、ライバル柏戸の剛に対して柔の大鵬の顏合わせはいつもはらはらドキドキさせたものだ。俗にいう「柏鵬時代」の終幕と共に私の大相撲のテレビ観戦歴は終わっている。
圧倒的な強さの要素は、何といってもその柔らかな体躯、まるで水を吸い取るスポンジのような、相手の力を削いでしまう相撲は魔力のようだった。長身で、体が柔らかいから、どんなに不利な態勢でも持ち堪えて反撃に切り替えられた。と私は素人分析するのだが。
勿論勝利を重ねた原動力は人一倍の稽古量にあった、と相撲担当記者から伺ったことが有る。座右の銘は「忍」。心の上に刃(やいば)置くと書くからだそうな。77年に脳梗塞を患い左半身不随で車椅子生活が続いた。享年72才、優勝回数史上最多の32度はまさに心に「やいば」を秘めての金字塔に他ならない。ロシアとの混血で差別を受け苦労を重ねたと伝え聞く。大横綱への道を切り開いたのもやはり反骨精神かも知れない。
大島渚監督、大横綱大鵬…昭和にずっしりと足跡を残して、御二人は天国へ旅だった。昭和の星がまた消えて、私の心には喪失感だけが漂う。
渡嘉敷会長が仕切るオークション
暫くは「アッパー格闘技博覧会」に関連した話題を織り込んでいきたいと存じます。実はオークションの仕切りを誰に仕切ってもらうかず~っと思い迷っておりました。結果、「ボクシングの日」などのチャリティー・オークションで度々絶妙の司会をする渡嘉敷勝男会長をふと思い出しました。渡嘉敷会長なら旧知の仲である。
そうだ渡嘉敷会長で行こう、早速メール致しました。先ず開催日に体が空いているかどうかが心配でした。幸い当日はフリーだということでした。謝礼が極細やかな額なので受けてくれるか、こちらも心配でしたがメールを見たトカちゃんは、直接私の携帯に電話してきて、いいですよと笑って引き受けてくれました。笑ったのはきっと謝礼の額だったのだろう。兎も角これでオークションは成功する、私は確信したのであります。
イベントのあとゲストを囲んでの食事会もホテル側が個室を用意してくれることになりました。平成14年10月アッパーの創業パーティーを行ったときと同じ会場を使用できるのも何かの縁であろう。振りかえればあの節は、四面楚歌の険しい船出であったが、300人を超える来客を数えて、励まされたものである。
今回は何人来てくれるのだろうか、不安でたまらない。新たなものへの挑戦とは、こんなものだ。いつも不安が付きまとう。だからこそ成功の暁には、それだけ喜びも大きいのだが。いま、ゴールは深い霧の中にあります。さて、歓喜のゴールと行くのでしょうか。まさに人事を尽くして、天命を待つの心境です。どうぞ御支援のほど宜しくお願い申し上げます。
増沢潔とはなんぞや
人はいつでも会えると思うと中々会えないもので、増沢潔さんなどはその見本のようなもので、格闘技博覧会の開催を機に会うことになった。場所は渋谷区京王線幡ヶ谷駅近くの行きつけの喫茶店「日高」。
増沢さんは元全日本キックボクシング初代ウェルター級チャンピオンでそのハードパンチで”鉄腕”と”電光まわし蹴り”と飛ぶ鳥落す勢いの錦利弘(協同)を2度までもKOした人である。現在66才、タクシードライバーとして定年は過ぎたが、いまも元気で働いている。
彼の輝かしい戦歴から、何か当時のベルトなど記念になるようなものを保管していないだろうか、と本人を御呼び出しした訳である。明け番でお疲れのところ快く指定の喫茶店に来てくれた。
~鉄腕・錦を倒した男~
現れた増沢さんは顔色に艶があり、とても66才とは思えなく若々しい。彼とは同じ山田ジムで汗を流した仲である。彼は選手になって私は物書きになった。昭和44年他局から一歩遅れてキックに参入したNET(現テレビ朝日)キックボクシングでは、初代のウェルター級チャンピオンの座についている。残念ながらこの団体は1年ももたず消滅した。だから話題に上ることがない。
その頃私といえば、山田ジムのトム・コーチ付きの雑用係で試合場を掛けずリ回っていた。当時のNETキックは大山倍達総裁も旗揚げに絡んでいて、オープントーナメントで優勝した山崎照朝が堂々のメーンで登場した。極真の猛虎、添野義二もいた。日本拳法空手道から江口和明、鶴田幸成といった存在感溢れる選手も参戦した。思えば個性豊かな団体であった。
そんな過去を振り返りながら、増沢さんとは選手とライターという垣根を越えて話は尽きず、かれこれ3時間にも及んだ。そして、展示会にはNETのチャンピと全日本ベルト(レプリカ)の2本を展示してくれることになった。まこと博覧会を開催しなければ、日の目を見ることが無かったであろう幻のNETベルトを見ることができる。キックボクシングファンにとっては必見です。勿論増沢さん本人も来場してくれることになった。
風邪で2日間寝込む
14日は朝から雨だったのでラジオ体操も休み。実は床の中でホッとしました。明け方より寒気がして、おまけに腹の具合が通常ではなくて、ムカムカ状態で眠るところではなかったのです。朝飯も昼飯も抜いて布団をかぶっていたら、いつの間にか外は大雪になっていました。
普段なら仔犬のように雪とみると嬉しさの余り外に飛び出すのですが、窓越しに眺めるのが精一杯で、夕食も摂らず丸一日何も口に入れませんでした。流石に家内が心配して、大丈夫?と聞いてきました。
結婚以来こんなことは初めてだ、と家内は妙に感心していたのです。深夜になってやっと蜂蜜&レモンを絞った生姜湯をのんで、何とか生きた心地がした。私の流儀として、風邪に「薬」や「注射」は無用と決めているので、今回もそれで凌いだのです。ならぬものはならぬのです。
でも困った事にブログの更新日で、何とかしなくてはと焦りました。たった一人でも読者がいる限り責任と義務があります。ブログはたまたまほぼ書き上げて在ったので、校正を手伝ってくれているF女史にメールするため、気だるい体でパソコンに向かいました。ところがこれがどうした訳か全く送信出来ません。
~パソコン不通の原因は?~
送信しようとする度にエラーが出る。ブログをアップしてくれるF女史と携帯メールで連絡を取るが原因不明。毎回、「サーバーと接続できない」という警告が告知されるので、この夜は諦めてベットに入りました。ところが深夜、トイレに起きて何気なくパソコンをいじったら、件のブログは嘘のように送信でき、あれは一体何だったのだろう?と狐につままれたような変な気持ちでした。
よくよく考えたら大雪が原因でありました。家に帰れない人や、車で渋滞したり、電車が止まって立ち往生した人が一斉にメールしたのがその理由だった。それなら別のサーバーから契約者に一言その旨を知らせるメッセージを送ってくれてもよさそうなものだ。腹が立つ。サーバー復旧後、F女史の元には繰り返し送信したメールが山のように届いていたという。御迷惑掛けました。
彼女は朝方、スクランブルでブログをアップしてくれて、更新は予定通りにできました。近代文明も自然には敵わぬか。たかがブログにもこんな裏トラブル物語があったのです。お蔭さまで、しゃきっとなり風邪も恢復に向かったと得心しております。これって、まさに怪我の功名です。
元全日本キックボクシング初代ウェルター級C増沢潔さん。
鉄腕・錦利弘をKOした男です。
渡嘉敷勝男会長は格闘技博覧会のオークションの司会を快諾してくれた。
DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
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