格闘家 佐竹雅昭 政界進出 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

格闘家 佐竹雅昭 政界進出

 元K-1選手佐竹雅昭氏(45才)が日本維新の会の第1次公募に応募して155人の内定者に入った。内定者の7割は「維新政治塾」塾生出身で弁護士や公認会計士などが多い中、佐竹氏は元格闘家という異色の候補。

 党の公認を得られるかどうかは11月中旬に決まるという。佐竹さんとはつい最近すっぽん「田吾作」で飲食を共にして日本維新の会公募の経緯などを伺った。現役を辞めてから2003年に京都に「総合打撃道場」をオープンしている。私も招待を受けて馳せ参じたがこの時も、京都から真の武道精神を世界に発信する、将来は政界に進出すると熱い胸の内を私に語っていたものである。

 従ってネットで書き込みされているようなお金に困って政界に出るとか、道場の経営が上手くゆかないので転身するというものではない。もう9年も前から着々と準備して、京都では政財界人との勉強会を精力的に重ねて自らを研鑚してきている。

よく勉強している

 彼が政治のことを勉強してるなぁと実際分かるのは、よく本を読んでいることだ。随所に名言箴言が飛び交う。決して受け売りではなく自分の言葉に咀嚼して、分かり易く話す。中々の話術巧者でもある。鞄の中には歴史の書物やら、なにがしかの本が必ず入ってる。私がは本を読む人を信じる。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 下手な政治家やスポーツで名を挙げて比例区で当選した元アスリート議員は、佐竹さんの爪の垢でも煎じて飲めばよい。人格、見識元格闘家で彼ほど頼りになる男はいまい。

 現在は「平成武師道」の塾総長として、企業の社員教育や講演に精力的な活動をして、研修を依頼した経営者からは社員が、見違えるように礼儀正しくなった、何よりも仕事に積極性だ出てきたと喜ばれているそうだ。

 故に彼が政界に出ることに私は諸手を挙げて賛成するのです。選挙には金が大層かかる。彼は選挙資金も自己資金で賄うと、面談の折にははっきり明言したそうで、今更ながらK-1とPRIDEで稼いだファイトマネーは相当なものであったのだと私は驚くのである。座右の銘は「闘志天翔」(運命を己で切り開き、人生という戦いを通して更なる高みをを目指すの意)

 佐竹さん、国会に正拳突きを!内憂外患、政治も経済も閉塞感漂う日本をその行動力で風穴を開けて下さい。あなたなら国家に役立つ政治家になれます。信念を持って、政界に殴りこんでください。期待しています。最後に佐竹さんからの有難いお言葉をどうぞ。
 「運動やりなはれ、運動の運は運をもたらす運ですよ」

塩原温泉から日光へ

 トークショーがの翌日は那須塩原駅に向かった。長女の姪から声がかかった。塩原温泉に1泊して、翌日は日光ドライブするという企画で急に決まったらしい。泊まるホテルは渓谷沿いにあり、6階最上階からの紅葉が眼下に眺められる絶好の場所に建っていた。

 岩肌に這うカエデは既に赤く染まり、それは正に錦絵のような光景に浴した。全山燃えるような紅葉に覆い尽くされるのは、1週間後くらいだろうとホテルの従業員が教えてくれた。

 私の心境は前夜ディナー&トークショーが無事終わって、晴々していて、露天風呂も殊の外愉しめた。夕食でも酒が進んでしまった。実家から来た兄甥達と久しぶりに飲む酒だからと思うが、いくぶん高揚して、夕食後のカラオケでも杯を重ねてしまった。

紅葉燃えるいろは坂

 翌日は日光へ出て、いろは坂をを登って車は戦場ヶ原に。坂を上るにつれて両サイドの紅葉が鮮やかさを増した。残念ながら真っ赤に燃える紅葉は車中のため撮れなかった。

 戦場ヶ原は、男体山から吹きつける風と雲が湧くと忽ち雨になる。激変する天候は、さすが海抜1,394㍍の高地に来たと実感。レストランで昼食のそばを食べ兄と私と妹でお酒を飲んだ。体が温まった。

 宇都宮駅まで甥に車で送ってもらい4時過ぎの新幹線に乗った。兄と甥達は、福島の実家に帰って行った。私は大宮で新幹線を下車新宿へ向かう。姉姪妹は東京駅まで帰った。妹は更に大阪まで先へ行く。姉は今年87才になる。もう姉兄との旅行も限られて行くだろう。
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日光戦場が原の寒々とした光景、背後に男体山が聳える。


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塩原のホテル6階から見る風景、紅葉にはまだ少し早かったが…。



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いろは坂への途中、富士見台で。この日は富士山は生憎望めなかった。


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きょうだい、甥姪たちと観光を楽しむ。



矢吹芳一先生の訃報に接して

 日本キックボクシング(野口修社長)のコミッション・ドクターを長年務めた矢吹芳一先生が、今年3月1日死去されていた。享年85才。喪中葉書によって初めて私は知った。具志堅用高会長も同様だそうだ。葬式はどうやら密葬で行われたようである。具合が悪いことは知っていたが、ひっそりと此の世から姿を消すなんて、先生らしい。でも線香の1本ぐらいは供えたかったですよ。

 先生が私の高校の先輩であると知ったのは私がまだフリーライターの時分だった。野口プロの西俣寿雄マッチメーカーが後楽園ホールで私を見つけて、舟木さんは福島の石川町でしょうと言った。で私は高校は石川ですがというと、リングサイドのあの席にいる矢吹先生も石川ですよと、矢吹先生を紹介してくれた。そして高校(学法石川)の先輩であることも知った。こんな身近な所に先輩が居たことに驚いたものである。

私の高校の先輩

 これが先生との初めての出会いである。以来40年余り先生には公私共に御世話になってきた。信濃町駅前にある信濃町診療所には体の具合が悪いい時は先ず先生を訪ねた。具志堅用高さんも現役時代に紹介して親交を深めていました。彼も私と同様に喪中の挨拶で先生の死を知ったそうです。

 私は先生の死を知って茫然として、和子夫人に早速電話いたしました。
夫人によるとここ数年は吐血や下血で度々救急車に御世話になって、人工透析で病院に通うなど闘病の明け暮れでした、と内情を語った。誰にも知らせなかったのは、多分痩せ衰えた姿を見せたくなかったからだろう。
死ぬまでダンディズムを貫いた男の姿がそこにはある。キックボクシング界に多大な貢献をされた人が、また一人亡くなりました。本当に辛い。

 先生の亡骸は東京・四谷左門町の「本性寺」に眠る。福島の田舎の高校かっら、苦学して慈恵医科大学を卒業、母校の講師を経て開業医となった。酒は一滴も飲めず、プラモデルが唯一つの趣味で、文字通り実直な一生だった。先生、御冥福をお祈り致します。近く本性寺に参ります。

名捕手いるとこ優勝あり

 今年の日本シリーズは巨人が4勝2敗でファイターズを下して、て3年振りの優勝、幕を閉じた。巨人の戦力からいって優勝して当然だろうと思っていたので、接戦を演じたファイターズの健闘は褒められて然るべきだ。そうでしょう、ソフトバンクの昨季日本一の原動力投手杉内俊哉とデニス・ホールトンを取ったのですからね。

 ファイターズに、ダルビッシュが居たらと考えるのは私だけでないでしょう。思うに優勝するチームは好投手の存在は不可欠だが、それをリードするキャッチャーの役割も重大で、その点巨人の阿部慎之介は優勝の最大の功労者であるかも知れない。

 古くは巨人V9時代の森、南海野村、ヤクルト古田、西武伊東、大洋&中日谷繁、この度の阿部と優勝時の捕手には名選手が必ず存在する。キャッチャーは扇の要である。試合中は9人のメンバーの中、唯一人全体を見渡せる位置にいる。

 それだけにグラウンドという戦場に入ったら、捕手は誰よりも戦略家であらねばならない。戦局を沈着冷静に分析する頭脳が求められる。今シーズンの阿部は打率、打点の2冠を含めキャプテンとしてチ-ムを優勝に導いた。偉大なる先輩捕手に肩を並べる活躍である。正に名捕手いるところに優勝ありである。巨人の日本一で改めて阿部捕手の存在価値を見直した次第である。