"鉄人"藤原敏男とはなんぞや/破格のファイトマネーと打倒ムエタイへの地獄の稽古/他
・"鉄人"藤原敏男とはなんぞや
~7年ぶり馴染みの「友」で飲む~
~現役時代の全てを密着取材~
~破格のファイトマネー~
~打倒ムエタイへの地獄の稽古~
・ビージーズの永遠の歌声
~"First of May"のメロディー~
・死について考える
"鉄人"藤原敏男とはなんぞや
17日、藤原敏男会長と痛飲した。実に7年ぶりである。私が脳梗塞を患ったのを機に疎遠になっていた。お土産に弊社発売のDVD「キックの鉄人 藤原敏男」を5枚持参して藤原敏男スポーツジムに赴いた。
ジムで待っていた会長は何と首に"輪っぱ"(※頸椎保護のプロテクター)を嵌めていた。吃驚して『どうしたの??』と顔を覗くと、5月31日に頸椎の手術をするという。それじゃ飲めないよねと念を押したら「手術まではまだ間があるので大丈夫」の返事。
で、おもむろに「これ頸椎のレントゲン写真ですよ」と差し出した。見て驚く、椎間板が地震で崩れたかのように乱れている…これでよくぞ平気で立っているもんだ、神経に触れて痛くないのか他人事ながら背筋が凍ったのに、剛毅なもんです。
タクシーを拾って入谷の馴染みの「友」へ向かう。、藤原会長お気に入りのお店。何を隠そう私も大好きだ。友遠方より来る、である。「友」は母と娘二人で営む小体な店で、手作りの家庭料理がすこぶる旨い。7年前まではよく通った、地元の常連さんに愛されている。
7年ぶり馴染みの「友」で飲む
今月15周年を迎えて記念パーティーをしたばかりだという。菊正の酒樽がカウンターに鎮座している。私が藤原会長に次いで暖簾を潜ると娘さんが、舟木さ~ん!と歓喜で迎えてくれた。嬉しい。
藤原会長がママに「珍しいイケメンを連れて行くから」と電話したらしく7時頃ママが参上して、私の顔を見て心底喜んでくれた。お互いに元気で何よりと再会を祝す。ママも変わらない。
いつの間にか藤原会長は輪っぱを首から外し「これをしていると飲むのが苦しいから」。後はガチンコの飲み会、樽酒から始まり焼酎、持ち込みのワインと、私も負けずに飲んだ。今夜は特別、ここに藤原会長の刎頚の友、佐山聡氏(初代タイガーマスク)がいたら最高だけど。途中から、STJ代表山本智(ショウタイムジャパン役員役員)加わりさらに盛り上がる。
どの客も会長の顔を見ると、先生こんばんはと挨拶する。下町の太陽のように誰からも愛される藤原会長、一緒に酒を酌み交わして無性に幸せな気分に浸る。
現役時代の全てを密着取材
藤原会長の現役時代、私は日本国内はもとより海外、とりわけバンコクの試合は殆ど取材していて、かつ解説までやらして頂いた。そんなことで、酒が進んみ、やや酩酊状態で「あなたとは盟友だね」と藤原会長にふと漏らす。
すると返ってきた言葉は「いや、舟木さんとは戦友でしょう」だった。そうだ、戦友だ!ジムの稽古から、合宿、試合、オフの生活までとことん密着した。キックボクシング全日本ライト級初代チャンプ(5度防衛)、外国人初のタイ国王室系ラジャダムナン・スタジアム同級チャンプ、花も嵐も踏み越えた藤原敏男の全ての軌跡を見てきた。運よく当時は黒崎会長から信頼され何かと便利を図ってくれた、そのお蔭である。
タイでいまも昔も最も有名な日本の格闘家は藤原敏男。”74年~79年にかけ本場ムエタイのリングを震撼させた男として名を馳せる。戦った相手はムンチョン、シリモンコン、シープレー、プッパートノイ、そしてナロンノイと国宝級のトップランカーばかり。どの試合もスタジアムを超満員にした。賭けが行われる試合は莫大な金が動いた。藤原人気は天を衝く勢いだった。
破格のファイトマネー
当時藤原選手のファイトマネーは日本円で約300万、その頃ホテルのウェイトレスの給料が4000円だったのだから、いかに破格だったかわかろうというもの。試合が済むと師匠黒崎健時会長の宿泊先には、プロモーターが札束を持って次の試合の権利を買いにきた。
日本円の300万という数字は、当時タイでは10倍の価値があったといわれる。だから今でもルンピニー・スタジアム前にたむろするタクシーの運ちゃんは、我々日本人観光客を見るとこう話しかける。「俺はフジワラの試合をみたことがあるぜ」と。藤原の試合を見たことは、運ちゃんの一生モノの勲章なのだ。
いざ決戦ともなれば、メーンストリートには巨大な藤原の肖像画(ファイティングポーズの)が対戦者と向かい合って飾られ、試合を煽った。あれには日本人として、誇らしくて痺れたね、実際。
敵地での数々の死闘を経て遂に’78年3月、後楽園ホールで絶対に勝てないと言われたムエタイ500年の歴史を破る時が来た。時のラジャダムナン・スタジアムライト級王者モンサワンを4RKOしたのである。因みにこの歴史的なバウトは不肖私が解説した。興奮して声が出なかったことを覚えている。
恩師・黒崎健時は自らも’64年ムエタイ選手とルンピーニーで空手(大山道場=極真空手の前身)VSムエタイの異種格闘技戦で闘いKO負けした。その雪辱、打倒ムエタイを時空を超えて愛弟子が果たした。
打倒ムエタイへの地獄の稽古
打倒ムエタイの道程は生易しいものではなくて、連日12時間を越す地獄の稽古に明け暮れた。気温40度を超す敵地のスタジアムで勝つスタミナを養い、ムエタイのリズムを崩すべくトリッキーなフトワークを駆使するために技を磨いた…鬼の黒崎の地獄の特訓に耐えたからこその栄冠だったのです。余談ですが、日本の女子バレーが東京スカイツリーのようなロシアに勝つためには、現役時代の藤原敏男の変則キックをモディリングにすることが最適と考えるのですが。
そんな事を回顧しながらの久しぶりに飲む酒は格別であった。沢村忠がキックの元祖(キックボクシングは沢村によって爆発的に広まった)なら、ムエタイ500年の門を抉じ開けその頂点に立った藤原敏男は此の世に二度と出ないであろう永遠のスーパースターである。石原慎太郎都知事は、忘れ得ぬ格闘家として藤原敏男を挙げ賞賛を惜しまない。
「友」から石焼きビビンバの美味しい店に移動。そこでまた生マッコリを飲み、最終電車に滑り込み辛うじて帰宅した。お蔭で私は急性アルコールで丸2日間生きた心地がしなかった。鉄人相手の無謀な飲酒であったと懺悔しまた。
で、あんなに酒飲んで、果たして頸椎の方は大丈夫だったのだろうか?その後お礼の電話もしていないので危惧している。兎も角、手術が無事に終わることを祈るのみである。藤原会長、退院したら「友」で快気祝いをやりましょう。
久しぶりに会って気分が高揚しました。話が長くなって申し訳ありません。藤原会長に纏わる話題は汲めど尽くせぬ程あります。またの機会に取って置きの”武勇伝”など綴りたいと今回はこれまで。
ビージーズの永遠の歌声
ビージーズ(BeeGees=英国人3兄弟中心のボーカル)の一人ロビン・ギブがこの5月20日、癌のため62歳の生涯を閉じた。二卵性双生児の弟モーリスが2003年1月に亡くなっているので、残されたのは長男ビリーだけとなってしまった。
彼らのマイルドにハーモナイズされた歌声は特に「マサチューセッツ」が昔から好きだが、最近は映画”小さな恋のメロディー”の挿入歌「
firstofmay(若葉の頃)」「melodyfair」が私のコレクション加わった。
特に若葉の頃はこの季節にぴったりで、朝のウォーキングの折には欠かさず聴いている。何度聴いても飽くことがないのです。心を限りなく慰めてくれる、メロディーなのです。是非ネットで検索して試聴してみてください。
"First of May"のメロディー
この曲を聴きながら歩いていると代々幡斎場の正門に差し掛かりました。桜の木はすっかり新緑の葉に覆われて初夏の装いです。案内板には本日の葬儀家名が列記され、若葉の頃のメロディーがさも葬送曲のように思いました。
どんなたが逝去されたのか、死は今日、明日の我身。斎場の前を通る度に私は死に付いて思いを巡らす。私の主義は葬儀は密葬、供花、香典は一切受けとらない。お墓は小さいもので、郊外の静かな墓地。
一人で生まれ、一人で静かに死す。また、予め文面を作って置き、後日お世話になった人に便りを出してもらう。延命装置は絶対施さない…これは常日頃妻と語り合っていることです。死を確認し合う事は決してタブーじゃありませんよ。重要な事です。
死について考える
私が一番好きな作家・吉村昭(故人)さんが死んだ折の見本です。高村光太郎は死について次のように述べています。「死ねば死に切り、自然は水際立っている」
その意味するとこは、死ねば浄土も天国もない、全て終わる、自然には勝てないのだ…ということか。哲学者で評論家でもある吉本隆明さんは、この一節を絶賛しています。
私もこの死生観には共鳴するところがあります。と、まあ、心に響く音楽は、ときに人生の終わりまで感慨が及ぶことがあります。謂わば優れた音楽は人生のグル(導師)にもなります。たかが音楽というなかれです。御終いにギブさんのご冥福をお祈り致します。
19日はカラオケ仲間の皆さんと旧古河庭園のバラを見に出掛けた。咲き誇るバラ…。
藤原敏男スポーツジムで、首にプロテクターを嵌めて選手を指導する会長。
~以下写真は藤原会長との飲み会のスナップ!~
(1)先ずは樽酒で藤原会長と乾杯!
(3)再会を祝して「友」の前でパチリ。左より馴染みのお客さん、ママ、藤原会長(何故か私のバックを下げている)、私の隣は山本代表、友の娘さん。
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